第 8 5 回 未 来 構 想 フォ ー ラ ム

日本の国際協力をどう進めるか?
     ─ 現 状 と 課 題 ─


主 催:NPO法人 未来構想戦略フォーラム 協 賛:地球市民機構

日 時:2009年4月11 日(土)午前9時30分〜11時半

場 所:界Qコミュニケーションズ会議室 

           開  催  趣   旨

日本は持てる国力(資金力、人材、教育力、文化力)を国際社会の平和と安定に投入すべき時でありながら、政・財界・言論界を始め、我が国指導者層には国際的役割を果たそうとの気概が全く見られないことは寒心に堪えません。
このよう中にあって、外務省を始め各省庁、地方自治体が既存の枠組みを超えて、より効果的国際協力の新しいパラダイム作りの動きが見られることは、誠に喜ばしいことです。
最近の政府関係筋の国際協力へ取り組みに、お詳しい廣野良吉先生ご発題を頂き、ご来日中の廣瀬輝夫博士に国際医療協力の現状を踏まえてコメントを頂きます。その後参加者全員による建設的な提言を目指してフリーディスカッションを致します。
 参加者:前列左から、
石川自然
(在日韓国人医師会 会長・院長) 廣野良吉 (成蹊大学 名誉教授) 廣瀬輝夫(医療経営学会 理事長)
高瀬国雄
(財:国際開発センター顧問)  後列4人目、大脇準一郎(未来構想?地球市民機構 代表) 
                          More Photos

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
廣野 良吉 先生 略歴:
 昭和6年(1931年)12月6日生まれ 1954 米国モアハウス大学経済学部卒業
 1954-58 米国シカゴ大学大学院経済学研究科修士課程・研究課程修了(経済学修士) 
 1956-60 米国連邦政府国務省専属通訳官 1960-61社 団法人日本能率協会エコノミスト
 1961-70 成蹊大学政治経済学部専任講師、助教授
 1970-98 埼玉大学大学院政策科学研究科(後、国立政策研究大学院)客員教授
 成蹊大学経済学部・大学院教授帝京大学経済学部・大学院教授
 1999-2003 同名誉教授2006-至現在 日本国際フォーラム主任研究員
 成蹊大学名誉教授、政策研究大学院大学(GRIPS)の客員教授。

 国連経済社会理事会(ECOSOC)開発政策委員会の議長を務めたほか,アジア開発銀行
 (ADB, 国連開発計画(UNDP)。国連アジア太平洋経済社会委員会開発計画部長、
 国連開発計画事業 政策評価局長、国際連合開発政策委員会議長等数多くの国際機関
 に勤務、外務省無償援助懇談 会委員、外務省援助評価委員会委員、外務省ODA懇談会
 委員、国際開発学会会長、モンゴル開発 政策支援グループ座長、国際開発高等教育
 機構評議員、日本評価学会副会長なども務める。
 長年にわたり、客員教授としてアジア、南北アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアで
 教鞭を執った。現在は、日本評価学会および国際開発評価学会(IDEAS)の副会長、
 国連大学シニア・アドバイザーなど多数の諮問委員。

廣瀬輝夫博士 略歴
 日本医療経営学会 理事張 / 秀明大学 名誉教授
 大正15(1926)年生れ。(現)東大教養学部卒,千葉大医卒,中山外科で癌研究:昭和29年
(’54年)心臓外科研究のため渡米。世界心臓外科のメッカ,ハーネマン医大でベーリー
 教授の薫陶を受ける。
 74年〜89年,ニューヨーク医科医大学臨床外科教授。世界初の無血人工心肺や冠動脈バイ
 パス手術を開発。東洋人初の米国胸部外科学会評議員,米国心臓外科、胸部外科 専門医。
 米国をはじめ国際諸医学評議員を歴任,同時に医学・医療ジャーナリストとして活躍。
 医学・医療,医療制度,生命倫理など多分野に渡る英文,邦文の論文・著書多数。

著書:『在米日本医師の独白』『崩壊寸前の医療・介護を救う』『わかる!できる!特定保健
    指導メタボ予防成功のために』『病気と病院に強くなる本』 『代替医療のすすめ・
    対談』他

石川 自然 (゙自然)博士 (チョ・チャヨン)
 1944年韓国江原道春川市に生まれる 高麗大学入学  1965年昭和大学医学部入学 
 1976年米国ウイスコンシン州立大学循環器科助教授 1978年仁荷大学、高麗大学他客員
 教授、昭和大学教授、1981年 昭和大学医学賞受賞、1983年日本心臓財団賞受賞 
 2000年韓国川崎病研究所所長、2003年同善病院内科小児科 2004年韓国大統領より木蓮賞
 受賞、日韓川崎病協力007年在日韓国人医師会会長、在日韓国人学校校医 駐韓日本大使館
 功労賞受賞
「新生児心疾患診療の手びき」【著】William B.Strong 、 Max D.Miller 【訳】石川 自然
 専門は小児循環器の疾患。
韓国滞在中は、韓国在留の日本人に医療相談を行っている。言葉の壁や異なる 医療体制に
不安を覚える日本人は多い。患者の状態に合わせ、受け入れ先の病院を手配したり、通訳を
したりするが、緊急患者(日本人旅行者)を日本の病院に移送したケースもある。2005年
には、こうした韓国在留の日本人や観光客への医療救護活動を続けた功績が認められ、
「駐韓日本大使表彰」を受けた。
2007年2月、「在日韓国人医師会」会長に選出され、また一つ仕事が増えた。「医師として
ますます責任の重さを感じる。今後は、日本語がわからない韓国人のために医療活動を展開
したい」゙さんの奮闘はまだまだ続く。(統一日報)

高瀬 国雄 氏(財団法人国際センター顧問、アフリカ日本協議会副代表)
・1949年京都大学農学部卒業。農学博士。農林省、アジア開発銀行(農村開発局長)
 海外経済協力基金(調査開発部長)などを経て、1986念から現職。
・アフリカとの関係は1966年のスーダンを皮切りに、計13カ国(モロッコ、チュニジア
 ナイジェリア、ケニア、コートジボアール、タンザニア、マリ、エジプト、ジンバブエ
 セネガル、トーゴ、ザイール)を150日間、巡回した。
・最近は「世界銀行・NGO懇談会」に、アフリカ日本協議会を代表して数回の会合に出席。
 『日本・アジア・アフリカ:『農村社会開発の評価と展望』『環境・貧困と地球的農業革命』
「中国農林水産業の中期開発協力方針「アフリカ虹色の革命」への出発点アフリカレポート
 45 号(2007)
*「21世紀開発基金」は,当センターの顧問である高瀬国雄氏の拠出した私財をもとに1994年
 4月に創設され,当センター研究スタッフの専門能力向上と成果の蓄積を通じて,21世紀に
 おける開発途上国の発展および国際協力の拡充に寄与することを目的としています。
 同基金の活動は,開発問題,国際協力問題に関する調査,研究,研修に対する助成金の支給で
 あり、同基金創設以来、すでに17件に及ぶ自主研究/研修事業への補助実績があります。
 
   要  旨   
去る4月11日、第85回未来構想フォーラム「日本の国際協力をどう進めるか?
−現状と課題―」が開催された。参加者は成蹊大学名誉教授の廣野良吉先生、
医療経営学会理事長の廣瀬輝夫先生、(財)国際開発センター顧問の高瀬国雄
先生、在日韓国人医師会会長の石川(曹)自然先生ほか、10数名の議会でした。

「日本の国際協力をどうするか?」という主題を軸とし、先生方から国際政策の
現状や課題など、なかなか聞けない貴重なお話を伺いながら、最終的に建設的な
政策提言をしていただきました。
 始めに、先生方お一人お一人から各専門分野についてお話がありました。その中で
日本の国際社会における責任、日韓関係の現状やあり方、ODAの透明性確保に関
する問題や使い方に関する議論、さらにNGOやNPOへの投資や教育方法などが
話題に上がり、後半はフリー・ディスカッション形式で議題がさらに深まって行き
ました。とても熱い議論が飛び交う、充実した時間でした。
 「現在日本のODAは7000億で世界第5位である。外務省はODAに関する情報提供
の努力をしてきが、その透明性はいまだ不十分であり、ODAの透明性が確保される
には、ODAを国会で審議、議論することが必要である。そうすることで、国会議員
も真剣になる。」
 「ODAは政府間レベルで行うより、現場の状況を把握しているNGOへ投資をすること
が重要となる。日本のODA7000億のうち、NGOへ援助されているのはわずか600億で
全体の8%に過ぎない(アメリカは60%)。物に対する投資から,人材に対する投資を
すべきである。」
 「アフリカにおいては貧困解決が根本問題で、保健、教育を含めたインフラ整備
などの開発援助が必要であり、中国などのアジアの中進国においては、NGOを中心
としたボランティア活動などの援助や環境問題の解決が求められる。」
「問題はいかにNGOを教育するか。国際交渉ができる日本人がまだまだ少ない。
感受性豊かな若い時に国外へ赴き、国際経験を積むべきだ。そういった現場教育
(Field Education)が必要である。」
 廣野先生は「NGOに対する1000億の国際協力資金をつくるよう提言」している。
「まだ弱いNGOであるが、彼ら自身にその資金を管理させ、透明性の原則や説明責任
を守らせることで、管理能力、問題解決能力が育っていく。」
 日本が国際社会における責任、使命を自覚し、志をもったNGOにODAを投資して
いく。これが、日本が国際社会で実績を上げ、尊敬される道である。」
 自分の何倍も長く人生を歩んでいる先生方でしたが、その情熱はまさに若者以上
でした。高瀬先生曰く、長寿の秘訣は「夢に向かって張りをもって生きる」こと、
だそうです。
 (早稲田大学商学部4年田内基安、同3年稲田孝俊・記)