さて、ご存知の通り、スヴェトラーナ先生は今年10月22日に訪日される予定ですが、先生が
日本でお会いしたい専門家や、もしくは参加なさりたい企画などの予定を作成しなければなりません。
私が先生のお傍でお手伝いできる時間も残り僅かとなってきました。

まず始めにお伝えしたいことは、
ウクライナにおける東洋学の状況と、日本に行かれる先生の目的と活動内容です。

現在、ウクライナで日本をテーマにした芸術学博士号を持っておられるのは、スヴェトラーナ先生
お一人です。先生がポスト・ドクターの学位を取得するために動き出された目的は、「私が行かなく
ては(開拓しなくては)、ウクライナにおける東洋学の復興をあと何十年待たせてしまうだろうか」と
いう真摯な思いからです。
ウクライナで最も日本文化への関心が高いのがここハリコフです。また、東洋芸術の研究の中心も
ハリコフです。以下、スヴェトラーナ先生から伺った内容です。この話を聞くと、なぜハリコフで東洋学
の研究が進められているのか、その歴史的必然性を感じました。

1920年代、ソヴィエト政権下ウクライナにおける東洋学の研究は、ハリコフ市に開かれた
「全ウクライナ東洋学協会(Всеукраинская ассоциация восто
коведов)」で開行なわれていました。この協会は、ウクライナの東洋学者を統括し、
ロシアの学者と共同研究を行い、定期的に「科学の世界(научный мир)」という、
東洋の歴史、文化、政治について書かれた雑誌を刊行していました。また、東洋学者たちに
よって書籍、芸術作品が蒐集され、ゆくゆくは東洋美術館を開く計画がありましたが、
その日は訪れませんでした。すでに「東洋学協会」が開かれた時、
・ ・・以下、翻訳中・・・
 先生が日本文化に関心を持たれたのは1980年代、まだソ連が崩壊することも知らない中、
東洋学(芸術・文化方面)を学ぶということは出世の道を断念することであったと聞いたことが
あります。もしかしたら、そのような精神的なものを求める人々によって繋がってきた「東洋へ
の関心」であるからこそ、今でも東洋は精神的な糧を得ようとする人々の心の拠り所であり、
憧れの的なのかもしれません。先生の言葉で印象に残っているものがあります。

「ソ連時代に私たちにとって宗教の代わりに心人間性を保たせてくれたのがロシアと日本の
文学だった。松尾芭蕉の俳句にどれほど慰みを得たことでしょう」スヴェトラーナ先生も、日本
文化に普遍的諸要素を感じられるからこそ、今まで研究を続けて来られました。先生は、日本
文化を理解し自国に伝えることは、人々を幸福にし、社会を良くする活動だと確信を持っておられます。
先生にとって東洋学が心の拠り所であったように、先生は機会あるごとにあらゆる場所を人生
教育の場として考えて活動されます。先生は、母として、妻として、講師として、ジャーナリストと
して、いつも美しい人間関係を追及され、人々の心に愛の光を灯す活動を黙々と続けておられます。
このような先生の歩みは平和への奉仕以外の何物でもありません。

ある時先生はこんなことをおしゃっていました「芸術学者は、宗教を受け入れ辛い人の道案内人」。

先生は特定の宗教に属している訳ではありませんが、人が人として仲睦まじく、美しく、気高く
生きる姿を希求しておられます。そして私が先生の活動に参加させていただきながら思うことは、
芸術といわれる本当に美しいものは人を育て、人を変える力があり、この世で一番美しいものとは、
詰る所、深くて広くて崇高な愛で人々が交わるときに生み出される共鳴する調和の心なのだということです。
いままで、「芸術の中の芸術は人と調和すること」という言葉が実感できなかったのですが、
先生にお会いして、なんとなく分かるような気がしました。愛はもっとも力があり、勢いがあり、偉大ですね。

また、いま日本人が模索している「世界に発信できる日本らしさ」は、海外を通してより一層強く
認識することが可能になると思います。