神話時代からの日韓交流史(1)

夢の「高天原故地」から韓国と日本を眺望する

昨年六月に加耶大学に付属する加耶文化研究所が主催して 

韓国・加耶大学客員教授 崔 基鏑

著者紹介
 一九二三年生まれ。東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶大学客員教授。一九九二年〜一九九七年、富山県日韓交流推進アドバイザー。


百済、高句麗、新羅の古代諸国と日本は、一体の関係にあった。それなのに、その後、両国の民族性がなぜ大きく隔るようになったのか。


 昨年六月に加耶大学に付属する加耶文化研究所が主催して、慶尚北道高麗郡高霊市において「高天原故地<コウチョンウオンコチ>」の石碑の除幕式と、伽耶文化と古代日本との密接な関係を探ることをテーマとする学術発表会が、韓日両国の著名な学者の参加をえて催された。

 高霊地方の人々は、近世に入ってから日本の神話伝説の天孫降臨の高天原の故地が、高霊にあるということを知って、誇りにしてきた。今回の「高天原故地」の石碑は、李慶煕加耶大学総長が私費を投じて建立したものだった。除幕式には六百人ほどの地元の有力者が参列して、盛大に行なわれた。

 加耶文化研究所は学術的な定期刊行物を発刊することと並んで、毎年、学術発表会を開催している。昨年の研究会では、伽耶と古代日本が一体であったということに光が当てられた。韓国では多くの大学に、伽耶、百済、高句麗などの研究所が設置されている。

 伽耶は古代朝鮮の国であるが、朝鮮半島南部にあった。任那伽耶、または意富<おお>伽耶として知られる高霊伽耶をはじめ「六伽耶」と呼ばれて六つの国があったが、新羅によって金官伽耶が五三二年に、意富伽耶が五六二年に征服され、残った小さな四つの伽耶諸国も新羅の支配下に入ることによって、歴史が新羅、百済、高句麗による三国時代へ移行した。


HOME