第94回未来構想フォーラム
21世紀の世界倫理─真の“和”の再生
2010.2.14  地球市民機構会議室
  
  武藤 信夫 氏

グローバル経済の浸透で格差社会が広まり、行き過ぎた個人主義と相まって,人と人とのつながりが薄れつつある今、哲学者の武藤信夫さんは日本古来の伝統思想の研究から、「和」の復権を提唱。

“和の真偽を見極め、真の和を取り戻すことが日本再生のカギになる”という。

最近、日本経営倫理学会で発表した「グローバルビジネス・エシックスと企業の社会的責任」「ユーロビジネス・エシックスと和の再生」は経済界に衝撃を与えた。
略歴:昭和3(1923)年、岐阜県生まれ。日本倫理思想史、経済思想史,企業者史学専攻。
    国際大学の創設に携わる傍ら、聖徳太子や藤原惺窩、角倉了以、角倉素庵、
    二宮尊徳を研究、多くの著作がある。鳥取大学講師などを経て現在、日本精神
    文化研究所所長、日本民俗経済学会理事など務めている。

コーディネーター:多田 則明   ジャーナリスト(農業)
 コメント 1 :   清水 馨八郎  千葉大学名誉教授 (地理学)
 コメント 2 :   一色  宏     未来創庵 庵主 (ロゴ・デザイナー)

主催:NPO法人 未来構想戦略フォーラム
協賛:地球市民機構、未来創庵、日本ビジネスインテリジェンス協会、ほか   
    「和の再生」―二十一世紀世界文明の創造にむけて―

                   
日本精神文化研究所長 武藤信夫

○ ゆきずまった日本―失われた伝統精神

 世界で最初に努力した日本がなぜゆき詰ってしまったのか。その最大の原因は、これまで
 の日本をつくってきた伝統文化精神「真の和」を消失してしまったからであります。世界の
 いずれの国においても、その国をつくってきた伝統精神を失った民族は滅ぶと言われて
 おります。
 とくに、明治以降、急速なる近代化を進めるため、西洋哲学の導入によって、それまで日本
 をつくってきた伝統精神、思想、価値観が否定され、その上、第二次大戦後は米国一辺倒と
 なってしまったのであります。ところが自利を求める米国の一国主義の価値観の破滅によって
 日本の動揺の極地に陥っています。

○ 調和の原理で世界の希望の星―EU
 欧州では、過去の二度の大戦を反省して「佛独和解」の上に欧州共同体をつくり、より富み
 進んだ国が遅れた国を援助して、その国の自立的発展を促し、それと調和することで、共に
 平和的発展を図るという調和の原理(ローマ条約第二条)によっていまや米国を追い抜き、
 世界の希望の星となり、世界中から連帯を求めております。

○ 大転換を図る米国オバマ大統領
 一昨年、大統領に就任したオバマ氏は、それまで世界中から嫌われていた単独行動主義から
 多国間強調主義へと転換し、世界から歓迎されております。

○ 「友愛」思想の提唱 鳩山首相
 昨年秋発足した民主党政権の理念に「友愛」思想をベースにした改革路線が呼ばれています。
 この友愛思想の根本はクーテンホープカレルギーの「汎ヨーロッパ論」(1923)であり、
 日本語でいえば『真の和』なのであります。

○ 現在の人類の悲劇は数十億年かけて、この宇宙と地球と人類を育んできた調和の原理を
 西洋哲学が破壊してしまったからです。今ゆき詰まった対決の西洋文明に代わって和の文明
 が強く求められております。

○ 本日は日本をつくった日本文明の根幹をなす真の和の生成と形成について50年間にわたる
 和の研究と実践についてのあらましを申し上げ、そのことで空中分解状態の日本思想史研究
の建て直しを図りたいと思っております。各位のご指導をお待ちいたしております。


2010年4月上旬、全国書店で出版! 詳細



上製本・定価 1680円
(税込み)

 日本人の誇りと自信は、消えてしまったのか?

 これから和 賢哲に学べ

 日本には、古くから育まれた「和」があった……

 今こそ、異質なものを共存させる日本人の知恵=
 「和」を再生すべき時である
 「和」は私という日本人の生き方 
 「和」で読み解く
  初めての日本倫理思想史で、日本再生!

 企業経営者も教育者も、これからは「和」に学び
 「和」に生きよ!

 東海の孤島である日本にやって来た多くの部族たちは、
 それ以上東に行くことはできないため、狭い島の中で
 互いに仲良く平和共存するしかなかった。幸いにもこの
 島は自然に恵まれ(…中略…)深い森が周りの海を豊か
 に育む、恵み多き風土だった。(…中略…)こうした日本
 の風土から生まれたのが和であり、つまり和は日本人の生
 き方と言ってもいいのである。(本文より)
序章
第一章 なぜ今「和」の思想なのか 
第二章 聖徳太子に現われた「和」
第三章 藤原惺窩と角倉了以・素庵 
第四章 二宮尊徳――「分度」に見る和
第五章 賀川豊彦の友愛と和
第六章 昭和天皇が蘇らせた日本の和
第七章 木川田一隆に見る和の経営
書評 武藤信夫著『これから和―賢哲に学べ』  
      (アートヴィレッジ/2010年3月20日刊)

池田 憲彦
元拓殖大学日本文化研究所教授・付属近現代研究センター長
高等教育情報センター(KKJ)客員

  わたしは、この著作の書評を依頼されたことを感謝する。それは、日本文明の素晴らしさを「和」をキーワードにして、古代から近現代の日本史上の人物を取り上げ、解析を試みた意図に敬服したからである。同時に近現代では著者の個人史をも兼ねている。
  この二つの視点を通しての追求は、グローバリゼーションの只中に棲む現代とこれ以降の日本人によるアイデンティティの模索にとって、貴重な糧を提供しているのを意味している。という多義性を孕んでいる著作、と評者は受け止めたのである(第一章 なぜ今「和」の思想なのか)。
  著者の学識はあまりに広範なために、読者は、さらりと触れられる件に思わず読み流してしまう。が、そのさりげない件に著者の長年の思索を深めたところから来る多くの示唆が背景にある。そこに気づくと、不学な書評子であるわたしは、著者の真意を測りかねて行きつ戻りつ、を繰り返さねばならなかった。この仕掛けは意図したものではないにかかわらず、だが読者に多くの思考のヒントをもたらしてくれるのである。 以下全文⇒

英訳して海外で発表すべき労作。和の精神を古代から近現代まで追求, 2010/8/2 Amazon カスタマーレビュー 
投稿者 
これから和―賢哲に学べ (単行本)
 「和」をキーワードにして、古代から近現代の日本史上の人物を取り上げ、日本文明の解析を試みた意図に敬服した。同時に近現代では著者の個人史をも兼ねている。この二つの視点を通しての追求は、グローバリゼーションの只中に棲む現代とこれ以降の日本人によるアイデンティティの模索にとって、貴重な糧を提供している。 以下全文⇒
 

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『和の再生』 和の思想史1     

          日本民族経済学会 理事 武藤 信夫


はじめに

これまで十六回にわたり、西洋近代文明の現代社会に及ぼしている多くの悲劇のうち、
もっとも身近な健康問題としての食と医について、真の和の思想の観点から述べてきたが、
多くの読者の方からどのようにすれば良いのか、それには和の思想がどんなものであるか
勉強したいとの要望が高まってきたので、現実の問題がますます山積みする中であるが、
このあたりでやはり根本の原理を掴むことで各人がそれぞれに対応できることになればと
念じ、今月号よりいよいよ「和の思想史」―これは世界で最初である―和の生成と形成と
世界の賢人たちの意見を述べていくことにしたい。読者の皆さん方から是非いろいろな
ご意見をお寄せいただきたい。

T 失われゆく日本の伝統精神

1. 日本精神(和の思想)を消失した日本人

 このことで一番大きな問題は日本には、日本の哲学、倫理がないと主張する各界の
指導者がいるのである。どうしてそう言うのか。その第一は、明治27年いまの東京大学
にドイツ留学から帰国した中島力造博士が欧米の哲学をもとにして哲学科をつくられ、
それが全国の国立大学に伝播してゆき、そして私立大学もそのようになっていったのである。

それに対し、西村茂樹氏(東京終身学社代表)、岩崎遵成博士(東京大学)らが「自国の
道徳を顧みずして称え出す道徳主義と言うものは、如何にして我が国に適合するであろう。
所謂適用性を備えた道徳説は得られる筈がないのである」と警告されているのに、日本の
学会は無視してしまった。

第二は、第二次大戦後、昭和二十七年に日本倫理学会(会長和辻哲郎)が発足した。
その翌年文部省が修身教育にかわる倫理教育の教科書作成の委員会を設置したが、
和辻会長は学会より西洋倫理専攻の学者三名を派遣した。
 したがって出来上がった高校、公民科の教科書「倫理」はすべて西洋の哲学、倫理の
視点に立っており、東洋、日本のことはほんのつけたしとなってしまった。それで日本で
哲学、倫理を学ぶということは西洋の哲学、倫理を学ばなければならなくなっている。
だから日本の社会のいろいろな問題にぶちあった時、日本の伝統価値観ではなく、西洋の
学問の視点であたるというまことに奇妙なことに疑問を感じなくなってしまったのである。

 現在の各界の指導者は、戦後この奴隷の教科書ともいうべき「倫理」で教育されてきた
ところに現代の混乱の原因があるのである。
一つの具体的な例として、それは数年前、日本の未来を語るTV放送で、外遊経験もあり
元出雲市長で良識派と言われた民主党の岩国哲人代議士でさえ、「『和を以て貴しとなす』」
という和の思想が個人が自分の意見を主張せず、集団に追従してゆくことだから、改むべき
悪い日本の習慣である」と言っており、キャスターの久米宏氏まで同調している。またその
番組に出た田中直毅氏も、現在日本に必要なことは「個の確立」であると語っている。

 しかしこのような風潮が満ちている中で、数少ない人として、哲学者、宗教学者の梅原猛
氏は映画監督伊丹十三氏との対談の中で「和の社会を失ったら、もう日本はいいところがなく
なっちゃうでしょう」と語られており、伊丹氏も「それで僕はたいへん危機感を持っておりま
す」と同意されている。このおふたりのような方は日本の識者では数少ない。

 いま世上で言われている和は、上からの指示で組織のために自己を犠牲にすることで、人間
としての主体性、自己責任の放棄による同調の同であって、数千年にわたって、世界から尊敬
される日本をつくってきた真の和とは似て非なる同(偽の和)なのである。「悪貨が良貨を
駆逐する」ように、これまで日本は権力者たちによる「同」によって真の和の駆逐が行なわ
れたが、社会の底流には脈々として今日まで流れてきている。この駆逐が始まったのは、
古代国家が成立して階級社会が成立してからで、権力者たちは自己の支配の正当化のために
和の同化を図ったのである。それを全国的に進めたのが、十人組、刀狩りなどを行なった
秀吉で、家康は更にそれを徹底させ、仏教も完全に隷属させてしまったのである。

 このような動きに対し、近世初頭、京の相国寺管主より還俗して、わが国最初の儒学者に
なった藤原せいかと江戸中期の儒学者羽生徂来の二人は「和が同であってはならない」と警告
している。日本に現代に至るまで沢山の学者がいるのに、このことに気がついていないという
ことに現代の思想的悲劇の原因があるのである。話を少し戻して、徳川期から明治期に入ると
急速な近代化のための脱亜入欧によって、日本の伝統的価値観は否定され絶対的中央集権体制
確立のために和の同化が強力に進められた。第二次大戦後は米国占領政策と日本の対米追随に
よって、真の和と偽りの和の区別がつかない日本人になってしまった。そこで弱肉強食の市場
原理が襲いかかってきて、「個人の確立」が優先され大混乱に陥ってしまったのが現状である


2. 真和と偽和について

  日本の和についての体系的研究は、過去にも現在も、大学においても民間においても全く
ない。日本が和の思想のよってつくられたということは、日本人のおおかたの合意となっている
のに、その和について何故研究されていないのか。その理由の第一は権力者の和の同化に対する
気兼ねなのか、第二は和が空気のようなもので、仲間うちでは当然にあるものとして日常行動を
積み重ねてきた。それで近代まではやってこれた。結や講などにみられる伝統的な共同体の精神
の和が各人の心の中に残っている。だから近代的な企業間競争を一面では認めながら、各々の地
域や家庭に帰ると和の生活に戻ることができ、そこでは厳しい西洋的な論理ではなく、古代から
の互いに信じあう大らかさがすべてであった。それが弱肉強食のグローバリゼーションの進展に
よって世界が行きづまり、東洋の共同体の論理特に日本の和が強く求められ出した。

 いまも日本で和というと、聖徳太子の十七条憲法の「和を以って貴しとなす」があげられるが、
その和を聖徳太子はどこからもってこられたか、その以前に日本にあったのか、あったとすれば
その和はどのようにして生まれ、形成されてきたのか。それは今日まで誰も研究していない。
十七条憲法の成立に際し、儒教、法家思想、仏教思想の影響があることは判っているが、太子が
取り上げられた和については不明である。

それで私は最初は日本の精神史、思想史についてその源流を訪ねたが成果は得られなかった。
次には古代において日本が最も影響を受けた中国の思想、中庸の思想、大同思想などについての
調査が入った。ここではいくつかの大きな成果があったがやはり限界があった。そこで最初に戻り、
手探りではあるが考古学、民俗学、民族学、比較神話学、比較言語学、文学、政治、宗教、歴史、
経済など際限のない彷徨の中で閃いたのは、日本神話の大国主命をはじめとした大らかな神々と、
現在でも残る田舎の朴訥の善意の老人たちの姿であった。そして日本の原始共同体の中に秘密が
あると確信できた。そして数十年、メソポタミア、シュメール文明まで到達し、私の研究の第一
段階が終わったのである。

 わが国では正式には2001年、日本精神文化学会で「日本倫理思想に源流―和」を
報告したのが最初である。次に日本で真の和と偽りの和の違いを理解されている
松浦晃一郎氏が、2002年のユネスコ事務総長の就任演説で真の和の形成について
講演し、国際的な賛辞を得たが、その後京都フォーラムでも講演をしている。

 いま日本の哲学は、西洋哲学となってしまい、この行き詰った日本の現実の問題に
対処できない。それで公共哲学とか、更に装いを新たにそるために和の構築とか言っ
ているが、それは和の同化=偽りの和になるのである。このような悲劇が起きている
のに彼等が平気でいられるのは、別表「真の和と偽りの和(同)」をご覧になれば
お判りのごとく、真の和と偽りの和の区別がつかないからである。大切なのは抑圧
されている真の和の再生こそ今日本と世界で求められているのである。
 ここでいう真の和は、われわれの先祖があらゆる迫害にも耐え、守り、育ててくれ
たものであり、偽りの和は、権力者たちによって彼等の利益のために、和が同にさせ
られてしまったのである。

真の和 偽りの和
公正原理
信―共生
自己主張
自己責任
解放的組織
共創―自主性尊重
双方的コミュニケーション
自利と他利の調和  
異文化尊重
個性尊重
性善説
小異を尊び大同に立つ 
農耕的定住的共同社会
平等の原理
不信―競争―契約 対決
同調
全体責任
閉鎖的組織
指示命令でつくる自主性無視
一方的コミュニケーション
自利優先
異文化否定
個性否定
性悪説
小異を捨て大同に立つ
牧畜的移動的個人社会


U.真の和でつくられた日本


1. 原始共同体の成立と和の生成


 私たち日本人はどこからやってきて、どこに行こうとしているのか、日本の世界に
果たす責任が増大するにつれ、その問い直しは深まってきている。遥かなる歴史の
彼方に思いを馳せると、あらゆる苦難を乗り越えてきたおおらかな和(やわ)らな
古代人たちの微笑みが伝わってくる。

 百万年続いた氷河期のあと、今から一万年前の日本は大陸との陸続きであった。
北はサガレン(樺太)・北海道、本州が陸続きで、南もフィリッピン、ジャワと陸続き
であった。日本海は湖のようであった。朝鮮半島とは陸続きであり、地球の歴史から
みて日本は大陸の一部であったのだ。このことはたいへん重大なことで旧石器時代の
人々が活きた時期に日本は孤立した島ではなかったのだ。それで大陸から象、虎、
ひょう、大角鹿、狼たちもやってきた。その後を追って多くの人々もやってきた。

人々にとってはそれらの動物たちは最高の食糧であったのだ。植物も寒冷地に育つ
朝鮮松やから松なども広く繁茂していた。しかし氷河期も終わり地球の温暖化による
海面の上昇によって北も南も切り離され、今のような日本列島になってきた。狭い地域
に閉じこめられた巨大な動物は、次第に小さくなっていった。青森県、栃木県、山口県
などで発見されたアオモリ象の化石からみると、やはりナウマン象が小型化したと考え
られる。
しかし何より大きな変化は朝鮮海峡ができ、南から暖流が日本海に入り豊饒な地がうま
れたことであった。そこに北方アジア、中国、朝鮮、ロシア、海上ルートの南方より、
周辺の諸民族、人種が移住、渡来し、長い年月を混血し日本民族となった。記紀に伝わ
る日本神話はツングース系の要素など、周辺のあらゆる民族の神話の影響を受けている。

最初は抗争もあったであろうが、共存共栄の道を求めて互いにそれぞれの奉斎する神々を
尊重し認め合ったのである。それが世界で唯一といわれる「八百万の神」でそこに原始共
同体が形成されたのである。
 当時の共同体においては、農耕、魚そう、狩猟などについての共同作業が必須条件で、
それにはお互いに主体性と責任をもって相手を尊重し利するための調和が求められた。
その調和を「和する」といい、その心は「清き明るき直き心」でそれによって共同体が
維持されたのである。ここに日本の倫理思想の原点としての「和」が誕生したのである。
そしてその「和」によって日本がつくられてきたのである。

 ここで最も重要なことは、このような真の和が生成されるにはその原始共同体が民主
共産主義であらねばならない。そのもとになっているのが縄文時代の見られる環状集落で
ある。(千葉県高根木戸遺跡や群馬県赤城山麓の三原田遺跡など、近年全国各地で発掘が
進み多様な集落が発見されてきた)。
 縄文人たちは、縄文前期(紀元前6000年頃)になると定住的なムラ(集落)をつくって
住むようになった。その集落の特徴はその中央の広場であり、それを囲んで家屋が環状、
馬蹄形、あるいは向かいあった二つの円弧状に配置されている。中・後期の関東地方では、
直径が百メートル前後に及んでいる。その広場は掃き清めたというほど何の遺構も遺物も
ない広大な空き地となっている。弥生時代や古墳時代の集落にも居住群の空き地として
小さな広場があり、登呂遺跡や埼玉県五領遺跡に見るように、それが倉庫をとりまく
「中庭」として集落の中核部を形成し、野外の共同作業や祭りの場の機能を有していたと
考えられるが、縄文時代のものほど顕著ではない。縄文時代の広場は、弥生以降のそれと
同じ役割を持つだけではなく、水野正好氏が主張するようにこれを生み出す集団構造、
宗教構造を背景に成立したものであると考えられる。

 私の長い和の研究において決定的な瞬間が訪れた。それは6000年前の縄文時代のあった
原始民主共産社会が、2800年前の古代メソポタミアにあったのである。縄文集落には中央の
広場を取り囲んで住居が、ほぼ等距離に環状に配置されている。これは構成員各家庭の平等
性を示していると考え、これが和の生成と形成の土台であるとしてきた。

 このことについて、人類学の始祖であるフレーザーは、アフリカにおけるピグミーや
ブッシュマンら狩猟民族のキャンプ配置が、中央広場からはほぼ等距離にあることで
「原始平等主義」を読み取っている。ここでは各構成員は広場において話したことについ
ては全責任をとらねばならないことを報告している。
 また古代オリエント研究者T・ヤコブセンは、古代シュメール都市で非常事態の際、
自由人総会で選ばれた指導者は、非常事態が終わればその地位を解かれ一市民に戻れる
という制度がとられていたことを、シュメールの古拙文字の粘土板を解読して論証した。

 更に古事記神話の「天安川原(アメノヤスカワラ)の神集(カンツド)い」や、「神謀
(カンバカ)り」、中国伝説「三皇五帝」の禅譲にも、この指導者選出の思想が見られる。
三世紀の卑弥呼が選出された女王であったことは「議事倭人伝」でも明らかである。
原始民主制がここにもまだ残っていたのである。

以降は、次のような内容で展開したい。

U.真の和でつくられた日本

 
 1. 聖徳太子「十七条憲法」にみる和
   2. 藤原こうしょう「義」と「信」にみる和
   3. 二宮尊徳「分度」にみる和
   4. 渋沢栄一「道徳経済合一説」にみる和
   5. 加納治五郎「精力善用、自他共栄」にみる和
   6. 木川田一隆「個と全体の調和」にみる和
   7.立命館大学「全学協議会」にみる和

V.世界の賢人が求める日本の和
  1. アインシュタイン
  2. グーデン・ホーフ・カレルギー伯
  3. ヴェン・セスラウデ・モラエス
  4. ダリル・コーエン
  5. ロバート・ソロモン
  6. ピーター・ドラッガー
  7. ベルル・スコーニ伊首相

W.真の和の再生にむけて
  1. ビル・トゥテン−アシスト「哲学と理念」
  2. EU発展の鍵―EU指令
  3. 渥美和彦―代替・相補の統合医学
                    以上