韓国に造成された高天原

名越 二荒之助

桓武天皇の生母に見る日韓のゆかり 

 今上陛下は昨年の誕生日を前に(十二月十八日)記者会見を行われた。「ワールドカップが日韓で共催されるに当って、韓国への思いなどをお聞かせください」という質問に対して、陛下は韓国から移住してきた人々によって、文化や技術が伝えられたことに触れられ、
 「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王〈むねいおう〉の子孫であると、続日本記に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く、この時以来日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られています」
 と述べれれた。

 この御発言は、「朝日新聞」と「産経新聞」が取りあげたが、他は掲載しなった。ところが、韓国の主要新聞は一面トップで大きく報じた。韓国最大の『朝鮮日報』などは、相変らず「日王」と呼びながらも、これまでに見られなかった天皇の踏み込んだ発言として、概ね好意的受けとめ方をしていた。中には韓国の学者たちの「桓武日王から四百年前にさかのぼる応神日王も百済系」とか「飛鳥地方の住民の八・九割は渡来人」とか、実証性のない発言を載せたものもあった。

 たしかに陛下が紹介『続日本記』によれば、光仁天皇(白壁王)と百済系の「高野新笠〈たかののにいがさ〉」との間に三人の御子が生れ、二番目が山部王で、後に桓武天皇となられる。高野新笠は「容徳淑茂にして夙〈つと〉に謦誉を著〈あら〉はす」とあるように、「人徳があり、容姿麗しく、若い頃から評判が高かった」のである。後に皇后に迎えられ、陵墓は現在も京都市西京区大枝沓掛町にある。


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