1939年8月6日、北海道帯広市に生まれ。京都大学法学部卒業。法学博士。
現在、筑波大学大学院名誉教授、早稲田大学アジア研究機構客員教授、東アジア共同体評議会副議長。アジア連合大学院設立準備委員会委員長

専門はアメリカ外交、国際公共政策。ジョンズ・ホプキンズ大学大学院、プリンストン大学客員研究員 ハーバード大学、ウッドロー・ウィルソンシニア・フェロー、日本公共政策学会副会長、21世紀政策構想フォーラム理事長 筑波大学社会科学系長、オックスフォード大学研究員 、筑波大学ワンアジア財団寄付講座「東アジア共同体」顧問

著書:『現代アメリカ外交序説』『現代紛争の構造』『現代国際関係学―歴史・思想・理論』『分割された領土―もうひとつの戦後史』『脱グローバリズムの世界像』『東アジア共同体をどうつくるか』 『国際公共政策―新しい社会へ』『アジア 力の世紀―どう生き抜くか』ほか多数。
進藤 榮一  国 際 ア ジ ア 共 同 体 学 会 代表


  2014 国際親善・平和友好のつどい    「アジア力の世紀―どう生き抜くのかー」

 2014年2月2日、大阪グリーン会館 進藤榮一(国際アジア共同体学会会長)

        講演の狙いと仕組み

 21世紀情報革命下のいま、「アジア力の世紀」が到来しています。アジアの
国々が一日経済圏を形成し、経済社会的な相互依存を深化させながら、「一つの
アジア」をつくる動きを進めています。尖閣や歴史問題を軸に日本が、中国や韓
国と対立し、国交回復以来「最悪の関係」に入っているにもかかわらず、グロー
バル化の中で「アジア地域統合」の動きが進展し続けるのです。上からの、覇権
国主導によるグローバリズムに抗する、下からの、地域主導によるポスト・グロー
バル化の動きです。

 いったいなぜいま、「アジア力の世紀」が到来し、地域統合が進むのでしょう
か。それにもかからずなぜ、領土歴史問題で対立抗争を深めるのでしょうか。そ
の対立抗争は、夫々の国の軍部タカ派とナショナリズムを刺激して、互いを、軍
拡競争の罠と「安全保障のジレンマ」に追い込んでいきます。私たちは、いかに
してその罠とジレンマから抜け出して、アジア共生の道を拓いていくことができ
るのでしょうか。

 一方で、グローバリズムに抗して「一つのアジア」をつくる経済社会的な動き
が進展します。他方で、その動きを阻んで、帝国とともに「戦うことのできる国」
をつくる動きがつくり出されています。講演は、進展するアジアの動向を、世紀
大の視座から読み解きことを狙いとします。その上で、アジア共生の仕組みをつ
くり、国境を超えて平和で豊かな社会を構築する、政策のかたちを明らかにする
ことを、もう一つの狙いとします。それは、進展するアジアの動向を世紀大で読
み解き、半世紀以上も続いてきた日米同盟と日米基軸論に代わる「もう一つのア
ジア」共生の仕組みをつくる作業です。以下、次の順で講演を進めます。
第一に、変化する世界の現実を、グローバル情報革命を手掛かりに明らかにしま
す。
第二に、その現実が、日米基軸論をそぎ続ける国際関係の変容を明らかにします。
第三に、その変容下で進展する、アジア地域統合の動きを明らかにし、尖閣とア
ベノミクスで揺れる日本の「もう一つの生きる道」を指し示します。

1 産業革命が世界を変える
・近代以来、三次の産業革命が、産業と世界の基本構造をつくり上げてきました。

1)19世紀産業革命は、国々が軍事力によって領土を拡大し、資源を収奪し、
 植民地化を進めるテリトリー・ゲームを、時代の基軸にしました。その基軸を
 大英帝国が担って、パクス・ブリタニカの世紀をつくりました。産業の主軸は、
 繊維産業など、資源労働集約的な軽工業です。
・しかし第三世界の国々の民族主義の台頭と独立が、ゲームの終焉を告げました。
 8・15と日本の敗戦が、それを象徴します。

2)20世紀工業革命は、国々が、生産性の最大化を競い合って大量生産に励み、
 大量消費し、大量廃棄するプロダクション・ゲームを、時代の基軸にしました。
 その基軸を大米帝国が担い、パクス・アメリカーナの世紀をつくりました。産
 業の主軸は、資本資源集約的な重厚長大型の重化学工業です。

3)いま、第三の産業革命としての21世紀情報革命が進展しています。その
 進展は、一方で産業の主軸を、マイクロエレクトロニクスやナノテクのような、
 知識情報集約的な軽薄短小型の産業へと変えます。第三次産業(サービス)部
 門が、第四次(金融、メディアなど情報処理)、第五次(学術やアニメ文化な
 ど情報創造)に三分化し、農は六次産業と化していきます。
・他方で、ヒトとカネとモノ、情報とテクノロジーが国境を超えて移動できる
 「全球化(グローバル化)」の世界を生みます。クルマは、ハイテク電装品の
 塊と化し、「一台のクルマが数か国で作られる」ネットワーク分業が、アジア
 で展開して、地域主義と地域協力の動きを台頭させます。

Ⅱ パクス・アシアーナへ

1)そのネットワーク分業の拡延が、モノとカネ、ヒトと技術の移転を伴い、ア
 ジアを中心に、新興国の台頭と発展を生みます。それを、生産様式のモジュー
 ル(部品接合)化が可能にし、加速させます。そして中国やASEAN、イン
 ドなどが、韓、台などとともに、相互に連携して繋がりながら世界経済を牽引
 する、「アジア力の世紀」をつくります。パクス・アシアーナの世紀です。

2)グローバルな情報革命はまた、先進国と途上国の格差を縮め、途上国世界に
 おける人口爆発を生み、地球温暖化を加速させます。「フラットで、クラウディ
 ドで、ホットな」世界が、プロダクション・ゲームの終焉を促します。3.11と
 福島の悲劇が、それを象徴します。3)いま求められているのは、持続可能性
 を最大化させる21世紀サステナビリティー・ゲームの道です。持続可能 性
 は、三重の共生をつくることを求めます。まず地球環境との共生、次いで近隣
 諸国との共生、そして市民の暮らしをつくる市民社会との共生です。

・産業の主軸は、知識情報集約的でありながら、同時に、環境共生的で、脱国境
的で、市民社会重視型への転換を勧め、国のかたちの変容を求めます。その転
換と変容が、台頭する「アジア力の世紀」の中で地域統合の動きを同時進行さ
せます。

Ⅲ 変容する国際関係
・アジア力の世紀は、大米帝国の力とイデオロギーに依拠した日米同盟の終わり
 を三様に促します。

1)まず主敵の喪失です。

・かつての主敵、ソ連は地上から消え(1991年)、中国は市場経済化してW
 TOに加盟し(2001年)日本の安全保障を脅かす脅威は、好むと好まざる
 とにかかわらず、著しく減退しました。
・たとえ「冷戦の孤児」(オーバードーファー)北朝鮮の「脅威」がなおも残る
 とはいえ、日本の安全保障を供与するものとしての、日米安保への需要は、国
 際政治市場にあって、著しく小さくなりました。

・確かに尖閣以来、日本のメディアや政府は、中国の軍事的脅威を喧伝します。
 空母遼寧の就役や10年以上に及ぶ国防予算の顕増が、230万の人民解放軍
 と150発の核弾頭や、第二次列島線や防空識別圏の設定とともに、中国の脅
 威の証左として強調されます。

・しかし、拙著で検証したように、米国軍・政府は、世界に250以上の基地を
 持ち、膨大な核兵器と第七艦隊を擁する大米帝国にとって、“軍拡する”中国
 が脅威でありえない現実を強調します。
・侵略の意図と戦略環境とを勘案すれば、中国脅威論は、かつてのソ連脅威論に
 もまして、虚構の脅威でしかない現実が明らかになります。脅威の相対的不在
 が、日米安保の需要を低下させていきます。

2)次いで基軸の変容です。

・情報グローバル化の進展は、現代国際関係の基軸を、ゼロサム的な軍事敵対関
 係から、ノンゼロサム的な複合的相互依存関係へと変容させました。
・私たちが見据えるべきは、「マック・ハンバーガーショップの支店のある国は
 互いに戦争しない」という「不戦の世紀」の到来です。先進国相互の戦争がペ
 イしない現実が進展し、テリトリー・ゲームが、歴史の後景に構造的に退いて
 いるのです。
・中国外交の動きに即していえば、鄧小平以後、特に胡錦濤政権が、平和発展路
 線と国際協調主義的な「新安全保障外交」を打ち出し、それを習近平政権が継
 受します。
・ブッシュ政権が始め、オバマ政権が展開する、米中戦略対話から米中経済戦略
 対話(UCESD)が、中国外交の国際協調主義の現在を象徴します。
・原理的にいえば、安全保障概念が、国家間の軍事安全保障から、国境を越えた
 非伝統的安全保障への転換を、求められ始めたのです。人民解放軍が、シーレー
 ン防御とともに、国連PKOや反テロ対策、災害救助活動に力を注ぎ続ける所以です。
・国連人間安全保障委員会が、その新しい動向を先導しています(1994年)。
 国際関係の基軸の変容が、日米安保を、もっぱら国家間の軍事安保の文脈で語
 ることを、不適切にさせ始めたのです。

3)最後に通商舞台の転移です。

・いまや日本にとって通商の最大相手先は、米国市場(78年38%、2012
 年13・5%)から中国市場(85年3%、2012年23・5%)へと転移
 しています。
・しかもその転移が、「アジア力の世紀」の展開する中で、ASEAN+3/日
 中韓(いわゆるAPT)を中心に東アジア諸国の経済相互依存性を高めます。
 APT域内の貿易依存度と直接投資依存度は、ともに60%近くに達し、欧州
 連合(EU)のそれに接近しています。
・その域内経済相互依存度の深化が、東アジア経済の発展と裏腹の関係をなしま
 す。東アジアは、いまや世界の工場であるとともに、世界の市場と化していま
 す。膨大な中間層(クルマ一台を買うことのできる階層)が、アジア域内で生
 まれ、中国国内で4億人、アジア域内で10億人に達します。
・2007年ゴールドマンサックス社が、21世紀におけるアジアの台頭を、B
 RICの登場として語ります。2010年世界銀行が、中国とインドを中心に、
 2050年に世界の富の過半を生み出す現実を予測します。2013年米国国
 家情報組織が、アメリカ「帝国の終焉」を予見します。
・台頭し成長するアジアが、「生産大工程の時代」の中で、域内の投資と貿易に
 おける国家間結合度を強め、地域統合への動きを促します。その動きが、東ア
 ジア共同体構築への動きを牽引します。その牽引が、三度び国際政治市場にお
 ける日米軍事安保の需要を減退させます。

 これらの変容が、21世紀国際政治経済のメガトレンドです。その新潮流が、
 一方で、軍事安全保障を基軸とする日米安保の存在理由を問い直しながら、日本
 外交の選択幅を広げることを求めます。他方で、成長するアジアと日本の複合的
 相互依存の制度化を促し、地域統合の動きを加速させます。
・「永遠の敵も永遠の友もいない。あるのは永遠の国益だけだ」。19世紀英国
 の外交官、パーマーストン卿のこの言葉が、日本とアメリカの関係を、もはや
 「日米関係」として語ることを過去のものとし始めているのです。

Ⅳ 破綻するアメリカン・モデル

・冷戦終焉後の四半世紀は、戦後日本が繁栄と平和の手本としてきたモデルの破
 綻を露わにしました。
・まず、政治モデルとして。米国型デモクラシーの巨大な欠陥です。冷戦終結後、
 日本の政治改革がモデルとした、「小選挙区制による政権交代のある」政治シ
 ステムの事実上の破綻が、その欠陥をあらわにします。利権集団とポピュリズ
 ムに支配される、カネのかかる米国型金権民主主義の機能不全です。
・次いで、経済モデルとして。米国型カジノ資本主義の欠陥です。08年リーマ
 ンショックに象徴される、モノつくりを忘れ、カネつくりと軍需を産業基軸に
 変えた米国型産業主義の機能不全です。
・最後に、社会モデルとして。1%の富裕層が、国の富の9割を独占する、超格
 差社会の欠陥です。超グローバル企業が世界経済を席巻し、内外の民の暮らし
 を貧困化させるアメリカ流社会の機能不全です。
・それら一連の破綻の歴史が、プラザ合意以後、小選挙区制政治改革から小泉改
 革をへてアベノミクスの近未来に至る、「失われた20年」の歴史と重なるで
 しょう。

・私たち日本人は、敗戦以後、核戦力と第七艦隊によって安全が守られていると
 いう虚構を信じ、デモクラシーのソフト・パワーに取り込まれて、米国流生き
 方を日本の針路にすえてきました。しかし、冷戦終結後、四半世紀の現在が、
 その生き方の過誤をあらわにしています。
・9・11(01年)の惨劇と、イラク、アフガン戦争の壮大な不毛が、米国流
 覇権主義の失敗をあらわにし、9・15(08年)リーマンショック後の米国
 経済の危機が、ドル支配体制の限界を明らかにしました。
・それら帝国の失敗と挫折が、アジア通貨危機以後、アジアの国々に、ポスト・
 アメリカのシナリオをつくらせます。上からのグローバリズムに抗する、下か
 らのポスト・グローバル化の動きを牽引します。
・下からの地域主導下でのポスト・グローバル化の動きは、アジアに止まらず、
 欧州ではEUの拡大深化、ラテンアメリカでは、CELACの生成発展へと連
 続します。
・それが、2015年ASEAN共同体結成シナリオが牽引する、アジア統合の
 動きと連動します。

Ⅴ 進展する東アジア地域統合
・アジアの地域統合は、三つのエンジンによって進展しています。そのエンジン
 に駆動されて、アジア地域統合は、日中韓が対立抗争を繰り返すにもかかわら
 ず、遅遅として、止まることなく進展し続けます。

1)先ず、ASEANという小国連合のエンジンです。EUが、独仏伊という
 大国主導で出発したのと対照的です。その小国連合が、統合の「磁場」と「緩
 衝剤」と「運転手」の役割を果たします。
・5億7千万の良質で成長する経済が、日中韓の投資と貿易を引き付ける磁場の
 役割。次いで、歴史問題をめぐる日中韓の対立抗争を緩和させる緩衝剤の役割。
 さらに、非同盟平和主義と非軍事同盟化を共通の絆にして、日中韓を協和させ
 て共同体形成を促す運転手の役割。

2)次いで、必要で実現可能なところから協力の制度化を進めていく、デファク
 ト(事実上)型統合のエンジンです。欧州統合がデユーレ(法制度的)な統合
 プロセスを取ったのと対照的です。
・アジアの場合は、貿易、金融、開発から食料、防災、文化観光まで、必要なと
 ころから別々の分野で地域協力を、少しずつ制度化していく、統合プロセスで
 す。

3)そして、開かれた地域主義のエンジンです。
・モノの移動(輸出入)に伴う関税の削減撤廃を軸に、国境の壁を低くしていく。
 そのために、原則、参加メンバー国を限定せず、外に対して開かれた「自由貿
 易体制」として統合プロセスを展開させています。欧州が、外に対して閉ざさ
 れた「関税同盟」として出発、展開してきたのと対照的です。
・かくてアジア地域統合の動きが進展していくのです。

 1980年代中葉、ロバート・ギルピンは、両国関係の新しいかたちを
 Nichibei-kankeiという、日米造語で呼称し、日米経済一体化の基軸の登場を謳
 い上げ、それを「覇権安定」論につなげました。アジア地域の安定は、覇権国家
・米国の存在(と介入)を不可欠なものとし、その存在を、同盟国・日本が支え
 ていくという、国際政治理論です。日米同盟と裏腹の関係をつくる、国際秩序論
 です。「アメリッポン」と称された日米共同覇権論へと、それは繋がります。

 しかし日米同盟に依拠した「覇権安定」論は二重の意味で維持可能性を失って
 います。一つは、グローバル情報革命下で、米国経済が、工業生産大国から「金
 融大国」へと変貌し、その変二つは、同じグローバル情報革命下で、日本経済が、
 ネオリベラル政策の導入過程で、「長期円高デフレ経済」からも「内需縮小社会」
 からも脱却できず、活力を縮小させたこと。その「縮むニッポン」と対照的に、
 アジアNIESに始まり、中国やASEAN諸国が台頭し、アジア地域の「パワー
 バランス」構造が、日本主軸から、中国主軸へと変容したこと。もはや日米共同
 覇権の世界も「アメリッポン」も、永遠に過去となりました。巨大な中国やイン
 ドの台頭する新しい世界の中で、日本は、明治以来150年続いた「脱亜入欧」
 路線から、「脱米入亜」への歴史的な転換を迫られているのです。日本であれ米
 国であれ、アジアと共生する道は、何よりもこの現実を直視するところから始ま
 ります。ポスト・アメリカの中で、日米関係と日米安保のあり方を考えていかな
 くてはならない時代に入っているのです。

Ⅵ 結びに ―― アメリカのアジア回帰について ――

 オバマ第二期政権は、アメリカ外交の基軸を、アジア太平洋への回帰と位置付
けています。いったいそれは何を意味し、それに私たちはどう対応していくべき
なのか。結論を三様に及びます。 
        
 第一に、「アジア回帰」路線が、中国封じ込め政策の延長上にではなく、中国
といかに関与し、中国の「市民社会化」の支援共生の船長上に進められなくては
ならないこと。

 第二に、「アジア回帰」路線が、アジア地域統合の動きを阻むものとしてでは
なく、それを支援し、それと連携するものとして位置づけられなくてはならない
こと。地域統合の進展は、繁栄し安定したアジアの到来を意味します、その統合
過程に積極的に関与する道を、アメリカは見出していかなくてはなりません。

 第三に、「アジア回帰」路線が、米国による対日武器市場やマネー市場の拡延
をはかる外交枠組みとして位置づけられてはならないこと。その意味で、米国は
むしろ、東アジアの軍縮軍備管理を進める道を、大胆に模索すべきです。その意
味でも、米国が主導しているTPP路線には、幾重にも疑問符が付けざるをえな
いでしょう。それは、日米関係が、アジア地域統合と東アジア共同体構築の中で
新しい生命を得ていく道になるはずです。

 これまで、私たちは、日本という国のかたちを、もっぱら日米関係と日米安保
の枠内でしか議論してきませんでした。大米帝国の豊かな巨大市場と、米国流デ
モクラシーと、核抑止とに、日本の生きる道を求める「国のかたち」です。今日
に至る「日米基軸」論の系譜です。それを、明治開国以来の「脱亜入欧」論の考
え方の連続線上に位置づけることもできます。高度成長期の文脈でいえば、「海
洋国家」ニッポンの道です。いま、日米安保基軸論者たち(たとえば渡辺利夫・
拓殖大学総長ら)が、東アジア地域統合への道を批判し、中国との連携共生を拒
斥するとき、彼らが打ち出す論理が、新「脱亜入欧」論であり、新「海洋国家ニッ
ポン」論であるゆえんです。その延長上に、たとえば、安倍政権の外交顧問、谷
内正太郎元外務次官(駐米大使)は、日米関係は、「騎士と馬」だと喝破します。
そして「強い安保」が「強い経済」をつくるといって、米国主導のTPP(環太平洋
連携協定)のバスに乗り遅れるべきではない、と主張します。またアベノミクスの
指南役、竹中平蔵元財務相は、三本目の矢 ― 成長戦略の基軸 ― は規制緩和
であり、その究極の政策は、外資を参入を容易にするために、法人税率を引き
下げ、国境規制をなくすTPPだと献策します。米国流資本主義、いわゆる新自由
主義の延長上にある、日米基軸論と言い換えてもよいでしょう。

 しかし冷戦終結以後、グローバル情報革命の進展は、日米関係の基軸たる日米
安保に関して、そのそもそもの存在理由、つまり私たちにとっての必要性を、問
い直し始めたのです。いまや私たちは、日本外交を日米安保一本槍で考えること
が事実上不可能になる時代へと突入しているのです。だからこそ、現実の外交選
択肢として、現存する日米安保とともに、いま私たちは、アジアとの共生を語り
始めます。その共生の枠組みとして、アジア諸国との地域協力を進め、その制度
化としての地域統合を進めて、東アジア共同体のシナリオを描き始める時代に入っ
たのです。



東アジア共同体をどうつくるか

交差する文化─ アジア的価値観とは何か


第3の開国─ポスト東アジアへ