神話時代からの日韓交流史(2)

「高天原故地」の峯から歴史を展望する

李朝は高麗朝を滅ぼすと、王位を簒奪した不正な行為を隠し 

 李朝は高麗朝を滅ぼすと、王位を簒奪した不正な行為を隠し、自らの正統性を国民に強要するために、高麗の明に対する独立性と、仏教制度をいっさい否定して、「崇儒排仏<スンユベブル>」をスローガンとして揚げて、新しい体制を導入した。儒教制度と、明、後に清に対して臣従することに基く事大主義は、国民として当然のことに堅持するべきだった創意と、独立心を昂揚する意欲を摘み取った。

 これは一九四八年に大韓民国が建国されると、反日主義を国是として日本統治時代のすべてを悪として排して、“親日派”――対日協力者を意味する――を敵視したのと似ている。歴史から冷静に学ぼうとしないために、日帝四十年間の時代についても、いまだに客観的な評価ができないでいるという声が、韓国の一部の識者のあいだで聞かれるのも、理解できる。

 今日でも、韓国において新旧の政権が交替すると、他の先進民主主義国家において当然のことになっている、継続性がない。新政権はつねに、前政権による業績を否定する。今、存在している政権こそ正しいのである。

 李朝は明の属国を自任して、韓族が一千年以上にわたって尊んできた宗教であった仏教を徹底的に弾圧して、儒教の朱子学を仏教に代えて、国学として迎え入れた。仏教は徹底的な弾圧を受けた。仏像や、仏寺が破壊され、僧侶や寺が山奥へ逃げ込んだ。その結果、一九一〇年以後になるまで、市街地や、平地には寺が存在しなかった。今日でも骨董屋で仏像をみかけると、頭がないものが多い。

 李朝は明を崇めて、「大中華<デチュンファ>」に対して「小中華<ソチュンファ>」であることを誇りにした。しかし、その明は不正腐敗によって蝕まれて、倒壊しかかっていた。李朝は中国を規範として尊んだが、秦の始皇帝が紀元前二一三年から翌年にかけて行なった焚書坑儒からも、漢の「党鋼の獄」からも、教訓をまったく学ぷことがなかった。

 今日の韓国は、成熟社会をつくることを目指して、創意を培って、新しい二十一世紀を迎えるべきであると思う。

 韓族は二回も中国と結んだ内通者によって、骨格が歪められたために、不治の病いである韓国・朝鮮病が伝播した。そして、韓族一人ひとりの人格を蹂躙した。

 韓民族はせっかく新羅から解放されたのに、李朝となると不幸なことに、もう一度、「慕華思想<モファササン>」という腐敗しきった甕のなかに、どっぷりと漬け込まれてしまった。このために、韓民族は正常に呼吸することができなくなった。李朝は中国の歴代王朝を滅亡させたのが、党争と宦官制度と儒教による腐敗の極致であったはずなのに、前後左右を顧みることなく、明の悪い制度をそっくり導入したのだった。そして国民を際限ないまでに苦しめ、残虐をほしいままにした。李朝のもとで、農民を中心とする国民は、人類史上で最悪の搾取を蒙ったといえる。

 党鋼の獄は、後漢の桓帝の時に宦官が跋扈して、反対党に属していた学者たちを投獄して、終身禁鋼にしたことを指す。中国では同じようなことが繰り返し起った。明朝を行き詰まらせたのが、宦官と腐敗した官僚による陰謀政治であった。その腐敗を批判した東林党と、非東林党の党派争いは有名である。


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