神話時代からの日韓交流史(1)

夢の「高天原故地」から韓国と日本を眺望する

三国時代は朝鮮半島が歴史的に何とも残念であり 

 三国時代は朝鮮半島が歴史的に何とも残念であり、悲憤慷慨しなければならない大事件によって見舞われることによって終わった。新羅による朝鮮半島の統一である。新羅は唐と結んで百済を紀元六六〇年に、高句麗を六六八年に滅ぼした。これは朝鮮半島に禍根を永久に残すことになった大事件であるが、今日の表現を用いてみれば、“無頼漢<ムレハン>(ゴロツキ連中)”が他民族の勢いを借りて、自分たちの民族国家を打倒したのだった。

 新羅は進んで唐の属国となった。このために民族性を矮小化させ、卑怯、利己主義、機会主義、事大主義を蔓延<はびこ>らせることによって、韓民族を転落させたのだった。

 新羅による統一は、外勢である唐と結託して、同胞の国であり、当時、アジアの強国であった高句麗と、世界の最高級の文化と芸術の国であった百済を不意討ちすることによって、滅亡させたものだった。民族反逆の末に、自らを唐の属国としてしまった。ここに韓国人の意識構造に、異常を招いた。

 もっとも、このような見方をするのは、私だけではない。李光沫が同じことを唱えた。李光沫は天才的な文芸家で、長編小説『無情』によって近代韓国文学の祖といわれているが、一八九二年に平安南道で生れ、日本の早稲田大学に留学した。一九一九年に三・一独立運動の推進者の一人として、独立宣言を起草した。李光沫は「春園」の号によって知られるが、一九五〇年に朝鮮戦争が始まると、ソウルから逃げ遅れ、北へ拉致された後に消息を絶った。この時に連行された知識人のなかで、ただ一人だけ反米文書に署名することを拒んだために、処刑されたといわれる。

 新羅が韓民族を唐に隷属させた後に、九世紀宋から十世紀初頭にかけて、新羅の混乱に乗じて、民族的な自尊心の再興を企てたのが、後百済と高麗朝であった。その後、十四世紀末に韓民族の進路をもう一度、歪めてしまうことになった大きな事件が起った。

 李王朝の成立である。李王朝も、卑劣な反逆集団であった。高麗の将軍であった李成桂が、かつて新羅が百済と高句麗を滅ぼしたのと、まったく同じ手法をもって、四百七十四年にわたった高麗朝を倒した。韓民族は再び中国文化の影響のもとに置かれることによって、民族性を歪められた。李朝五百年にわたって儒教の朱子学を一本建てにした跛行集団が、韓民族を統治したことによって、韓民族に不治の“両班病”を伝播した。そうすることによって、今日のおぞましい北朝鮮の畸形的な体制を生み、今日の韓国において国際的に物笑いの対象となっている不正腐敗をもたらしている両斑病が温存させた。


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