2020年東京オリンピックに対するフォーラム参加者の発言は、極めて厳しいものでした。
1964年と比べて「なぜ盛り上がりが無いのか?」それは、時代環境の違いに加え、お金優先のものの考え方、過剰な国威発揚、オリンピックに勝つためだけのいびつなスポーツ選手養成、オリンピックのビジネスショウ化等に問題がある。更には、オリンピック憲章、クーベルタンの平和精神、世界市民主義の基本精神に戻り、文化性に焦点をもっと当てるべきであるという意見であった。

2020年東京オリンピックは、日本文化に対する理解を深める機会とすることが提案された。全国各都市、町村でイベントを開催、来日客を「おもてなし」する。多くの観光客に魅力ある日本を伝え、日本への移民を考える絶好のチャンスとする。また韓国、中国等、近隣諸国を誘い芸術(舞台演劇、映画等)を通じて協働で東アジア文化を体験する機会を提供すること。総じて「今回のオリンピックを文明の大転換点と位置づけ、近代合理主義、グローバリゼーションで見失われつつかに見える東アジアの伝統文化を体験してもらうこと通じて、生きがいと潤い、安心感に満ちた社会への大転換を図ることが大切である」との結論であった。国立競技場を壊し、代々木の森林を伐採する金のかかる開発手法よりは、節約する中で古きを生かす日本的伝統もあることを世界に知らせるよい機会ではないか?オリンピックのだめだけに開発工事をし、オリンピックが終われば、元の公園に戻すというような一過性の無駄な企画は再検討すべきである。

オリンピック全体の企画を通じて、「もったいない」、「お蔭様で」といった言葉の背後に潜む日本文化(東アジア文化)を理解してもらう絶好の機会としたい。2020年東京オリンピックは近代化で走り続けた文明から、人間らしい文明への大転換点であったと歴史に記憶される歴史的大事業とすべきである。

今回、特に小生の最も感動したエビソードは、野田一夫先生の生き様から学んだことである。先生のお父さんはゼロ戦戦闘機の設計責任者でした。そのお父さんから「いつも裏表のない正直な人間であれ」と厳しく薫陶を受けた。「あの世に行って一番会いたいのは父親である。会って、お父さん、お父さんのおっしゃったように生きて来ました」と言いたい。この言葉こそ豊かで便利で忙しい現代社会の中では、見失われつつある珠玉の言葉であると思う。自分を誇り、“俺が俺がで”築いた近代文明は所詮、命のパイプを断られた切り花文明に過ぎない。命は親から与えられたもの、父子の関係、親への孝こそ人の生きる原点、東アジアにはその伝統がまだ生きている。