神話時代からの日韓交流史(2)

「高天原故地」の峯から歴史を展望する

元均が死んだ後に、李舜臣は再び水軍統制使に任じられて、奮戦した 

 元均が死んだ後に、李舜臣は再び水軍統制使に任じられて、奮戦した。日本海軍を撃滅したが、戦闘中に流弾に当たって、その生涯を閉じた。

 李氏朝鮮は文字通りに、悪政の権化であった。

 李朝は民衆の生存も、生殺与奪の対象とし、その度々の政権に盲従する士大夫たちが専横を働いて、不労所得と賄賂に浸り、搾取と掠奪権を行使して、国としての経済をまったく無視した。

 この李朝の悪しき伝統が、今日においても連綿と続いていることは否定できない。世界のなかで二十一世紀に入る現在、最高権力者による専制的独裁がまかり通っているのが、韓半島であることも、李朝の遺産であろう。

 李朝の悪政は、民族の原型を木端微塵<こっぱみじん>にした。韓族の自尊心を抹殺し、容易に癒されない韓国病<ハングクビョン>を植えつけた。

 李朝最大の罪科は勤労軽視と、朱子学を奉じて一族郎党を両班階級にして、腐敗した勢動政治を常態として、常民とその下の民衆と、女性を奴隷化したことである。そして人の財産を没収するか、賄賂で賄うということを、いささかも反省することなく、繰り返した。

 王と王族、士大夫は数百人の妾女を持ち、彼女たちの管理を内侍部の宦官に委ねた。

 民衆はつねに官によって搾取されて、塗炭の生活に苦しみ、王朝は貪官汚吏たちによる売官買職と、阿諂<あゆ>の地獄に転落した。今日でも韓国には「官災<クワンジェ>」という言葉があって、官災除けのお守り札すら売られている。「士禍」とともに、それに相当する言葉が日本語のなかにないのは、興味深い。日本では役人が清廉であるという伝統があったのだろう。もっとも近年では、大蔵省や、厚生省や、文部省、防衛庁などの汚職事件が続発しているから、中国・韓国型になっているのだろうか。

 李朝を通じて法治社会ではなかったから、官は民を自由自在に苛めた。李氏朝鮮は今の中国と変わらない、人治国家であった。


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