「平 和 の 神 話」
     

   
リチャード・L・ウォーカー
    サウス・カロライナ大学,国際関係問題研究所所長(国際関係論)


第5回世界平和に関する国際会議  メイン・テーマ:「平和の戦略」
 (The 5th Interenational Conference On World Peace: 5th ICWP)
  1975年12月14-16日
 東京・経団連会館国際会議場
 主催:世界平和教授アカデミー 
   Professors World PeaceAcademy-Japan
       PWPA-Internatinal 
 「第5回世界平和に関する
  国際会議報告
 入江通雅

    
   -----------------  概  要  ----------------------
 宗教界、学界、芸術界にいたるまで、世界中の指導者たちはこぞって組織的な紛争、つまり戦争の遍在によって挫折感を味わい続けてきた。哲学者たちは、戦争が平和の欠如なのか、それとも平和が戦争の欠如なのかどうかと論議を重ねてきた。国際法の権威たちは法規制の確立により戦禍の排除を心掛けてきた。すると列国は法とはなにかについて戦争を起す始末である。理想主義者たちは「武器よさらば」という訳で、軍縮計画に奔走してきたが、そのあげくやっと達成したと思った協定もどこかの国によって裏切られるだけだと思い知らされた。

 国際関係の歴史的過程を通して、戦争と平和に関する一連の提案がもち上ってきた。そうした提案は厳格ともいえる二分法でその双方を独立させてしまい、二つの両極端を結ぶ連続体も、また暴力の広がりやすく、また象徴的な性質についての考慮も取り上げようとはしてこなかった。
 その連続体の一端である平和に関して、文献はあまりにしばしば額面通りに受け取られすぎて、その結果、「平和の神話」へと移り変る仮説をふんだんに盛り込んでいる。たとえば、それは人々が互いによく知り合うようになりさえすれば、平和を促進させる状況を開発しうるといった類のものである。

 しかし熾烈な戦争のほとんどが、あまりにも互いに知りすぎている一民族間の内戦である。次に平和と通商の神話がある。つまり列国が貿易を行い、相互依存の度合が深まれば深まるほど、平和の機会は拡大するという説である。しかしこの点でも、歴史はこうした主張に反対してきた。さらにまた平和と民主主義の神話がある。列国がより民主化しさえすれば、国民の大多数が戦争を望まぬ以上平和はありうるという主張である。しかしここでもまた、短期的な犠牲も辞さない独裁政権にも増して、市民の利益を強硬に守ろうとする民主主義国の姿勢があからさまになる。
 こうした神話の多くは、平和こそ、他の明確なる価値が普及していれば当然それに付随する結果であるとする曖味な仮説故にもち上ったものである。他方、何世紀にも渡る国内政治の体験により、違った議論が生じてくる。組織暴力を表面に出さないことこそ、圧制的な政権の第一条件なのであり、そうした例は枚挙にいとまない。

 それ故に、国際平和のチャンスの拡大をめざして開発される戦略は、まずもって、平和は優先条件を達成したあとでもたらされるものであるとする価値の段階的分類を扱う必要がある。

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「平 和 の 神 話」  本 文 -----------------------  
 (これはI 975年12月14 ~16日に、東京で開催される「アジアにおける平和の戦略会議」のために用意されたものである)

 電子メディアを通して、もう日常茶飯事となった感のある世界中での平和への脅威、乱暴な言動などが中継されてくると、知恵もビジヨンも備えた人たちによって唱道されている世界平和への多くの明白な公式が、どうして受け入れられていないのか、ただただ不思議に思うのみである。われわれは、いつまでも都会や地方でのテロや殺人に悩まされなければならないのであろうか。あるいは、戦争になると決まって両陣営共にわれこそ平和の味方なりと主張して譲らないからには、われわれとしても、いつまでも平和のために戦わねばならないのであろうか。

 今から2521年前、14君主国の代表が古代中国の宋なる小国に集まって、政策文書としての一般協定に調印することになった。当時中国はいくつかの国に分割されていて、戦争に憂き身をやつしていたが、紀元前546年に栄の向叔(向戌:しょうじゅつ)という政治家が大軍縮会議を召集した。彼は戦の道具と縁を切るべく努力していた。時の強国の一つが出席をしぶり、別のある国は招かれず、会議に出た他の二強国は前以上に互いに不信感を抱くようになった。事実、戦争をやめると誓う文書に調印した代表の一人は鎧冑に身を固めていた。

 平和条約の調印後、向叔は「われらの時代に平和を」(訳注:これは英国国教会の祈祷書にある「おお主よ われらの時代に平和を与え給え」という一句のもじり)もたらした功績への褒賞を太政大臣に求めた。大国同志の戦の場としてしばしば蹂躙されていたこの小国の太政大臣は向叔に向かって、「罰を免れただけでも幸いと思え、その方の企てはより大きい疑惑をうむだけの幻影にすぎないからだ」と申し渡した。この、より現実的な政府首脳は、しょせん武器など、より深刻な問題の一徴候にすぎないと心得ていたのだ。彼の懐疑論は正しかった。条約調印後間もなくして、今まで以上に激しい暴動が突発したからであった。

 こうした出来事は、中国の哲人、孔子が「大同」つまり、全体的調和のためにまた別の方法を模索している間に起きた。もっとも孔子は目下中国民衆からは中傷されている。この偉大な中国の師は対人関係における節度の重要性を強調した。彼の哲学は二人の人間関係を象徴する漢字「仁」にすべて包み込まれている。組織暴力とそれに付随する被害はすでにキリスト生誕600年前に、あきらかに中国では重大関心事であった。孔子の同時代人、老子は、同じ頃、自然の調和へ立ち帰ること、および地位と価値の相対性を認識する必要性などを内容とする解決案を提唱していた。

 まったく時代を同じくして、宗教的指導者、釈迦牟尼、つまり仏陀がはるかかなたのインドの地で、戦争とその損害の問題に解答を見出すべく努力していたのだ。アジアにあっては、釈迦ほどの影響力をもつた人は他に見当らない。彼は紛争への解決策として同情的なアブローチを教え、近隣愛を説き、悪には善をもって報いよと諭した。釈迦にあっては、たとい、いかなる原因があろうとも、殺人は人の道にはずれた行為であった。
  アジア史上初期のこうした組織暴力、つまり戦争の惨禍を逃れるための努力は、人類の歴史を通して現代まで、平和への道をさぐる同じような試みによって連綿と受け継がれてきた。有史以来のほとんどあらゆる文明の中で、善意の人、宗教指導者、理想主義の政治家、すぐれた学者などが戦争の問題に取り組んできた。歴史のページをひもとくとき、われわれは暗い予感にただただおののくばかりである。兵器は殺人能力を増す一方だし、戦闘は例タトというよりは慣習化してしまったし、それに平和のために考えられうる手立てはもうほとんど試されてしまつたかのごとき感すらしてくる。

  そこで、「アジアにおける平和の戦略」の可能性を考慮する際には、平和の概念をめぐってもち上った神話の累積について簡単に触れておくことは、何かと助けになろう。そうした神話のいくつかは、多くの場合、規定の事実として認められてきた。事実、国際関係に関する文献は、厳格ともいえる二分法で戦争と平和という言葉、および、状況を独立させてしまう提案をふんだんに盛り込んでいる。こういう提案はしばしば戦争と平和という両極端の間で暴力と調和の度合を少しずつ変えていく連続体を考慮に入れることも、また紛争の実際面と象徴面を説明することもできない。

 われわれが平和の戦略のことを気にかけているとき、言葉の暴力、心理作戦、経済戦争といったものを、戦争・平和といった両極の間の一体どこにあてはめればよいのか?どこの国の言語でも「平和」、「戦争」という言葉自体が概念を迷わせているのではないかと不審に思う人すらいる。

  戦争を賛美してきた者ですら、平和の名においてそうしてきたのだ。こうして陰陽二元論、分極化した表現が増えてくる。─ それに平和とは、陰・陽、能動・受動、プラス・マイナス、いずれの概念かきめられるほど大胆な人物は誰もいない。熱っぽく狂信的にドイツの軍国主義的伝統を支持した、かのヒツトラーでも、「ドイツ国民は好戦的ではない。いな、むしろ、平和をひたすら愛するが故に、生きる権利のために戦うのだ」と断言した。皮肉なことに孔子や釈迦の伝統を受け継ぐ毛沢東は、「戦争は大いなる試練の場なり」と主張している。彼の信奉者たちは、「戦争は戦争を通してのみ撤廃でき、銃を取り除くために、銃を取る必要がある」とする彼の言葉を引用する。

  多くの平和についての神話は、平和は他の明白な価値が普及すれば自然に、しかも付随してもたされるものであるとする曖味な仮説故にもち上ってきたのである。 しかしわれわれはこの点については、正しく質問を提起することができる。何世紀にも渡るさまざまな国や帝国の国内政治の体験上からは、違った意見が生まれてくる。組織暴力を表面に出さないことこそ、全体主義的または独裁的な政権の第一条件なのであり、そうした例は枚挙にいとまない。I 3世紀に、ユーラシアにまたがるモンゴルによって支配された地域には、安全と平和が行き渡っていたと旅行者は語った。1930年代のスターリンが統治するソ連を垣間見た者たちはミ国内が平和であることをはっきり読み取れたと語っていた。

 ここで平和の原因に関係する神話のいくつかを取り上げてみよう。平和としょっちゅう関連づけられている明白な価値を一つずつ分離しようとするのではなく、むしろ組織暴力の源泉を理解するために、錯綜したものを指し示したいのだ。


    
I.  平和と認識

 「互いに理解し合えるようになりさえすれば平和を享受できる」という主張は、もう耳に蛸ができるほど聞かされている。この仮説は文化の、そして民族対民族の交流をもたらすための数多い企ての真髄をなしている。しかしそれでは歴史と真っ向から対決することになる。なぜならば戦争の中でも、もっとも激烈なもの、また熾烈をきわめた合戦は、対立する両陣営が知りすぎるくらい相手をよく知っている内乱である。

 I 6世紀紀スペインのチャールズ五世に取り入り、フランスのフランシス一世との絶え間ない戦いを止めるよう勧告したある助言者にまつわる物語がある。助言者は王を強く説得してフランシス王に会わせ、相手をよく理解させようとした。チャールズ王は次のように答えたと伝えられている。「フランシスと余は完壁に理解し合えた。余たちは二人共、同じ物を欲しがっているのじゃ」

 I860年代の米国南北戦争という殺戮の悲劇においても、北と南は互いに相手をまったくよく知っていた。実のところ、「なれ過ぎは軽蔑のもと」という古い英語の諺を示されたりすると、ある場合には、平和にとって「知らぬが仏」なのか、また「相手のことを知らねば知らぬほど、世界平和のチャンスも拡大するものなのかしら」と思えてくるくらいだ。多分I 9 7 0年後半のソ連と中国はこの見方が当てはまるであろう。


  
 2. 平和と民主主義

 第一次世界大戦中、また戦後の米国の理想主義者たちは、この神話を育てる中心人物であった。ウッドロー・ウィルソンは、当然平和な世界へと推移する「民主主義のために安全な世界」というビジョンを抱いていた。曖味ではあるがその原理が主張するのは、もちろん、民衆 ─ 主として不特定のグループ ─ は純粋に平和を望んでおり、また民主的なプロセスを経て、彼らの意のあるところを汲んでもらえるならば、戦争につながるすべての古い組織上の欠点 ─ 野心的な扇動政治家、国タトに敵を求めることによって自らを正当化しようとする圧制的な制度、階級闘争、帝国主義 ─ を排除する機会が生まれてくるという点てある。しかしこれにもまた異議がある。民主国家は独裁政権よりも市民の権利を守ることに関しては独断的になりうる ─ 特にナショナリズムが大きな力をもっている近代国家ではその傾向が強い。独裁国はまさしく民衆の意見など無視しているため、かえってより柔軟に妥協したり、調整したりできる場合がままあるものなのだ。オーストリアの政治家メッテルニヒの尽力もあって1818年から1914年まで続き、米国国務長官ヘンリー・A・キッシンジャーにインスピレーションを与えたという平和の世紀は、民主政権間のコンセンサスに基づくものではほとんどなかったのだ。


 
  3. 平和と法律

 法律に携わる人々、特にヨーロッパの法律家は、法を通しての平和の探究に膨大な時間とエネルギーを捧げてきた。 1899年、ハーグの国際司法裁判所設立から、国際法学者たちは、「世界法による世界平和」(あるまじめな研究の題名の引用)の樹立は可能なりと信ずる傾向が強くなった。ところが他方には、国際法は依然として「効力なき法」(別の研究の題名)であるという事実が存している。領土、経済、管轄権をめぐる紛争への仲裁や宣告に各国を従わせることに関しては、長足の進歩が見られるけれども、世界各国は重大な国家権益とみなしている分野については、未だに裁判所の命令に従うことを適当と認めてはいない。その上、レーニンの後継者たちは、国際法集成のほとんどを「ブルジョアの欺瞞である」として非難し、しかもそれを連中の世界的な階級闘争というイデオロギーに従属させることにより、過去数十年に及ぶ明白な進展ぶりを軽視してきた。

 平和と法的アプローチのハイライトの一つは、両大戦のあいだの期間に起きた戦争を非合法化する運動であった。その結果、例の理想主義の頂点どもいえる1928年のケロッグ・ブリアン条約が日の目を見たのだ(訳注:ケロッグは米国の政治家、ブリアンはフランスの政治家、共にノーベル平和賞受賞)。その条約は、国家政策文書として戦争放棄を全世界に公表した。条約調印国のうちで、三国はのちに第二次大戦をたくらむ罪を犯したとして非難されることになり、その後の世界各地に起きた戦争はケロシグ・ブリアン条約の理想主義と希望が回復しようとすると、それに水をさす傾向があった。


   
4. 平和と世界政府

 世界政府の中に世界平和の希望を託そうとする人が未だに存在している。国連憲章は1945年、サンフランシスコで大熱狂のうちに調印されたが、そうした熱狂の底流となったのが、この信念であった。しかし30年後の今となって、主たる平和協定は国連の枠外で結ばれるより仕方なかったし、韓国における国連の活動はまったくの例タトであり、安全保障理事会は強大国間の論争の中で無力を強いられてきたのを、われわれは知っている。たとえ世界政府が認められても、革命、暴動、内乱が起きる可能性があるが、そうした疑問に対しては何の解答もなされていない。民主国家内のさまざまな協会は、人類の「平和に対する最良の希望」として国連を支持しているが、そうした国の指導者たちは、最後のかすかな希望の火が消えるのを恐れてか、全体主義国の側の国連原則に対する度重なる愚弄をも見て見ぬふりをしている。


   
5. 平和と貿易

世界平和へのもっとも説得力のあるアプローチの一つは、機能本位主義であり、「宇宙船地球号」上で相互依存の度合が高まることに力点をおき、拡大する国際貿易網を強調することであろう。「戦争によって自国の市民と世界の繁栄を損うような国があれば、それこそ愚かとしか言いようがない」、とまあ、一応議論上はそうなる。そこで「貿易、交流、国際的活動が一層拡大されれば、問題解決に暴力的手段を選ぶことは、ますます有り得なくなるのであろう」という期待が生まれる。けれども、この点についても、歴史をひもとけば、楽観論の根拠はさして示めされていないし、現状から見ても、未来に明るい予想を立てられるほどの理由は存しない。両大戦以前、英独はヨーロッパにおいて、互いにもっとも大きな、また相互依存の度合いも最も高い貿易相手であったし、第二次大戦前の日米両国も、大平洋地域において、相互に依存し合う最高の貿易相手であった。さらにまた、今日、共産圏諸国、とりわけて中華人民共和国(PRC)が取っている自給自足政策は戦争も含めての話だが「勝手な行動に対する拘束力をもつシステムに引き入れられたくない」とする気持ちの表れと取れないことはない。

 平和に対する機能本位のアプローチは、相互関係、相互依存を強調すること自体が戦争防止に役立つという主張をもっている。その提唱者たちは、世界のさまざまな地域で「共同体」意識が育っている例は無数にあると指摘する。このアプローチが貿易の輪、意志疎通、海タト観光旅行などを強調している点が興味深い。たとえば「大平洋共同体」(日本の権威ある季刊誌の名称)や大西洋共同体について話すのが流行のようになってきている。しかしアジア共同体とか北米共同体とかいう話はめったに聞かない。その上、PRCや北鮮は、大平洋共同体を結びつけている絆を強める議論については、ほとんど発言していない。

 相互依存に賛成する議論そのものが強烈なナショナリズムを特色とする新興国や政府のために唱道されても、逆の結果を生みかねない。共産圏諸国は、たぶん自由企業経済機構と接触することにより堕落するのを恐れて、機能本位アプローチを認めたり、相互依存性を受け入れたがらないのであろう。


   
6. 平和と軍縮

 今日、第二回戦略兵器制限会議( SALTⅡ)に傾けられた懸命な努力を概観する際、歴史に残るさまざまな軍縮計画を思い出さないわけにはいかない。すでに紀元前546年に、古代中国での兵器廃止条約は検閲の問題で失敗に帰したし、その努力は解決より疑惑と敵意を生み出した。
 1922年のワシントン海軍協定は、戦艦が海軍の究極兵器であるという全員一致の確信と共に、軍縮を求めたものであった。そこに含まれた努力と換起された希望に思いを馳せるどき、長く激しい論議を重ね、スタッフには徹夜の仕事を強いた政治家たちが、はたして科学の進歩や発見への可能性を認識していたかどうか疑わしくなる。同じ事が二大超大国間のSALT交渉についても言えるのだろうか? 平和と軍縮の神話に関連して、念入りに仕上げられた「戦争に関する悪魔理論」が数々あった。

すなわち「戦争は産業主義者、兵器製造業者によって押し進められている」という説である。 この理論はずっと以前から納得のいく学術研究によって真実性を疑われて来たにもかかわらず、それは根強く残り、世界中の共産主義者や左翼運動家によって、依然として、強烈に、またしばしば効果的に利用されている。第一次大戦後の時期に米国でおこなわれた軍用品メーカーの調査がこの理論の裏づけになっていたし、それはまた第二次大戦後、米国占領軍による財閥解体の企ての理論的根拠どなった。またそれは米国のベトナム軍事介入に関する改正論者の論法に土台を提供して来た。

 すでに述べたところでも暗示されているように、われわれの平和に対する期待の多くは砂上の楼閣のごとき神話の上に築かれていたとしたら、われわれはどうしたら良いのだろうか。この問題を「二者択一」といった言葉で扱えぬことは、平和探究に関連したより平凡な提案をざっと調べてみただけでも判然とするであろうし、それはまた世界中の人類の暴力に埋まった歴史を紐解いても明確になるであろう。確かに、一つのアプローチとしては、今リストアップしたあらゆる提案を考慮に入れた六面からの平和試行を協調させる方策を、地域的、また全世界的なスケ一ルで探究することが挙げられよう。

 しかし(I)相互理解と認識の拡大、(2)民主主義的価値の強調、(3)国際司法裁判所権限の一層の助長、(4)国際組織の効率増加、(5)相互依存の促進、(6)軍事出費削減などを歩調を合せ一どきにやってのけるような独白の努力をたとえ体系化することはできなくても、世界は今日以上に多少でも平和により接近していくものかどうか模索することは可能である。結局、ある点てこの六方面からの活動はすべていずれにしても進行中であると言えよう。

 しかしそれは不安定な運動の起きている、世界戦争と戦争平和との間の暗い谷間での話である。国と文化との間の個別的関係がそうしたスペクトルにそって進む一般的な方向は、平和への機会を試す試金石となっている。そしてこの点では、論調、趣旨、アイディア、精神といった要素が、軍事予算、外交上の主導権のような具体的項目同様に重要なものになり得るだろう。圧縮された世界では、局地的紛争は常に拡大する恐れがある。この意味では、平和は個別的なものであると主張する者たちに同意しうる。

 今日では、暗殺、テロ、市街地爆弾などの広がりやすい幼芽が電子メディアを通して世界中に伝播されている。平和の戦略を探究する者が、少なくともなすべき仕事の一つは、国際的な折衝の場で、暴力的な言語、レトリック、象徴を和らげる手段を捜し求めることのように思われる。その仕事は断片的なもの ─ 暴力に訴える国際問題解決法へ不信を集めたり、「戦争を通して平和」をと主張する者たちの偽善を発(あば)いたり、紛争を助長する解釈、言辞を拒否したりといった ─ 断片的なものにならざるをえない。

 当面、世界は分裂している。これは避けられない事実である。アポロ・ソユーズ合同宇宙飛行計画に象徴される緊張緩和や相互理解へのアッピールにもかかわらず、根本的な分裂は、開かれた、また閉ざされた両制度の対立を残したままである。が、レーニンの後継者どもがその政治的な力を結集してかつてない挑戦をしかけてくるのに、多元論の社会が立ち向っているのも現代なのである。

 レーニンの言葉と作戦暗号は、現代世界の他の要素同様、国際関係を戦争の極の方向へ、そして平和の極から遠くへ動かす傾向がある。 P RC、北鮮、ソ連を問わず、レーニン主義者たちは、あくまで不屈の争い、暴力、階級闘争を促進させることを目的とした用語や解釈法を取っている。口やかましく悪態をついたり、対立を支持したりして宗教的な規模をもつ唯物論への傾倒を保持している。モスクワ、北京、平 、ハノイなどの価値観の転倒した世界では、戦争促進者がしばしば「平和の力」と呼ばれ、民衆を他の世界から隔絶させてしまう者が「解放者」と称されているのは、悲しむべき事実である。レーニン主義者の国では、われわれの世界には妥協、適応、人道主義的な融通性への要求をたっぷり詰め込んでいるという現実を今もって受け入れようとはしないで、むしろ弁証法という冷厳な法則の方を善(よし)としている。共産国政府首脳は、「敵・味方」共存関係にある世界への、千年至福説を思わせるようなアプローチを修正させるかもしれぬ影響力を浴びない隔離病棟に白分たちとその国民を据え置こうとしている。

 理想主義の香りが国連設立直後の世界を包み込んでいた頃、ユネスコの作業が大いなる注目を集めていた。ユネスコ憲章は、その序文において、感動的な文体により、次のごとく論じている。「戦争は人間の心ではじまるものである以上、平和の防衛策が打ち立てられるべき場所も、やはり人間の心である」世界を悩ます緊急問題への暴力的処理法を促進したり支持したりする外交文書中の大げさな文句を排除する共同の努力こそ重要であり、アジアにおける平和戦略のためのほかの努力を伴っていても、それがなければもはや重要な企てとは言いえない。

 開かれた社会の指導者たちが、「暴力的、対立的な用語を伴う外交文書や行動を受け入れられない」と拒否する時代はもうそこまできている。今やわれわれは、粘り強い態度で、外部代表や運動が、暴力や戦争を起せと唆(そそのか)し、国内問題に介入する企てには、抗議を開始しなくてはならない。軍国主義や階級闘争を称揚する出版物や国際的な新聞雑誌を外国政府の情報局やタト国語出版機関から受け取るべきではない。今こそ国際問題についての暴力的言辞撤廃を叫ぶべき時である。

 平和な世界の土台を人の心の中に築く必要があるならば、平和戦略の中でのまた別の重要部分とは、アイディアの自由の流れに対する人工的な障害物を除外したり、そうしたアイディアの市場での自由な交流や競争を保証するねばり強い努力の必要性であろう。ヒューマニズムの表現 ─ 美術、音楽、文学、情報それ自体 -は本質的に平和への機能的アプローチのきわめて重要な部分となっている。この点でまた開かれた社会には、レーニン主義者たちに、真実の追究とよき生活のために両面交通路があることを認めさせる努力を続ける義務があるのだ。

 それぞれの提唱者により唱道された一、二の新方式、つまり神話によれば、平和は追究すべき唯一のゴールではないかもしれない。それは唯一のゴールですらなく、またスペクトルの一端にある極点でもない。むしろそれは人間の行為の中で先に達成されたほかの価値を反映したものではないのか。調和と平和は数多い人生の他面 ─ 文化的価値とその達成、経済維持、原料とエネルギー源、精神的満足 ─ と関連づけられている。平和はつかの間の、また固定した状況として追究されえないし、単なる快楽は永続する、得心のゆくゴールではあり得ない。むしろ幸福のように、平和は、他のゴールが達成された後に人類の満足感として訪れるものである。

 アジアにおける平和戦略は、それ故にこそ、国連が採用した「基本的人権宣言」の中で具体的に示されている価値の重要性も、また暴力的、闘争的な一方通行の言辞がつくり出した理解への壁を取り除く重要性も無視できないのである。




                    解 説

  年の瀬も迫り、何かと慌しい日々ですが、何時か皆様にご紹介しようと思ってとしたら、われわれはどうしたら良いのだろうか?

1)(I)相互理解と認識の拡大、(2)民主主義的価値の強調、(3)国際司法裁、(6)軍事出費削減など、上記の六方面からの平和へ向けての活動は進行中である。

2)「戦争は人間の心ではじまるものである以上、平和の防衛策が打ち立てられるべき場所も、やはり人間の心である」(世界人権宣言)世界を悩ます緊急問題への暴力的処理法を促進したり、支持したりする外交文書中の文句を排除する共同の努力こそ重要。

3)アイディアの自由の流れに対する人工的な障害物を除外、アイディアの市場での自由な交流や競争を保証するねばり強い努力が必要。

4)平和は追究すべき唯一のゴールではなく、むしろそれは、人間の行為の中で先に達成されたほかの価値を反映したものである。平和はつかの間の、また固定した状況として追究され得ない。むしろ幸福のように、平和は、他のゴールが達成された後に人類の満足感として訪れるものである。
   
※1975年と言えば、まだ東西冷戦の華やかかりし頃である。当日参加したスカラピーノ教授、レイ・クライン教授、チャールズ・マーシャル教授らとデタントを巡る激しい論戦があった。高坂正尭教授も議論に割って入った。議論は議論としてあくまで譲らないが、コーヒー・ブレイクとなると和気あいあいであったのは、日本人同士の会議と差が際立っていた。 会議の概要を入通雅教授(元NHK解説委員)による会議のレポート(産経新聞掲載)を添付します。


       会議をふりかえって  世界平和アンケート調査結果 ’75

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