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神話時代からの日韓交流史(2)

「高天原故地」の峯から歴史を展望する

今日の韓国では観相家<クワンサンカ>と呼ばれるが、日本と同じように 

 今日の韓国では観相家<クワンサンカ>と呼ばれるが、日本と同じように占い師に運勢をみてもらうことが広く行なわれている。「火災<ハジエ>」とか「水災<スジエ>」の相が現われているといわれることになるのだが、私はしばらく前に「官災」の相があるといわれたことがあった。私の場合、観相家の託宣が当たったかどうかは差し置いて、いまだに李氏朝鮮の軛<くびき>が国民を苦しめているのだ。

 李朝では警察、司法、徴税権および水軍節度使を兼任する「監司<カムサ>」、または「観察使<クワンチャルサ>」とも呼ばれたが、相場が壱百万両で公然と売買された。買官者は元金を取り戻すために、際限もない搾取を繰り返さねぱならなかった。

 現代の韓国でも、大学教授の地位から、軍の階級の星の数までが売買の対象となっていることがしばしば暴露されることがあって、社会問題となっている。李朝では賄賂と搾取の手段は、本人ではまずいから、閤夫人<パフプイン>と呼ばれた妾が担当する仕組になっていた(今日の韓国でも、夫人たちがしばしばその役割を演じている)。閤夫人とは、監司宅の入口の両脇に部屋があって、その両側に別々の妾が住んでいたことから、そう呼ばれた。

 閤夫人に賄賂などを集めさせ、たとえ妾が法に触れて獄に行く場合でも、監司が全権を握っているから、直ちに釈放した。監司が上役の勢道家に上納する賄賂のことを、「薬債銭<ヤクサイセン>」といった。

 薬債銭は本来は薬代のことだが、李朝では上役への賄賂を意味した。買官によって出世しても、身分に不安を感じないように、上役に定期的に金子を贈った。

 これは今日、韓国で用いられている、「モチ代<トツカプ>」という言葉に似ている。金泳三政権の時に、有力な国会議員に数億ウォンを受け取った収賄容疑がかけられて、検察当局によって調べられたが、本人が「モチ代」にすぎないと釈明して、放免されたことがあった。この時には、韓国のマスコミが「政治家はずいぶんとモチを食ぺるものだな」と揶揄した。


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