第36回未来構想戦略フォーラム ワードはこちらPDFはこちら

  日韓・アジアの未来構想を語る 

      ゲ ス ト :  金 容雲 氏 (文明評論家)
      インタビュアー:大脇 準一郎 / 李 鋼哲

      2005年1月25日 東京・帝国ホテル 本館会議室


  金容雲博士  韓日文化交流会議座長 *金博士提言資料

   キム・ヨンウン 1927年、東京生まれ。47年、早稲田大学を中退し、解放後の韓国に帰国。
   58年、渡米。カナダのアルバータ大学から位相数学で博士号を受ける。69年、帰国し、漢陽大学
   で教鞭を執る。韓国の著名な数学者、文明評論家でもあり、国際日本文化研究センターなどで客員教授
   を務めるなど、たびたび来日。前韓国MBC放送文化振興会理事長。

   著書:『韓国人と日本人』『「かしこ型」日本人と「かちき型」韓国人』など。


日本は経済至上主義で世界第二の経済大国になり韓国も豊かな生活を目標にして先進国
の仲間入り。


質問者 大脇準一郎氏 ―国際企業文化研究所長―
金容雲先生が今回来日されたのは、前・金大中政権、前・小渕政権の時代に、日韓政府の合
意で『日韓文化交流会議』が作られまして、日本側は平山郁夫先生が座長ですが、韓国側は
金容雲先生が代表をされていまして、今回、団長として来日されたばかりでございます。さ
て、今日は『日韓・アジアの未来構想を語る』というテーマで「日韓関係の将来はどうなる
のか」についての未来的な状況、さらには「日韓関係の将来はどうしたらいいのか」につい
ての提言も含めてお話いただき、後半は「東アジア共同体の展望」ということで、李鋼哲先
生とお話いただきたいと思います。

まず最初に「日韓関係の将来はどうなるのか」という問題について、忌憚のないご意見をう
かがいたいと思います。

金 容雲 氏 ―文明評論家・数学者―
今年はちょうど戦後60年、人間で言えば還暦に当たる年で、これから先は〃老人〃というこ
とになりますが〃生命体〃である民族というものは、常に新しい生き方を求めるものです。
そこで、戦後の60年を顧みて「いままでの日韓関係はこうだったが、これからの日韓関係は
どうあるべきか」という未来について提言したいと思います。

戦後、日本と韓国に共通したことは一つありまして、それはお互いに〈経済的に豊かになろ
う〉と努めたことです。日本は経済至上主義で、思い通りに突き進んで、世界第二の経済大
国になりましたが、韓国も同じように豊かな生活を目標にして、ようやく先進国の仲間入り
を果たしました。このことは良しとして、もう一つ重要なことは、日本は〃平和憲法〃を持っ
て、一筋に平和を求めてきたことになっていますけれども、これに対して、韓国は〃南北統
一〃ということを最大の悲願としてきました。日本の平和と韓国の統一の目標の中に、どう
いう矛盾があったのか。その矛盾を解決する方法はないのだろうかを、私はつねづね考えて
おります。

日本の平和憲法には―核を持たない。持ち込ませない。―戦争をしない。他国に関与しない。
ということで、謳い文句は立派ですが、そもそもこれはアメリカに押し付けられたもので、
日本が本当に心底から過去を反省して、新しく自分で選択した道ではありません。したがっ
て、アメリカの占領政策の都合によって、例えば、世界のどこかで戦争が起きたときには、
日本に向かって〈武装をして協力をしろ〉など、勝手なことを言っており、日本人はその矛
盾をいつも肌身に感じておりまして「武装をしない、戦争をしない」というのはいいことで
すが、果たして、それは日本が自立する道であろうかということに、つねづね矛盾を感じて
おります。

かつて日本人は責任感とか大いなる志を持って生き甲斐を求めましたが戦後に無くなりまし
た。

この過程で、私は日本人に二つのタイプができたと思います。一つは、矛盾を強く意識して
「日本の皇国史観は立派である」「先の戦争は大義に基づいて戦った」「首相が靖国神社に
参拝するのは当然である」「自衛のためには武装しなければいけない」等々、右翼の教科書
に見るようなアナクロニズム(anachronism時代錯誤)になっていきました。もう一つは、こ
れは日本人の性格の問題ですが、相手に押し付けられたものにうまく適応するところがあっ
て、例えば「相手の土俵で相撲をとる」「人の褌で相撲をとる」などは、よく比喩される言
葉です。平和憲法にしても、これはアメリカに押し付けられたものであろうが、それを使い
こなすことによって、奇蹟的と言われる高度経済成長を遂げることに成功しました。

これを言い換えれば、日本人の知恵であって、たいへん結構なことですが、矛盾の中で経済
成長だけを謳ってきたために、若者たちは内心に忸怩たるものを抱いており、識者たちはこ
れを非常に心配しております。今は故人の司馬遼太郎さんは―旧き良き時代という言い方を
なさいました。つまり、かつてあの時代には、封建制度の下であったにせよ、責任感である
とか、志であるとか、自分の生き甲斐を求めることをやってきましたが、それが戦後に無く
なったことを、たいへん残念がっておられました。あるいは、私が親しい西原春夫(元早稲
田大学総長)さんも、そのことを心配なさっていますが、これは事実です。

韓国の箴言(戒めとなる短い言葉)に「人間は飯だけ食って生きられるものではない」とい
う言葉があります。要するに、生き甲斐のない生活などありえないのでして、かつて日本が
誤った道を歩んだにせよ、自分が一生懸命に頑張りさえすれば、生き甲斐というものが求め
られました。ところが、今の日本人の子どもたちは、その生き甲斐が乏しくなって、西原さ
んも「日本人はダメになってしまった」と言って、嘆いておられますが、いま日本人の生き
甲斐は何かというと、私は“本当の平和の道を求めること”であろうと思います。


〃南北統一〃の宣伝文句には日本の平和憲法と同じような矛盾が含まれておりそれは
〃反共〃だった。


韓国の場合も、先ほど申しましたように「豊かな国になろう」ということを合言葉に、経済
成長を目指し、消費水準からすれば、日本とほとんど変わらないくらいの経済成長を遂げま
した。ところが、豊かになった後で気付いたもう一つの矛盾は〃南北統一〃だったのでして、
日本が平和を謳ったのと同じように、韓国も〃南北統一〃を謳ってきました。

そして、この〃南北統一〃は「韓民族が一つになって平和に暮らしていこう」という悲願で
ありました。しかし、この〃南北統一〃のキャッチフレーズの中には、日本の平和憲法と同
じような矛盾が含まれておりまして、それは何かというと〃反共〃だったのです。要するに、
私たちが願った―南北統一というのは、自由民主主義的な統一国家で、この選択は正しかっ
たと思います。しかし、そうなると、今まで私たちが持っていた〃反共〃というのはどうな
るのかという矛盾の中から、韓国の若者たちは自らの生き甲斐を求めていかなければならな
いわけです。その生き甲斐は、南北の共生による平和統一であって、これは抽象的な理想論
ではなくて「私たちの生きる道は平和統一しかない」と、肌身で実感することでありました。

日本人と韓国人が持っている理想をドッキングさせることです。

日本の場合は、平和憲法のあのカラクリの中で、自からの平和の理想を描き、ある者はそれ
に耐えられなくて再武装論に走り、靖国神社肯定論に走ったりしましたが、この矛盾はいず
れ解決しなければならないでしょう。そこで、日韓両国の未来について考えると、両国が抱
えている現実的な矛盾は、同時に解決しなければならないと思います。

それは、日韓両国が真実の平和を求めることで、いま韓国が平和になれない一番大きな原因
は、三十八度休戦ラインの存在で「この休戦ラインを、なんらかの方法で崩さなければなら
ない」という切実な思いがあります。したがって、いま日韓両国の若者が交流することは、
ただ単に仲良しになるだけではなくて、両者が切実な生き甲斐を求めて、それを実現してい
くことだと思うのです。

さらに、日本人の望ましい生き方、韓国人の望ましい生き方を求めるなら、日本人が持って
いる理想と韓国人が持っている理想をドッキング(docking結合)しなければならないと思う
のです。それは何か。日本人が持っている平和への願い、韓国人が持っている平和統一への
願いというものが、一つのカテゴリー(Kategorie範疇)のなかで解決できるようになってほ
しいのです。


もっと重要なことは―人間同士の愛

大脇準一郎 それは、韓半島の永世中立化という問題でもありますね。

金容雲 そのとおりで、いままで韓国では―永世中立化の話はいくつも出てきましたが、み
んな絵空言(えそらごと)に終わりました。なぜならば、韓半島の問題は、ただ単に北と南
の問題だけではなくて、周辺諸国の利害が複雑に絡み合っているせいです。歴史的に見まし
ても、ユーラシア大陸の端にある韓半島が平和にならなかったら、東アジアは平和にならな
いのでして、言ってみれば、これは韓半島の宿命でもあります。

そして、結果的には、韓半島を統一することは、何れの国のマイナスにもならなくて、必ず
いい結果をもたらし、利益になることを、お互いに認め合うしかありません。現実問題とし
ては、韓半島から〃核〃を除去して統一することが理想ですけれども、その後の韓半島の平
和と中立を、いったい誰が保証するのかという命題があります。いまちょうど北朝鮮の核を
巡って『六ケ国協議』が開かれていますが、本当はもっと高い次元の知恵を出していかない
と、この問題の真の解決は図れないのではないでしょうか。例えば、日本が真珠湾攻撃に踏
み切った時のことが一つの参考になります。あの頃、日本列島はいわゆる―『ABCD包囲
網』で追い詰められ、石油も鉄も入ってこなくなるという窮状に陥り「窮鼠ネコを噛む」の
喩え通り、坐して死を待つより、事態を打開するために武力で打って出たわけです。

その辺の事情は、現在の北朝鮮が置かれた状況と相通じるところがあって、場合によっては、
北の政権は、あの頃の日本の軍部と同じようなことをやりかねません。したがって、政治的
・外交的な圧力よりも、私はもっと重要なことがあると思うのでして、それは―人間同士の
愛であって、彼らが私たちの愛を信じることができるならば、譲歩するのではないでしょう
か。


休戦ラインを平和ライン、世界平和の発信基地に

考えてみると、あの北の政権というのはまともでないところがあって、数百万人を餓死状態
に追い込んだ事実からしても、政治的な力学、あるいは、経済的な対応だけではなく、愛の
心によらなければ、あの国は変わらないと思うのです。いま継続されている『六ケ国協議』
も、単に核を放棄させるだけではなく、核をなくした後〈韓半島のあり方をどうすべきか〉
を考えていかないと、絶対に解決しない。つまり、双方の理解を深めていく作業が必要です。
それには、韓半島の今までの過酷な歴史を振り返り、日本が新羅を憎み、その延長線上で韓
半島を憎んで、自分の生命線だと信じてきた場所に、共存共栄の地域を作り出すような発想
がなければダメではないでしょうか。

それには、貿易や安全保障の問題が関わってくることはもちろんですが、基本的には、私た
ちが信じ合える間柄になることが先決です。もっと具体的に申し上げますと、韓半島の問題
は核を無くすよりも、無くした後どうするかという理想が目の前に描かれていかなかったら、
核を無くすことは難しいと思うのです。

その理想をあえて言うならば、韓半島が永世中立国になるということ、さらに私たちが望む
のは、東アジア共同体の構築です。いずれにしても、韓半島が統一され、南北が共存共栄の
関係になれば、日本にとっても大きな利益になることは間違いありません。例えば、日韓を
隔てる海峡に海底トンネルを通して、韓半島を経由してユーラシア大陸と直結されれば、そ
の経済的な利益は図り知れません。要するに、南北の統一、永世中立化、東アジア共同体の
確立、これが私たちの目指すところで、今の休戦ラインを平和ラインに変えて、ここに過去
の人間の愚行を展示して、世界平和を発信する特別の地域にすれば良いと思うのです。


政治家とかお役人というのは現実の問題にとらわれて理想論とくっつけることがたいへん
不得手です。


大脇準一郎 最近は日韓両国の文化交流が盛んになり、日本では〈ヨン様ブーム〉が起こっ
ていますが、これについてお話下さい。

金容雲 その通りで、日本にとっても切実に韓国の安定を必要としてきたことを、戦後60年
にして、やっと実感として理解できるようになったのではないでしょうか。例えば、日韓両
国の文化交流というのは、考えていたよりもっと大きな意義を持っていますが、政府がやっ
ていること、政治家とかお役人というのは、現実の問題にとらわれて、理想論とくっつける
ことが不得手です。とくに、政治家の場合は〃選挙〃というものがありますから、先ずもっ
て選挙民のことを考えなければならなくて、理想論を展開することは容易でありません。

けれども、市民同士の文化交流は「良いことは良い」というふうにはっきり言えますし、そ
れを実践することも容易で、そういう雰囲気が日本でも興り韓国でも興ってきました。

具体的には、私たちの『日韓文化交流会議』が、今から五年前に発足したとき、第一回目の
会議で、日本側の代表である平山郁夫さんが「私たちの目標をどこに定めるか」という問い
を発しました。

そこで〈どうすればいいか〉が議論された中で、平山さんが提案なさったことは「私がいま
切実に望んでいることは、北朝鮮にある高句麗古墳の壁画を、ユネスコ(UNESCO国連教育科
学文化機関)の文化遺産に指定する運動を展開することです。私も一生懸命に努力するが、
韓国の人々も一緒にやろうではないか」ということでありました。これの提案を、韓国代表
の私が受けて「いま韓半島には休戦ラインがあって、これは韓民族にとって悲しみの象徴で
ある。けれども、戦後50年あまり過ぎてみると、あそこの自然環境は、世界でも珍しいくら
い人跡がぜんぜん入っていない。あの生態系を世界の自然遺産にしようではないか」という
ふうに提案しましたが、この二つが『日韓文化交流会議』の最初の提案でありました。


平山さんは自分で費用を負担してまで高句麗古墳を世界遺産指定に尽力をされたのです。

この提案というか、われわれの夢は、単なる美術史だとか歴史的なものではなくて、平和の
問題に大きく関わってくるわけです。具体的には何が問題かというと、高句麗の古墳が世界
遺産に指定されるには、二つの条件を満たさなければなりません。その一つは、付近にある
軍事施設は排除しなければならないのですが、あの高句麗の古墳がある一帯は、南に照準を
定めた北朝鮮の高射砲陣地だったわけです。もう一つは「遺産を世界に公開しなければなら
ない」ということ、つまり「見たい人に自由に見せなければならない」ということが指定の
条件となっており、それを平山さんは承知の上で提案されたのです。さらには、もう一つの
重要な意味がありまして、平山さんが成された仕事というのは、本当の文化交流のあり方を
示しています。それは何かというと、北朝鮮にあるものを、たとえ韓民族の文化遺産である
と言っても、私たち南に住んでいる者が積極的に関与して、それを世界文化遺産に指定する
ことはできません。しかも、北朝鮮は国際的な外交舞台での発言権はほとんどない状態です
から、あの高句麗の古墳が、時間とともに破壊されて、一刻も早い保存作業が必要だったわ
けです。それを、平山さんはユネスコの文化遺産指定に関する顧問として、文化交流という
立場で、自分で費用を負担してまで、積極的に世界文化遺産の指定に尽力をされたのです。


日韓文化交流若者たちに生き甲斐を与えていく一つの道。

大脇準一郎 平山郁夫さんという人は、ご自分が広島の原爆体験をなさっているから、そう
いうお仕事には殊の外ご熱心です。

金容雲 平山さんという人は、世界の文化遺産を守るための仕事はもちろんのこと「世界か
ら戦争を無くすためには、私はどんなことでもします」とおっしゃっています。私たちはそ
の決意に感動していますし、北朝鮮も高句麗の古墳を世界文化遺産に指定してもらったこと
によって、一つの常識的な国になる道を踏み出したのでして、少なくともその里程標が出来
てくるのではないかという気がいたします。

実は、私たちは、中国の敦煌の古墳と、鴨緑江の北にある古墳と、日本の高松塚古墳の三つ
は、同じ文化史的な流れで、世界的な文化遺産にならなければならないという立場をとって
います。

それは、われわれみんな認めていまして、昨年、高句麗の古墳が世界文化遺産に指定された
後に、平山さんから「あの古墳の前で、日中韓の三ケ国で、アジアの美術に関するシンポジ
ウムをしたらどうか」という提案がなされましたが、われわれはぜひともそれを実現したい
と賛同しました。なぜなら、文化交流というものは、単なる文化的な交わりではなくて、お
互いに民族の未来を考え、日韓の平和を考え、若者に生き甲斐を与えていく一つの道であっ
て、いま私たちがそのことを認識するならば、日韓両国の共同目標ができるのではないでしょ
うか。

しかも、現実に日韓両国が協力をしなければできないことが数多くあって、日本はいままで
韓半島で何かの争いがあった場合、対岸の火事のように腕を組んで眺めてばかりいましたが、
そうではなくて、降りかかる火の粉は払い落とさなければならないわけです。そして、やや
もすると、戦前みたいな逆コースに走るような危険なものは、日韓両国で協力し合って排除
していこうではないかというのが、いまの私の考え方であります。


母の愛を通じて私たち兄弟同士お互いに理解し合うことが大事。

大脇準一郎 その問題に関連して、金容雲先生の発言の中で私が感銘したのは「母の愛の心を
 復権させよう」というご提案で、このことについて、詳しくお話下さい。

金容雲 ご存じのように、私たちは今、人類史的なたいへんな時代に生きておりまして、次代
を担う子zどもたちがどうなるか分からないような、非常に危険な時代です。その一つは、
中東のパレスチナ問題であり、もう一つは、北朝鮮の核の問題でして、この両者は人類の運
命さえも左右しかねません。例えば、パレスチナ問題について言いますと、あれは基を糺せ
ば兄弟というか、同じユダヤ系の母体から生まれ出ている文化でしょう。中東で生まれたユ
ダヤ教、キリスト教、イスラム教は、根っこは兄弟関係で、同じアブラハムの子孫であり、
同じ神を信じているにもかかわらず、人間の浅ましさで紛争が絶えません。

この問題を解決するには、もはや宗教とか教会とかに固執している場合ではなくて、母とい
う存在、その分け隔てのない愛の姿を通じて、私たちは兄弟同士、お互いに理解し合うこと
が大事ではないかと思うのです。しかし、兄弟愛というものは、ある場合には、他人同士よ
りも憎しみが与えられることがあって、しかも、イデオロギーとか宗教という蓑笠をつけて
しまうと、これはとんでもない酷いことになってしまいますが、それを解決するのは、私は
―母の愛だと思うのでして、要するに、問題解決のカギは母の心になるということです。さ
らに、今後の日韓関係を考えるうえで、私には一つの思い起こしたいことがあります。

それは、2001年に、天皇陛下が「桓武天皇のご生母が百済の武寧王の子孫であると『続日本
記』に記されていることに、韓国との縁を感じています」おっしゃったことです。私はもし
も機会があれば、日本の天皇陛下に、その〃オモニ〃を思い起こしながら、韓国にある武寧
王のお墓に参っていただければ、日本人と韓国人は一つになれるだろうと思うのです。そし
て、いま私たちが信じられることは何かというと、それは難しい哲学でも、経済的理論でも、
国際的力学でもなくて―オモニサランつまり、母の愛の偉大さだと思うのです。


いま〃オモニ〃という母親の愛の心ガ大切

とくに、日本と韓国はエビとカニのような似通った間柄で、どちらがエビでどちらがカニで
も構いませんが、昔は同じ民族であり、同じ言語と文化を共有しておりました。ところが、
いつしか違う言葉を使うようになり、文化も異なってきて、韓国語では母親のことを〃オモ
ニ〃と言いますが、日本でも天皇家が明治維新で京都から東京に移るまでは、宮中では母親
のことを〃オモウ様〃と呼んでいて、あるいは、母屋(おもや)という日本語も残っており
ます。あるいは、韓国語では愛のことを〃サラン〃と言い、人間のことを〃サラム〃と言い
ますが、いま私たちにとって何がいちばん大切かというと「オモニという母親の愛の心を、
日本でも復権してほしい」ということです。

これを、いま私が日韓両国でことさらに強調するのは、イデオロギーの問題ではなくて、歴
史の問題でもなくて、基本的な意味で、愛の心はお互いにとって大切だからです。ただし、
愛というのは、このように美しく大切な言葉ですが、ときには醜い形をとることがあります
し、毒に変質することもあります。例えば、一九五〇年の朝鮮戦争では、南(大韓民国)と
北(朝鮮民主主義人民共和国)の同族同士がお互いに愛国心で戦いましたが、今考えてみる
と、あれはナショナリズム(nationalism国家主義)の愛国心でなかったかと思います。もし
も、あのときに、このような偏狭な愛国心ではなくて、それを超越したところの〃オモニ〃
の愛であったならば、兄弟同士で戦うことはなかったと思うのです。


サランヘヨ(愛しているよ)」を連発するものだから参ってしまった。


大脇準一郎 それから、最近は ―ヨン様ブームとか言って、一つの映画がきっかけになっ
て、日韓の民間交流が盛んになっていますが、これについて一言お願いします。

金容雲 初めは『冬のソナタ』という韓国映画がきっかけで〈ヨン様ブーム〉なるものが起
こったのですが、なぜあのように多くの日本女性、とくに年配の女性の心を捉えたのでしょ
うか。実は、あの世代の日本女性は、結婚のときに男性から、ストレートな愛の言葉を受け
ていないということがあります。日本には昔から「目は口ほどにモノを言い」 とか、ある
いは「忍ぶ恋路」という表現があるのを考えても解るように〈胸中の想い〉を口先で相手に
伝えない〈沈黙の美〉が尊ばれてきました。ところが、ヨン様のような美男が現れて「サラ
ンヘヨ(愛しているよ)」を連発するものだから、そういう雰囲気を知らずにきた女性たち
が、コロリと参ってしまったのではないでしょうか。ただし、このブームがいつまで続くか
は疑問で、人間というのは飽きっぽいところがありますし、ヨン様だって、日々、年を取っ
ていきます。そこで、私が願うのは、日本人と韓国人の間で、サラン(愛)という言葉の本
質への理解が深まることです。つまり、単にドラマの上での話だけではなくて、この危機的
な国際情勢を打開する上で〃サラン〃というものがどんな意味を持つのか、その可能性につ
いて、私たちは真剣に考えなければならないということです。

憎しみというものは民族同士で伝えられていくと相手と絶え間のない攻撃抑圧が繰り返されます。

それじゃ、これまで日本はどうして、韓国に〃サラン〃の想いを持てなかったのでしょうか。
〃サラン〃の反対語は〃憎しみ〃で、これは人を害し、歴史を歪め、物事を否定的に展開さ
せる要素ですが、いったいいつ頃から日本は韓半島に憎しみを抱くようになったのでしょう
か。歴史をひもとくと、飛鳥時代の六六三年、倭朝廷は百済を助けるために、大軍を韓半島
に派遣しましたが、唐と新羅の連合軍に大敗して、そのときの怨み辛みはたいへんなものだっ
たと思います。そもそも、どうして新羅(しらぎ)と呼ぶのかと言いますと、一般的な法則
として、韓国語が日本語に変わるときは、言葉が短くなるのでして、例えばクルムがクモ
(雲)に、シルムがスモウ(相撲)になりました。この伝に従えば、新羅もシルラから〃ル
〃が抜けてシラと言うはずなのにシラギと言うようになったのですが、韓国語では憎らしい
場合、語尾に〃ギ〃を付けますから、シラギと言うようになったのは、それほど憎んでいた
ということです。

その一方で、なぜクダラ(百済)と呼ぶのかというと、最初に奈良で国造りに貢献をした帰
化人が、自分の故国のことを偲んでクンナラと言ったのが、訛ってクダラになったと言われ
ています。このように、百済とか新羅とかいう言い方の中には〈百済愛おし〉〈新羅憎し〉
という思いがこもっていまして、それが日本歴史に連綿と流れてきたのではないでしょうか。
憎しみというものは個人の場合でもさりながら、民族同士で伝えられていくと、相手と絶え
間のない攻撃、抑圧が繰り返されます。今日の中東におけるイスラエルとパレスチナの問題
も、もともとは兄弟同士の関係ですが、それが憎しみの連鎖になってしまったということで
はないでしょうか。


どうせ弓を射るなら的は大きくなければダメです。

大脇準一郎 それから、西原春夫先生が、この前に『日本の新たな平和国家戦略』というこ
とで「若者たちを元気にするには、彼らが奮い起つような夢を与えなければならない」と話
されましたが、いま日本が直面していることは、どのようにして国の誇り、価値観を創造す
るかが最大の課題だと思うのですが、それに対するご意見をお聞かせ下さい。

金容雲 現在の私たちにとって一番大事なのは、日本と韓国で理想を共有することではない
でしょうか。いま日本の若者たちは元気がなくて、仮に理想があったにしても、それはキャッ
チフレーズでしかない現実を、どのように改めるかが求められているのではないかと思いま
す。例えば、ボランティア活動にしても、両国が個々にやるのではなくて、お互いに資金を
出し合って、日韓共同でやったらどうでしょうか。

例えば、いま北朝鮮問題解決のために『六ケ国協議』をやっていて、核の問題解決に的を絞っ
ていますが、この問題というのは、韓国の平和の問題であり、同時に統一の問題でもありま
す。このように考えますと『六ケ国協議』での話合いは、単なる核の問題ではなくて、韓半
島の永世中立と、東アジアの人々が共通の意識を持ってやることにつながってくると思うの
です。これは、六ケ国が出てきて、同じ的を狙っているのですけれども、アメリカは核だけ
の的を狙っているかも知れませんが、同時に、どうせ弓を射るならどこに当たっても連動す
るように、的は大きくなければダメです。同様に、私が言うところのボランティア活動は、
日韓両国だけではなくて、できるなら中国も入り、アメリカやロシアも一緒になって、世界
的規模でのボランティア活動をする方向に進めるべきではないかと思うのです。


中国を「日韓中で共同の夢を見る」という枠組みに取り入れることが可能か?

質問者 李鋼哲 氏 ―総合開発研究機構研究員―
世界的なグローバリゼーション(globalization世界化)の流れの中で、東アジア、あるいは、
北東アジアでも共同体意識が芽生えて、経済的にはすでに日韓両国を中心にして相互依存関
係が強化され、人的交流も活発化しております。しかし、歴史的にはいろんな問題を抱えて
おりまして、中国はかつて―華夷秩序なるものを作りましたが、その後、日本が近代化に成
功して、韓半島、中国を侵略しました。

そういう歴史的印象が強く残っている間に、戦後六十年がたちましたが、これからはどんな
方法で、東アジア共同体、あるいは、北東アジア共同体を形成していくかが命題になってお
ります。そういう中で、いま金容雲先生がおっしゃった「日韓で共同の夢を見る」という命
題がありますが、同様に、いま巨大化している中国を共同体の中に取り込んで「日韓中で共
同の夢を見る」という枠組みに入れることが可能なのかどうか。そして、こういう方向を目
指す場合、どんなアプローチ(approach働きかけ)から、その方向を示していくべきかとい
うふうなことについて、先生のご意見をうかがいたいと思います。


韓半島の地政学的条件は世界史的な宿命を背負っている。

金容雲 EU(欧州共同体)という欧州的秩序には、永い歴史がありまして、例えば、キリ
スト教文化圏を形成していたり、ローマ法王庁があったりしますが、これに対して、アジア
的秩序というものはありませんから「EUに倣って東アジア共同体を作ろう」というわけに
はいかないと思います。

李鋼哲先生が話された『華夷秩序』というのは「礼をもって互いに付き合っていく」という
老子の教えが基本にありました。 ところが、これほど科学技術が進み、産業化が進んだ時
代に、かつての『華夷秩序』を持つことは絶対に不可能だと思います。したがって、いま私
は「いかにして東アジアが今日のような状況になったのであろうか」という現実を見ていき
たいと思います。先ず第一に、古い時代から今日まで、いつの時代においても、東アジアで
争いが起こった原因は韓半島にありました。古いところでは、663年に、倭(日本)と百済の
連合軍が、新羅と唐の連合軍と戦っていますが―韓国の地政学的条件というのは、そのとき
に運命体タイプができたような気がします。

そのつぎに、豊臣秀吉がやってきたとき(文禄・慶長の役=韓国では壬辰倭乱・丁酉再乱)
には、明(中国)が出兵しています。東学党の乱(1894年)のときにも清が出てきて、国を
賭けて応援したために、それがきっかけで国が潰れております。また、韓国動乱(1950〜53
年)で、国連軍(実質的にはアメリカ軍)が南の応援にやって来たときに、北の応援に旧ソ
連軍が出てきまして、あの38度線の歴史というのは、単に1945年に始まったのではなくて、
豊臣秀吉のときすでに、明と秀吉の間で「韓半島を38度線で二つに分けよう」という話が出
ております。したがって、いわゆる韓半島の地政学的条件というものは、世界史的な宿命を
背負っていると、私は考えております。


「中国は敵対的勢力が韓半島を支配することは絶対に許さない」

たまたま、サミュエル・ハンチントン(ハーバード大学教授)は「500年ほど前、アメリカの
カウボーイは馬に乗って西部を目指し、ロシア人は馬に乗ってシベリアに向かって東進した」
と言っております。しかも、これは明白なキリスト教的使命感を持って、他宗教、他文化圏
に入っていったのであって「このような文明の衝突というのは必然的である」と、彼は言っ
ておりますが、私は「これは驚くべき慧眼である」と評価します。

その点から言うと、韓半島の問題は世界史的な問題であって、これを解決するのには、私が
先ほど言った『六ケ国協議』に持ち越さなければならないと思うのです。しかも、この『六
ケ国協議』というのは、単なる核だけの問題ではなくて、世界平和の基礎作りをする意味で
重要私自身も、この『六ケ国協議』は、核の問題だけで終わるとは思っていなくて、その後
は経済援助もしなければならないし、中国の思惑(おもわく)も出てくるだろうと考えられ
ます。それに、いままでの歴史を振り返ってみると、はっきり言えるのですが「中国は敵対
的勢力が韓半島を支配することは絶対に許さない」というところがあります。ご存じのよう
に『朝鮮戦争』のときには、中華人民共和国を樹立(1949年)してわずか1年目で参戦して
きました。手榴弾を一箇ずつを持った百万の軍隊が、鴨緑江を渡って、近代装備をしたアメ
リカ軍と戦い、38度線まで押し返しました。この事実から推測すれば、もしや韓半島に戦争
が起きた場合には、核が使用されることは間違いなくて、韓半島は全滅をしてしまうのでし
て、このいままで持っている〈歴史的負の財産〉を、変えていく時期に来ていると私は思う
のです。


韓半島が不幸になったときには日本も不幸。

昨今は、いわゆるIT革命が起きて、世界の情勢がこれに絡んでまいりましたが、未だに―
国民国家の理想―民族的自尊心といったナショナリズム(nationalism;国家主義)は残って
おりますが、先ほど李鋼哲先生がおっしゃったように、経済的には世界の先進国に肩を並べ
ております。

そこで、何を求めていくべきかというと、世界的な一つの大きな理想、大きな仕事をさせる
ところのソフトウェア(softwareプログラム)が必要だろうと私は考えております。

したがって『六ケ国協議』が世界平和のために、先ずなすべきことは―韓半島の永世、東ア
ジア共同体の形成であって、この問題を同時に解決しなければならないわけです。しかも、
それはEUのような発想とは異なって、先ず私たちの歴史を振り返ってみる必要があるので
して、結局、韓半島が不幸になったときには、日本も不幸になっております。例えば、原爆
投下一つを考えてみましても、日本陸軍の軍用船は、まず広島(呉)と長崎(佐世保)から
韓半島に向けて出発しておりまして、そこに原爆が投下されたというのは、私は非常に象徴
的だと思うのです。その原因を基本的に直すことを『六ケ国協議』でもって、他の問題と一
緒に合議してほしい。何が平和のカギになるかを、真剣に討議してほしいと、私は願ってお
ります。


未来を予測する必要がある。

もう一つは、この時代は世界のあらゆる問題が複雑に錯綜しており、何よりもIT革命によっ
てカオス(chaos混乱)が生じています。要するに、情報革命によって、いろんな情報が一日
にして世界中を駆け巡る世の中というか、どんなに小さい出来事でもたちまちにして全世界
に波及するわけです。

このことは、ときには不幸を呼び起こすことになるかも知れませんが、善意を作り出すこと
もありうるのでして、たとい小さなことであっても、善意が一つ一つ重なってくると、私た
ちの東アジア共同体の形成というものが可能になってくるのではないでしょうか。しかも、
この東アジア共同体というのは、韓国の問題だけではなくて、日本の問題でもあって、それ
は、短い時差をおいて、韓国の不幸が日本の不幸につながるということです。

そういった未来を予測するためには、われわれは歴史からいろいろ学ばなければならないの
ですが、その意味で、近代に入って、日本においては岡倉天心、中国では孫文、韓半島では
安重根(アンジュングン)たちが―アジアは一つと言って、東洋思想を昂揚しましたが、こ
ういう先達の思想を改めて吟味して、われわれの辿るべき道を探り、未来を予測する必要が
あるのではないかと思います。


それぞれが礼を尽くして交わっていく限り平和は保たれる。

ところが、私がこのことを韓国で言うと、周りから非常に警戒されます。

それというのは、岡倉天心の場合「彼の言う〈アジアは一つ〉というのは、日本の世界進出
という目標を前提にしているのではないか」というわけです。それを受けて、孫文は王道と
覇道という二つに分けて「日本の大アジア主義というのは、覇道的なアジアを目指している
が、そうではなくて、王道的な東アジアに戻ろう」と唱えたというふうに反論するわけです。

これは、先ほど李鋼哲先生がおっしゃった『華夷秩序』に戻ることになるかも知れませんが、
決してそうではなくて、このことは〈国が大きいとか小さい〉とか〈力があるとかない〉と
かいうことは問題ではなくて「一つ一つ、みんなが対等になっていく」ということで、その
意味で、私は一人の韓国人として、いま中国で行われている東北工作は、非常に警戒してお
ります。それは、孫文の言うところの覇道主義であって、彼が心配したところの「覇道的な
考え方に後戻りするのではないか」という意味であります。最近、面白いことがあったので
すが、中国の論文を読んでいたら「日本から遣唐使が36回やってきた」と書いてありました。
 実際には、そんなに多いはずはなくて、史料によるとせいぜい20回くらいだと思うのです
が、なぜ36回と数えたのかと疑問に思って調べると、半数近くが渤海(8〜10世紀、中国東北
地方の東部に起こった国)に行っていまして、これを計算に入れていたみたいです。要する
に、日本の右翼の存在も非常に危険だと思っていますが、同時に、中国も大国としての矜持
を持ってほしいのでして、単なる中華主義は危険だと思います。正しい意味での華夷秩序と
いうのは、大国は大国なりに、小国は小国なりに、それぞれが礼を尽くして交わっていく限
り、平和は保たれるのではないかと確信します。


国には大中華思想、韓半島には小中華思想、日本には大和精神なる中華思想がある。

李鋼哲 われわれはいま、華夷の秩序を改めて勉強するのではなくて、そこから教訓を読み
取らなければならないということで、その意味で、私は東アジア共同体を目指す上では「先
ず意識改革が必要である」と考えております。その中で、問題の一つは中華思想ですが、東
アジアの国々は、形は違うけれども、それぞれに中華思想を持っていると思うのです。敢え
て言えば、中国には大中華思があり、韓半島には小中華思想があり、日本には大和精神とい
う名の中華思想があるのではないでしょうか。このような自己優越的な意識の変革をしない
かぎり、共同体を育むのは難しいと思います。

金容雲 その通りですが、不幸にして、どこの民族にも、どこの村(邑)にも「己(おら)
が村」という気持ち、郷土愛というものはあって、これが外に出て行けば「己(おら)が国」
ということになっていきます。そして、19世紀の日本が近代化する時期がたまたまナショナ
リズム(nationalism国家主義、民族主義)の台頭と重なって、国民国家を形成していったの
ですが、このナショナリズムの矛盾が、第二次世界大戦の惨禍をもたらしました。そして、
これはすでに1945(昭和20)年に終わっているはずで、あの第二次世界大戦というのは、本
当に意味のない無益な戦争でした。


和の精神をいかに高めていくかに人間社会の未来がかかっている。 

この戦後六十年を、いま改めて考えてみますと、思想的に〈兄弟愛〉というものが通じなく
なって〈より深い愛〉というものが必要になってきております。ということになると、世界
思想というか―世界は一つと考えていくような大きな思想は、あまりにも漠然としているの
で、私は―オモニ(母)の心と言いましたが〈より深い愛〉が必要ではないかと思うのです。
そして、これは日本にも中国にも韓国にもありますが、突っ込んで言いますと―和の精神
(思想)を、いかにして高めていくかに人間社会の未来がかかっていると思うのでして、こ
れは、単なるイデオロギーではありません。昨今は、東アジア共同体、あるいは、東北アジ
ア共同体の議論が盛んですが「日本も韓国も中国も、いま為政者がやっていることは、ちょっ
と間違った方向に力を注いでいるのではないか」というふうに思います。この矛盾を正すと
いうか、本来の姿に戻すのは市民しかいないわけで、もともと政治家というのは「己(おら)
が村」「己(おら)が国」つまり、選挙区しか頭にないわけです。それをコントロールして
いくのが、新しい市民思想であり、市民の連帯でして、それを乗り越えていったところの、
より普遍なものが大事ではないかというふうに思います。そして、この―普遍なものという
のは、イデオロギーでもない、宗教でもない、人類としての共同体意識を持つこと、いまは
そういう時代で、ある意味では、私たちは非常に生き甲斐のある歴史の転換期に生きている
というふうに思います。(文責:栗山 要・大脇準一郎)

           この人に聞く・ 『未来構想BBチャンネル』より素書き編集

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パーソナル・データ金容雲(キム・ヨンウン)氏。1929年、東京生まれ。‘47年、早稲田大
学を中退し、解放後の韓国に 帰国。’58年、渡米。カナダのアルバーター大学から位相数
学で博士号を受ける。‘69年帰国し、漢陽大学で教鞭を執る。韓国の 著名な数学者、文明
評論家であり国際日本文化研究センターなどで客員教授を務めるなど、たびたび来日。前韓
国MBC放送文化振興会理事長。

著書:『韓国人と日本人』『「かしこ型」日本人と「かちき型」韓国人』など多数あり。


日韓関係はどうなるか?

東アジア共同体実現への提言

未来構想(日本の文化人)への期待)