「日鮮同祖論」を通してみる天皇家の起源問題

2.「日鮮同祖論」の特徴

2.「記紀」神話の歴史主義的解釈の両義性 

 前近代に遡って、日本の「記紀」神話、いわゆる神代史の解釈を調べてみると、そこには三つの流派の解釈が存在したことが分かる。

 一つは、「記紀」神話に書いてあることはどんなことであっても神域のことであるから人智を以って量るべきではなく、そのまま信じるべきであるという本居宣長一流の解釈であり、国学者・神道家たちが一般的にこのような立場を取り、近代に至っては国体論、皇国史観の「記紀」神話観がこの流れを踏襲していた。このような解釈の場合、「記紀」神話の不合理性を無理に合理的に解釈せず、そのために神話本来の固有の価値を認めるという側面があるが、「記紀」神話を神典化、絶対化したために、そこからは「記紀」神話に対する自由な研究と批判の可能性がなくなってしまった。

 次の一つは、「記紀」神話に書いてあることはそのまま歴史的事実ではないが、その根本には歴史的史実が比喩の形式を以って表されているという新井白石一流の解釈であり、「記紀」神話に対するこのような歴史主義的解釈は明治期の文明開化とともに「記紀」神話に対する合理的解釈の手段として多くの学者たちに支持された。「記紀」神話に対するこのような歴史主義的解釈はもちろん学者によってその取り組み方は異なっていた。星野恒と久米邦武ら初期官学アカデミズムの史学者のように「神は人なり」という江戸時代の新井白石一流の神代史観をほぼ無批判的に継承した結果、その日本人種論、同祖論が牽強付会の感を免れなかったものに比べ、人類学・考古学の知見を視野に入れながら「記紀」神話から慎重に歴史的事実の痕跡を読み取ろうとした三宅米吉・島居龍蔵らの歴史王義的解釈にはそれなりに合理性が認められるところである。

 もう一つは、「記紀」神話に書いてあることは実際に存在したことではなく・造作したことであるという江戸時代の町人学者山片幡桃一流の解釈である。このような解釈は近代の神話解釈により近いものであった。

 以上の三つの流派の「記紀」神話の解釈はそれぞれ長短点を備えていたわけであるが、どちらかと言えば、本居宣長一流の神話解釈が近代の絶対的天皇制の確立とともに戦前までの国家の歴史教育に取り入れ、正統的神話観となったのである。

 ところで、「記紀」神話の歴史主義的解釈は山片幡桃一流の造作説とともに「記紀」神話を神典化、絶対化せず、合理的批判と自由な研究を可能にした面が評価できる。

 同祖論者たちの場合、横山が「記紀」の天孫降臨神話は海外より渡来した「天神ノ子孫タル人種」が「旧住ノ土人」を支配するために作り出したものである説き、山路に至っては「記紀」神話に皇室の権威を求めることに反対し、皇室の権威は国民の意思に由来するという民権論を提唱した。組めは「記紀」神話に基づいて日本人は同じ神の子孫であり、他人種を交えない単一民族であるとする保守的な国体論者たちを真正面から批判した6)。久米は1893年に「神道は祭天の古俗」という論文を発表したことで保守派の激しい反撥を買い、東京帝国大学の教授の地位を追われたこともあったが、この論文の中で久米が日本の特殊な精神文化と言われた神道が日本だけの固有の習俗ではなく、万国に共通するところの祭天の古俗に過ぎないということを論証したのも、このような批判精神の所産であった。後述するように、保守的な国体論者・神道家たちが「記紀」神話の歴史主義的解釈に懸念を示し、場合によっては激しい反撥を見せたのは正にこの点にその理由があった。「記紀」神話を日本人種論の研究対象にし、それに合理的な解釈を加えたことにより、「記紀」神話はこれ以上神典にはなりえず、天皇家の外来説、特に朝鮮半島起源説が盛んに説かれる中で、「記紀」神話に由来する天皇の神格は否定されかねないものになってしまった。この点を「記紀」神話を歴史主義的に解釈した人々、特に同祖論者たちが最初から意識したかどうかは不明であるが、結果として近代天皇制と国家神道の精神的基盤である「記紀」神話を神聖な地位から引き下ろし、そのような意味では「記紀」神話の崩壊をもたらしたと言える。

 それでは、同祖論者たちが国体論者たちと全く性質の異なる反国体論者であるかといえば事実はそうではない。同祖論者たちはいずれも明治期から戦前にかける日本のエリート層であり、いわば近代天皇制を支える体制側にいた人々である。そうすると、国体論と同祖論を全く対立的ものとしては見ることが難しく、むしろ同じ近代天皇制の土台の上での「記紀」神話観、天皇観、民族観などの相違ないし対立として理解するのが妥当であろう。

 星野恒が1891年に発表した論文「上古ノ事跡ハ務メテ人事ヲ以テ観察スベシ」という論文の中で、「記紀」神話、即ち神代史を歴史主義的観点から理解する必要性を強調していたが、そうすることによって抽象的な神々ではない人間味を持つ実在の皇祖の「盛徳偉功」をより明らかにし、そこから天皇に対する尊崇の念も自ずと生じてくるという考えによるものであった7)。同祖論者たちの「記紀」神話観を一概に同一なものとして理解することは難しいが、文明開化の進んでいる近代社会において、天皇を原始的神秘性を持つ「司祭王」としての神格的な存在としてではなく、超越的政治力を持つ英適な君主として理解しようとした点において共通性が認められる。事実、近代天皇制の下で天皇は以上の両方の性格を備え合わせていたものであり、そのどちらかに重きを置くかによって論者の論点が異なって見える。それでは同祖論者たちの「記紀」神話観を彼らの民族観・天皇観と合わせて考えてみよう。


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