「日鮮同祖論」を通してみる天皇家の起源問題

2.「日鮮同祖論」の特徴

1.学説としての同祖論 

 学説としての同祖論は明治期の日本人種論における「人種交替説」の影響を大きく受けたものであり、同時に日本に古くから存在した同祖論的言説の流れも汲んでいた。そしてこれらの学説は程度の差こそあるが、文献以外にも当時の人類学・考古学・民族学・言語学などの知見を視野に入れて展開されたものであった。

 そして同祖論は、日本と朝鮮は民族的に深い親縁関係があり、彼らが「天孫」「天孫族」と呼んでいた天皇家に代表される日本の古代支配層が朝鮮半島より渡来したという点において結論がほぼ一致していた。日本と朝鮮が民族的に親縁関係にあるというのも、日本の古代支配層の朝鮮半島渡来を前提にした主張であった。ただ、天皇家の祖先に代表される日本の古代支配層が朝鮮半島より渡来したという主張は保守的国体論者、神道家たちによる感情的反論が強かったために、この主張は最初からあいまいに表現され、同祖論が日本の朝鮮に対する併合と植民地支配を合理化するイデオロギーとして社会的に宣伝される中でこの点はさらにぼやけ、同祖論とは日本と朝鮮の親縁関係を説きながら、神話時代の日本の神々の朝鮮半島支配を主張し、任那日本府などに見られる日本と朝鮮に対する優位関係を説く論調として一般に認知された。

 「記紀」神話を歴史主義的に解釈したことも同祖論のひとつの特徴であり、同祖論が日本で古くから説かれてきたのも正にこの点によるものであった。すなわち、「記紀」の神話・伝説から歴史の痕跡を読み取ろうとした場合、必ずと言っていいほど民族起源論に関する議論が生まれ、天孫降臨神話など朝鮮半島と関連する伝承を根拠に天皇家の祖先に代表される日本の古代支配層の朝鮮半島起源説が説かれたのである。


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