坂中英徳氏講演会 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2005年3月まで35年間、
出入国管理行政一筋の道を歩んでこられた坂中英徳前東京入国管理局長をお迎えし、
ご講演をお願いすることになりました。

すでに50万人を越える在日中国人と日本人が共生していく道筋について、自らの行政官として
のご体験から得られたことをお話しいただきます。
講演会概要 演題 「在日中国人は友好の架け橋となる」
講演者 坂中英徳氏(前東京入国管理局長、脱北帰国者支援機構代表、外国人政策研究所所長)
日時 2005年10月27日(木) 18:30〜20:30  ジャパンファウンデーション国際会議場 

在日中国人は友好の架け橋

坂中英徳前東京入国管理局長は、不法入国・不法就労の摘発など外国人を規制する仕事を
してこられた中で、在日中国人についても「負の面」にばかり目を向けていたことについて、
自らもいつしか疑問を抱くようになられました。

そのような坂中さんの在日中国人像に対する思いに決定的な転換をもたらす契機となったのが、
2004年8月に『外国人に夢を与える社会を作る』という著書を日中両国語で出版されたことでした。
この本が在日中国人社会から好評をもって迎えられ、多くの在日中国人の共感を呼んでいること
を聞いた坂中さんは、在日中国人も「多民族共生社会」を望んでいるのだとの確信を持つように
なられました。

また、在日中国人ジャーナリストから、この30年間に日本の大学を出て博士論文を書いた中国人
が5,000人に達しているという事実を知らされ、国費留学生として日本が受け入れた中国人が、
人の交流面で日中両国の大きな財産となっていることを改めて認識されました。
そして、50万人の在日中国人が日本社会に貢献している姿をもっと国民に知ってもらうようにする
ことと、「中国人に夢を与える日本社会」を作ることを今後の課題だと思うようになった、と熱く語られています。

ジャパンファウンデーションでは、このお考えを中国人を受け入れる側の日本社会にも広く訴えて
ゆきたく、日中交流に関心のあるみなさまにお集まりいただき、坂中さんに貴重なご体験に基づいた
お話をしていただく機会を設けました。
国際交流は海を越えずともできるものであり、私たちの身のまわりにあるものです。坂中さんのご講演後は、
お茶を飲みながらみなさまと意見交換を行ない、この機会をひとつの交流の場といたしたく存じます。



 坂中 英徳 さん(名古屋入国管理局長) http://www.taminzoku.com/news/kouen/kou0102_sakanaka.html

21世紀の日本社会と在日韓国・朝鮮人−多民族社会と『在日』の役割−」
      多民族共生人権教育センター設立記念講演

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 「21世紀の日本社会」は、人口が激減していき、徐々に活力を失い衰退していく社会と推測されます。
その場合、人口減少社会の日本は「多民族社会」を選ぶのか、日本人は「多民族共生社会」を実現する
ための困難を乗り越える覚悟があるのか、これらの基本問題について国民的な議論が展開されることを
期待するものです。

 私は21世紀前半中の「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」を唱えるものです。韓国籍・朝鮮籍の在日韓国・
朝鮮人の人口は、ここ数年、帰化の増加、日本人との婚姻の増加、人口の自然減の進行などにより、
年間1万人のペースで減少しています。このような趨勢で人口が推移すると、これから20年で「在日」の
人口は半減します。在日韓国・朝鮮人がすべて日本国籍となり、名前まで日本人と同じとなれば、
日本社会からその姿が見えなくなってしまいます。こうした事態を指して「自然消滅」といいました。
 人口減少社会への対応の基本的なあり方として、「小さな日本への道」と「大きな日本への道」と
いう二つの道が考えられます。

 「小さな日本への道」とは、日本人口の減少を容認するもので、「縮小社会」つまり人口が適正
規模の「美しい小さい日本」を目指すものです。日本人口の減少に伴い「成長社会」から
「成熟社会」への転換を図るというものです。
 この場合、日本の経済、社会の運営は基本的に外国人の助けを借りずに行われます。
「移民」や外国人労働者の受入れは厳しく制限されます。そして、国民は「贅沢な生活」から
「質素な生活」に改める等、これまでの価値観とライフスタイルを変える必要があります。
 「大きな日本への道」は、人口の減少分を外国人人口で補充することで現在の人口規模を
保ち、経済成長の続く「活力ある大きな日本」を目指すものです。
 この場合、21世紀前半中に2,000万人を越える数の外国人を受け入れる必要があると
考えられます。

 この二つの道、つまり現行の国家体制の基本を維持するのか、それとも多民族から
構成される新しい国家体制へ移行するのか、そのどちらを選ぶかについて国民的大論争を
早急に始めてほしいと願っています。
 21世紀の日本が大量の外国人を受け入れる政策をとる場合には、日本の欲する有能な
外国人が進んで移民したいと希望する「外国人に夢を与える日本」に変身することが課題と
なります。そのためには、日本人の外国人観を根本的に改める必要があります。多様な価値観を
認め合う、日本民族と異民族が共存する日本社会を目指すことになります。
 国籍、民族的出身を問わず、すべての人の機会均等を保障し、努力した人が正当に評価され、
高い社会的地位を得ることができる社会を作らなければなりません。
 総じていえば、今の日本は、外国人が多方面で才能を発揮できる国とはいえません。
残念ながら、外国人に閉鎖的な社会であり、国民が外国人に抱くイメージは良くない
といわざるを得ません。

 現在のままで外国人の大規模な受入れが行われた場合、文化摩擦などを背景として
日本人と外国人の衝突が起きたり、日本人の間で外国人排斥の動きが出て来るのでは
ないかと心配されます。異なる民族間の相互理解と融和は、並大抵の努力では達成され
ないものだからです。
 人口の約9%を外国人が占めるドイツでは、アフリカ、アジア系外国人が極右による外国人
排斥のターゲットとなる事件が相次ぎ、統一後10年で犠牲になった人は100人近くを数えます。
このような不幸な事態に日本が陥ることは、絶対に避けなければなりません。
 日本人が外国人に依存して日本の経済的繁栄を維持するという立場をとるのであれば、
「多民族が共生する日本」への転換を図ることが最大の課題となります。
 例えば、国は、原則として外国人の権利を日本人と同等に認める新しい外国人観に基づき、
外国人と日本人の融和を図ることに主眼をおいた行政を推進していかなければなりません。
しかし、いかに外国人受入れ態勢を整えたとしても、民族間の確執を防止し、多民族を一つの
国民国家秩序の下にいかにしてまとめていくのかという非常に困難な課題を日本人と日本国は
背負うことになります。

 先に私は、在日韓国・朝鮮人がこのまま何もせずにいれば自然消滅すると述べましたが、
このような事態は在日の人たちの利益に反するのみならず、日本にとっても大きな損失です。
 日本国民が「大きな日本」すなわち「多民族国家への道」を選択する場合には、古くから日本に
住み、日本人との付き合いの長い民族集団として、在日韓国・朝鮮人が重要な役割を担ってほしい
と思います。100年間数世代にわたって日本社会の中で民族的少数者として生きてきた立場から、
「多民族が共生する日本社会」を作る事業に参画してほしいと希望します。
 在日韓国・朝鮮人は、多様な民族集団が理解し合い共に生きる社会を実現する上で、日本社会の
どこが問題なのかについて、自らの生活経験に基づき貴重な提言を行うことができます。その一方で、
在日経験の長いオールドカマ−の立場から、ニューカマーの人たちに助言をし、あるいは苦言を呈
することができます。
 そのような貢献が期待される在日韓国・朝鮮人が生き延びるためにも、民族名を名乗って朝鮮半島
出身者としてのアイデンティティを長く持続してもらいたいと願っています。
 同時に日本人は、在日の人たちが民族名を名乗って堂々と生きることのできる日本社会を作ら
なければなりません。来るべき多民族社会において、在日韓国・朝鮮人が民族名を名乗り独自の
民族集団として存在していること、それだけでも大きな意味があると思います。

 一方、国民が「小さな日本」を選ぶ場合には、日本社会において在日韓国・朝鮮人は民族的
少数者としての存在感が一層増すのではないでしょうか。
 在日韓国・朝鮮人関係の運動体は、これまでは主として、日本社会の差別構造を告発し、
その是正を求める運動を行ってきました。これからは活動の舞台を広げ、すべての在日
外国人と日本人が協力し合って生きる日本社会を作るための運動を展開してほしいと
希望します。
 ニューカマーの人たちと日本人が良好な人間関係を築き共存する日本社会が実現すれば、
そのような社会は、在日の人たちにとっても住みよい社会となるに違いありません。

 多民族共生人権教育センター理事長の李敬宰氏は、「すべての『外国人』が積極的に社会に
参加し、『多民族共生社会』を実現するには、在日韓国・朝鮮人が大きな役割を果たすことが
期待される」と述べておられますが、まさに正論です。
 「多民族共生人権教育センター」が、在日外国人に対するあらゆる差別を解消するための
啓発及び教育・研究活動を行い、多民族共生社会の実現に寄与されることを大いに期待しています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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坂中 英徳(さかなか ひでのり、1945年 - )は、元法務省東京入国管理局長。

目次 [非表示]1 経歴 2 人物 3 著書 4 関連項目 5 外部リンク
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%AD%E8%8B%B1%E5%BE%B3

1945年 日本領朝鮮の清州市生まれ 1970年慶応義塾大学大学院法学研究科卒。
同年 法務省入省 1975年に入国管理局論文募集で「今後の出入国管理行政の
あり方について」が優秀作となり、その後在日韓国・朝鮮人の法的地位の安定を
唱えた「坂中論文」と呼ばれる政策提言を法制化し実現していく。
その後入国在留課長、名古屋入国管理局長、東京入国管理局長などを歴任
2005年 定年にて法務省退職 同年、代表として脱北帰国者支援機構を立ち上げる。

[編集] 人物
1970年、法務省に入省。退職寸前の2005年2月、大手新聞に入国管理局への政治的
圧力が日本の人身売買の温床になっていると告発した。興行ビザでの入国が事実上、
外国人ホステスの調達手段となっており、こうした実態の原因には、政府による問題の
放置と、興業界や代議士の圧力で入管行政が弱腰になったことがであると言及している。
近年、反骨の官僚として知られるようになるが、在任中の2005年1月に国連難民高等
弁務官事務所から難民と認定された外国人に対し強制退去を実施している。また、
著書の中で「外国人の受け入れを拒否して日本の人口が減少しても「小さく美しい日本」
という道がある」と述べるなど、外国人排斥の考え方もうかがえる。

北朝鮮帰国者運動については「これだけ多くの人たちが日本から北朝鮮向け出国した
根本原因が、日本社会の朝鮮人差別にあったことは間違いありません。」とのべている
(脱北帰国者支援機構 ホームページ)

[編集] 著書
『入管戦記』講談社、2005年 ISBN 4062128527
『外国人に夢を与える社会を作る・縮小してゆく日本の外国人政策』日本僑報社、2004年 ISBN 4931490891
『日本の外国人政策の構想』日本加除出版、2001年 ISBN 481781229X
『国際人流の展開』日本加除出版、1996年 ISBN 4817836393

[編集] 関連項目
人身売買 入国管理局 性的奴隷 難民 クルド人 ゼノフォビア 単一民族 2005-07-04
坂中英徳・・・入管戦記
http://www.tnagao.org/item/20050704

久し振りに良書を読んだ。入管戦記である。

現職東京入国管理局長・坂中英徳氏の著書である。坂中氏
の名前は、昨年2月に行われた、在日コリアンの日本国籍取
得権確立協議会の報告書で知った。1977年に提言された坂
中論文は衝撃的だった。論文が発表されたときは坂中氏も
言わんとすることを理解されず、大変な攻撃を受けたよう
だが、今日氏の論文が、在日の各団体から受け入れられ始
めている。

「朝鮮系日本人」。昨年聞いたこの言葉は新鮮だった。

日本に生まれ、日本文化の中で育ち、どこから見ても日本
人。しかし、法的には外国人。そして、本国に帰れば何故
か外国人として扱われる。在日の法的位置付けは中途半端
である。「自分自身が何者であるかをしかと確認できるの
は、国籍と帰属意識を持つ国が一致することである。これ
が一致しないと、アイデンティティーは不確かになる」

アイデンティティーの問題として帰化を拒む気持ちもわか
るが、このまま所謂参政権の問題を突破口に在日外国人の
法的地位向上を求めるのにも限界がある。外国人参政権は
認められるべきではなく、他に切り口を求めるべきであ
る。これを在日の方々にも考えて頂きたい。

氏が指摘するように、このままでは在日は自然消滅する。
その前に、民族を継承する道を探る必要があると言う観点
から論文は出発している。氏の経歴の中で自身経験してき
たことから彼ほど在日外国人のことを真剣に考えている役
人はいないと思った。

所謂、在日問題というより、私も彼らの民族の伝統や文化
を継承するためにこの問題を考えていきたい。

因みに、冒頭の著書の最終章は圧巻である。「大きな日本」
「小さな日本」のどちらを選ぶか。いずれにせよ、外国人
問題が関わってくる。構造的な人口問題をシュミレーショ
ンし、具体的な我国の未来が見えてくる。私としてはどち
らを選ぶべきかまだ回答は出ていない。



「北朝鮮へのまなざし」を考える連続講座 終了分報告

第13回http://tsudoi0720.at.infoseek.co.jp/koza_013.html
『なぜ、今、脱北帰国者の支援か 私の入管行政・30余年の歩みをふまえて』
 講師:坂中英徳さん(前東京入国管理局長・脱北帰国者支援機構代表) 近著:『入管戦記』(講談社刊)

日時:2005年(平成17年)6月19日(日)13:00〜17:00
場所:ラポール日教済 (新宿区山吹町10-1 Tel:03-5228-2675)
司会:鈴木啓介
構成:原 良一(RENK&守る会&救う会&難民基金会員、集い呼びかけ人)
連続講座の第13回の要旨をご紹介します。

講演要旨―坂中英徳さん
第一部
私が活動を始めてから、予想以上に多数の取材を受けて驚いている。多く受けた質問が、何故在日の問題にこれだけ熱心に関わるのか? 何故在日韓国・朝鮮人と一緒にやるのか? ということ。
私は、終戦の年、昭和20年の5月に朝鮮半島で生まれ、戦後すぐに京都の片田舎に引き揚げて育った。そこにも在日朝鮮人はいたのは記憶しているが、意識したことはなかったし、関心も低かった。役人になったのもたまたまで、大学を卒業後、就職浪人でブラブラしていた時公務員試験に合格、たまたま配属された先が法務省の入管だったというだけのこと…。

在日二世以降を外国人扱いするのはおかしい…
私は71年(昭和46年)大阪入管の窓口に配属された。来訪者は在日ばかり、特に大阪では99%が在日であり、入管の看板を掲げていても実質在日韓国・朝鮮人だけが対象だった。

当時、在日韓国・朝鮮人には、14歳で本人出頭の義務があり、その2年後16歳で外国人登録で指紋押捺が課せられていた。一世の親に連れられて初めて入管に来る二世の少年、少女たちは、日本で生まれ育ち、ほとんど日本人と同じ、親とは顔、姿、物腰と雰囲気がまるで違う。赴任し、業務に就いてすぐに「こういう子供たちを、外国人として扱うのは酷なことだな」と直感的に不当性が理解できた。その後知る問題の重大性、複雑性を認識していなくても「彼らを外国人扱いするのはおかしい」と強く感じていた。

1970年代初めは、在日社会では日本は仮住まい、「仮の宿」とする帰国志向が強く、韓国籍向けに協定永住などの制度はあっても、民団でさえも定住の話はタブーだった。それでも、当時で既に在日の70%近くは二世以降であり、一世は少数派であった。

その頃、入管法の改正が議論され、改正法案作りに私も携わった。もっとも73年頃、国会に4回提出されてすべて廃案になってしまった。改正案には、政治活動の規制など問題のある条項があり、法的地位への配慮もなかったからで、民団、総聯とも猛反対で、特に総聯からは何度も集団での抗議を仕掛けられた。入省2〜3年の私も、抗議団との談判の矢面にも立たされ、腹が立って「文句があるなら対案を出せ」とやりかえしたこともあったが、相手は、その点に対して上部から答え方を指示されていなかった様子で、回答に詰まっていた。

「坂中論文」の上梓、波乱の人生の始まり
これらの経験を踏まえ、「在日韓国・朝鮮人問題の解決なくして、入管法の改正はありえない」を痛感した。75年に法務省の入国管理局発足25周年記念で「今後の出入国管理のあり方について」という題で論文の募集があり、400字詰め70枚の論考で応募した。望外で優秀作に当選し、幹部から公表化の提案も受けた。法務省に「外人登録」という機関紙があって、その77年6月号に資料を交えて掲載された。この「在日朝鮮人の処遇」という文章が「坂中論文」と呼ばれ、多くの議論を呼ぶことになった。

当時「日本朝鮮研究所」という在日韓国・朝鮮人研究について最も有力な団体があり、佐藤勝巳氏や多くのジャーナリストが在籍していた。同所で「岐路に立つ在日朝鮮人」という7、8回の連載特集があり、そこで私の「坂中論文」が批判された。

『入管戦記』を出版後、旧知の佐藤勝巳氏より400字詰め×60枚ほどの書評を書いたので、順次『現代コリア』に発表する」との連絡を受けた(「現代コリア」05.6月号より連載中)。佐藤氏は同文で「坂中論文は、日本政府の対在日政策を根本的に変革させた」と述べておられた。しかし坂中論文は、当初から総聯にボロクソに酷評され、民団からも批判されたが、民団は80年代に入って日本での定住志向に傾き、坂中論文に同調する傾向が出てきた。

坂中論文では、「在日韓国・朝鮮人の人々は、日本国籍を取って日本国民になるのが一番良い。そのためにも社会差別がないよう社会環境を整えよう」というのが主張の骨子だったが、総聯からはこれを「同化政策」として非難された。しかし、在日の人々の処遇の改善は、私のように将来日本国民になってもらう立場と、外国人として民族性を維持する立場の違いはあれ、いずれも彼らの日本での「定住を前提」にしており、帰国志向のままでは、処遇の改善に取り組む私たちにとっても力が入らないのも事実であった。

その「定住志向」の姿勢を、総聯から機関紙の一面を使って「坂中けしからん」と酷評されたりもした。ところが、酷評しつつも、路線転換を公式表明していなくても、いざ特例永住や難民条約による法改正が施行されると、総聯は、一転組織動員をかけて25万〜30万人もの会員に一挙に申請させた。85年頃から、一部の学者や運動家たちから「坂中の言った通りの方向になったな」と言われるほど、在日社会の定住志向は強まった。一方で私自身は、ことある毎にボロクソに批判されるのに嫌気がさし、次第に対外的には沈黙するようになっていった。その間、在日社会の側でも指紋押捺の問題などさまざまな動きがあった。

私は「対外国人政策は百年の計」であり、日本社会の問題であり、問題に取り組む主体は日本社会の側にあると考える。失礼ながら在日社会の側は、「けしからん、けしからん」と文句を言いながらも、「本国」の意向にも影響されてか主体的な対応がなされず、できず、流れに身を委ねているだけのように見える。

再注目された「坂中論文」
98年2月、仙台に勤務していた当時、民闘連(民族差別と闘う連絡協議会)の代表だった李敬宰(イ・ギョンジェ)氏(現高槻むくげの会会長)より「坂中論文から20年経って、坂中さんの言ったとおりになってしまった。それなのに在日の側に危機感自体がない」と講演の依頼を受け、大阪府高槻市で「坂中論文から20年、在日はどう生きるべきか」という題で講演した。その中で、「このままでは在日は自然消滅する。50年は持たない」と発言し、在日社会に大きなインパクトを与えた。私自身は、自然消滅がいいとは思っていなかったが、上記の見解に基づいて毎日新聞でインタビューを受け、99年4月2日付の夕刊一面で「在日は自然消滅へ」のタイトルで掲載された。

帰国運動は、日本の政府や差別をした日本の社会の責任も大きいが、基本的には帰国者を受け入れた北朝鮮の問題であり、責任である。一説に9万3千人が還ったとされる帰国者は、最初の4〜5年で1万人が処刑されたとの話を聞いた。帰国運動当時、北朝鮮で帰国運動の実務の責任者だったある亡命者からは、「1万人どころではない、日本人妻の60%、帰国者全体でも30%が処刑または、行方不明になっていて収容所で獄死した可能性が高いとの見解を示されたとのことだ。

社会的差別も深刻で、帰国者の北朝鮮での成分(階層序列)は51段階ある内の48番目だという。帰国者で日本人妻など日本国籍を持つ者は、二重の差別を受けているとも聞く。帰国者は、本国で監禁状態にあるも同然で、本国政府からこれほど酷い目に遭わされた在外民族は聞いたことがない、北朝鮮だけだ。

 「帰国者問題の解決なくして、在日韓国・朝鮮人問題の解決なし」が私のたどり着いた結論である。


第二部
在日の主体的活動の不可欠性
今後、元帰国者の大量の再入国は必至であり、政府が対策に乗り出す前の中継ぎとして在日主体の活動が始まっていないと、国民の理解は得られない。被害者が声を挙げてもいないのに、彼らの支援に血税である国費の支出されるのを国民が受容してくれるわけがないからだ。

ある意味、帰国者親族の在日親族は、帰国者以上の辛酸を嘗めてきた。例に挙げれば、横田めぐみさんに対する横田ご夫妻と同じ立場である。現在、日本への再入国を果たした80人に対しては、関係したNGOは日本への受け入れだけで精一杯であり、入国後の面倒は到底ムリである。

平島筆子氏の北朝鮮への再入国は、同氏を孤立状態にするなど、現在の我々日本社会の力量不足を露呈するものだった。実態は、北朝鮮に残した親族をネタにしての脅迫による再度の拉致であり、北京の北朝鮮大使館での平島氏の「金正日将軍万歳」が、猿芝居に過ぎないことは日本人なら誰でもわかることだ。

日本はかつてインドシナ難民を約1万人、中国残留孤児を二、三世を含めて数万人単位で受け入れた経験がある。帰国者の再入国は、それよりさらに膨大な人数になる可能性があるが、在日社会という数十万単位の受け皿があるという有利な点もある。率直に言って、インドシナはともかく中国残留孤児の日本への再定住は失敗であり、多くの問題を抱えている。


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DVD「素顔のぺ・ヨンジュン〜韓流EXPO in ASIA〜」予約受付開始韓国語 | 英語 | 中国語 天気 : ソウル 23.8℃

記事入力 : 2005/06/09 14:12:51
脱北在日朝鮮人支援グループ組織した元法務省局長の坂中英徳さん
チョン・グォンヒョン | 鄭権鉉 | 拉致

 日本の法務省に30年間務めた元公務員が、脱北者を支援する活動家に変身した。

 主人公は今年3月、東京入国管理局長を最後に法務省を退職した坂中英徳(60)さん。先月末坂中さんは北朝鮮を脱出し、日本に入国した在日朝鮮人と彼らの日本人妻を支援する市民運動団体「脱北帰国者支援機構」を結成し、活動を始めた。

 「脱北帰国者問題は拉致被害者問題以上に深刻です。この問題を放置したままで在日韓国・朝鮮人問題の完全な解決はありえません」

 坂中さんは70年慶応大学を卒業後、法務省に入省して入国管理業務にあたり、「ミスター入管」と呼ばれた人物。坂中さんは「北送の背景に日本社会の朝鮮人差別があっただけに、帰ってきた彼らを助けるのは当然の責務」と語った。

 日本政府が59年から「人道主義」を掲げて進めた在日朝鮮人北送事業は25年間で9万3000人を北朝鮮に送り、往来の自由も奪った。その後、北朝鮮を脱出し、日本に帰ってきた帰国者はこれまで80人余り。彼らは日本社会で貧困と無関心に悩まされている。

 坂中さんは「日本のメディアも、今や私たちの仕事を国際的な人道・人権擁護運動とみなし始めた」とし、「韓日の間でこのような市民連帯運動はおそらく私たちが初めてだろう」と付け加えた。

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員 khjung@chosun.com

朝鮮日報/朝鮮日報JNS 印刷 リスト 前ページ 画面上へ

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アフガン拉致イ・スンヨプサムスントヨタハイニックス朴槿恵東亜日報現代自盧武鉉

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2005年 名古屋大学講師、専門は移民政策論、オーストラリア政治社会論
[著書]「在日外国人と帰化制度」(新幹社、2003年)
「在日」論の嘘(PHP研究所、2006年)
「オーストラリア移民政策論」(中央公論事業出版、2006年)

    新坂中論文への疑問と批判!           チョン・ヤンイ

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         新「坂中論文」を批判する! http://www.geocities.jp/yonamugun/sakanaka.htm

 坂中英徳氏は現在、法務省仙台入国管理局長である。氏は1977年「今後の出入国管理行政のあり方について」という論文を発表し、当時の在日社会から反響を呼び、また批判もされた。坂中論文は行政官の立場から在日社会のありようを分析し、その方向性を「帰化」へと結び付けた。このことで「同化」を先取りする日本国家の政策を代弁したと批判されたのである。
 「10年経てば山河が変わる」という朝鮮の諺どおり、かつて批判したであろう人々が20年後の今年2月、坂中氏を講師に呼んだのだ。主催者は「第2回民族差別と闘う実践交流集会」実行委員会。全体集会の記念講演で「これまでの在日はどう生きてきたのかー坂中論文から二十年―」というテーマである。この講演原稿は「現代コリア1・2月号」に掲載された。本稿はこの原稿をもとに検討、批判したものである。なお、私は直接この講演を聞いていないことをお断りしておく。以下、原稿録の見出しの順序にしたがって展開したい。

 1,はじめに
 氏は法務省官僚の中でも比較的リベラルなヒトであることを以前から聞いていた。が故にかつて、批判したであろう人たちが主催した集会にも講師として参加したのであろう。その経緯は知る由もないが、この集会には好意的に招待され、講師として参加したことは文脈から読みとれる。
 氏は冒頭で、自らが日本人の立場、個人の立場(行政官ではない)に立つことを強調され、日本政府の方針や見解とは何ら関係のないものであることを前置きしている。また、かつての「坂中論文」が大量に批判されたことにも触れている。ただ、後述している文を読むと、この批判がむしろ自負心にもなっているような印象すら感じさせる。特にこの20年間の歩みの中で氏が予想した状況になっていると言わんばかりである。

 2,日本の経済と文化への貢献
 氏は77年の論文の中で「日本社会が在日朝鮮人に教育と就職の機会均等を保障し自由競争の場を提供するようになれば、在日朝鮮人は日本社会で生きる希望を見いだし(中略)在日朝鮮人からその能力や職業によって高い社会的評価を受ける者が進出してくるであろう。〜日本人の朝鮮観もおのずから変化し、日本への帰化を積極的に肯定する方向でのコンセンサスが在日朝鮮人社会に形成されていくであろう」と書き、この概観を自己肯定している。そして、この20年間は「差別の少ない自由で住み良い国に変わっていき、在日の人たちが日本社会に生きがいを見つけて各分野でめざましい活躍をした時代であった」と総括。

ア、法的地位については世界に例がないほど優遇されている。(特別永住者)
イ、処遇については国民年金等の社会福祉制度の適用が受けられ、安心して暮らせる。
ウ、就職は差別が減少し、地方公務員にもなれるようになった。
エ、結婚に際して民族差別がほとんど見られなくなった。
 以上、4点にわたり具体的に評価している

 ア、について。在日が一般的な外国人のように自らの意志に基づいて渡日したなら別だが、言うまでもなく日本の植民地支配の結果によるものである。西欧社会では第2次世界大戦後の戦後処理の中、自国内にいる旧植民地出身者に対してはフリーハンドの国籍選択権を与えた。これらと比較すると在日の法的地位は、決して「世界に例がないほど優遇」などとは言えるはずがない。

 イ、について。確かに難民条約批准(国際化=黒船来航)のお陰で在日も国民年金等の社会福祉制度の適用が受けられるようになった。しかし、国民年金は20歳から60歳までの間に25年間、保険料を積み立てないと年金が受給できない制度となっており、国籍条項が撤廃された82年当時、35歳を超えている外国籍者は結局、無年金のままになった。沖縄復帰にあたって、住民には国民年金の適用のため暫定措置がとられたのとは大きな違いがある。とりわけ、年配の在日にとって無年金は、厳しいものがある。「安心して暮らせる」とは口が裂けても言えまい。

 ウ、かつてに比較して就職差別が減少したことは認めよう。だが、相変わらず国家公務員にはなれないし、地方公務員についても一部の自治体が国籍条項を撤廃したのであって全面的になれるわけでもない。民間企業についても就職差別がなくなりつつあるが、一方で巧妙に在日を排除しているという実態もある。就職不況の今日は数年前に比較してむしろ、在日の就職口は減少しているという指摘もある。
 障害者、女性等の社会的マイノリティに対しては就職等の法的配慮がなされているのに、在日にはない。法務官僚ならこれにコメントすべきだと思うのだが。氏は後述しているように法的な措置については反対の立場であり、日本政府の立場とまったく合致している。

 エ、これについては開いた口がふさがらない。私はもっとも深刻な今日の民族差別の一つだと考えている。就職については上に述べたが、結婚差別については相も変わらずである。しかも、日本籍・韓国籍・朝鮮籍にかかわりなく行われている。事はプライベートに関わる問題なので表面化しないだけである。在日の実態を知らないのか、知っていて先のように断言するのかは分からないが、何れにしても事実誤認もはなはだしい。

 氏はこの項の終わりで「ただ一つ残念に思うのは、困難な事情があったことは承知しているが、在日の人たちの多くが民族名でなく日本式の姓名を使って事業活動、社会活動を行ったことであります。これだけの仕事をし実績を残した在日の人たちが、もし民族名により社会活動を行っていたとしたら〜日本人の朝鮮観に好ましい影響を与えたのではないでしょうか」と述べている。
 在日の多くが民族名を名乗れないのは、日本の植民地支配とその戦後処理問題や在日に対する抜本的な民族バックアップ政策がないことが大きく起因している。断じて「残念」などという他人事ではすまされないことなのだ。

 3,民族差別の減少
 このタイトルどおり氏は、ここ20年間で在日に対する民族差別がずいぶん少なくなったと明言している。その根拠は上で述べているとおりである。この批判については上でしているのでここではしない。
 氏は、「民族差別が減少したのは『民闘連』などが行った差別撤廃運動によるところが多い」と持ち上げるところはさすが。と同時に「日本人も在日に対する態度は寛容で友好的なものへと変わっていった」と指摘。在日に対する制度上の差別、眼に見える形での差別は非常に少なくなったと相変わらず力説している。

 一方で氏は「在日が大同団結して本名を名乗る運動」「民闘連の在日一斉本名宣言運動」まで提案している。私は大きなお世話、大きな迷惑と言いたい。在日が本名を名乗る運動を展開するのは在日が決めることであり、日本国家、日本人がすべきことは、他にいくらでもあるはずだ。自らが何をすべきかを明らかにせずして、スローガンだけを他人ごとのように言うのは無責任ではないか。

 法務官僚としての坂中氏の態度が如実にあらわれるのは後半部分だ。氏は在日に対して、アファーマティブアクションについては反対である。アファーマティブアクションとは、差別撤廃のため被差別者や少数民族の就職や入学などを優遇する処置で、アメリカなどで州によってはこの処置が取られてきた。要は法的な民族差別撤廃のための処遇であるが、氏はこれに反対の立場である。民族差別には反対するが法的処遇についても反対。ここに日本政府の代弁者としてあらわれる。

 アメリカでは黒人解放運動が進展する中、アファーマティブアクションがとられるようになった。一方、日本ではアファーマティブアクションの議論どころか民族差別を取り締まる法制度すらない。在日はこの日本では、平等な競争(就職)すらできない。法務官僚としてはむしろ、このことの問題点を指摘すべきではないのか。氏は差別に反対と言いつつ、過去に対する反省点や今日やるべき課題を提示しないで在日にその課題を押しつけようとする。本末転倒もはなはだしい。

 4,日本社会への同化の深まり
  この項が最も長い。氏は初めに「日本政府は在日韓国・朝鮮人の日本への(帰化)を強いるような政策はとっていません。ましてや、差別により同化を強要するようなことはしていません」と切り出している。この後、77年の論文を引用し、批判への言い訳を行っている。
 「日本国民になろうという意思が在日朝鮮人になければどうしようもないものであり、国家が押しつけるという性質のものではない。日本政府としてできることは、在日朝鮮人が日本国民となるのはその実体と将来の動向に適合するものであるとの基本認識の下に、すすんで日本国籍を選択したいという気持ちが在日朝鮮人の間に自然と盛り上がってくるような社会環境づくりに努めることであろう」

 当時、在日社会からこの部分が日本政府の同化政策の先取りだと批判されたところで、氏もそれを意識している。そして、この部分の真意として次のように述べている。
 「国家が外国人の同化(帰化)を強制するものではないとの基本的立場から、在日韓国・朝鮮人の自発的な日本国籍の取得を促すための社会環境の整備を提案したのであって同化(帰化)そのものを促進するための方策を述べたのではありません。国が在日韓国・朝鮮人の在留の根拠となる法的地位の安定を図り、できる限り制度的差別等をなくしその生活環境の改善に努めることを考えたのであって、もちろん民族差別等を残すことによって同化(帰化)に追い込むことを主張したのではありません」

 氏は在日の制度的改善や法的地位の安定を主張しただけであって、同化を進める気はないと言い訳している。なるほど「制度的改善や法的地位の安定」については問題ないが、要は、中身と結論が問題なのだ。氏の言う「制度的改善」には、例えば「公教育の在日朝鮮人教育」などいっさい触れられていない。また、昨今、流行りの多文化教育などについても触れられていない。「人はパンのみで生きるにあらず」。在日が在日として氏の言うように「民族名」を名乗って生きて行くには生活改善だけでなく、在日が尊厳を取り戻せるような施策を日本政府がとらなければ、同化を促すことにしかならない。

 ここで同化について言及したい。氏は同化=帰化と限定して使用しているが、本来、同化と「帰化」はイコールではない。もっとも、従来からの日本政府のスタンスでは「帰化」を同化の一手段として見なしてきたことは間違いない。「帰化」に際しては日本名の強制を行い、当然ながら民族運動を行っている人には「帰化」許可など考えられない。氏は意識したか分からないが、私は皮肉の意味で、同化=帰化としているのはその意味では正しいと思う。

 本来、同化とは出身国の言語や習慣を保持している一世が外国で生活を行っている内に自らの言語や習慣を忘れたり奪われたりすることを指すが、二世にとっては一世
が保持している言語や生活習慣などもともと獲得しているわけでもない。「民族性の獲得」というプロセスはあり得てもいわゆる同化というプロセスはあり得ないのが、今日の社会学の常識である。
 この後、氏は戦前に行われた日本語使用の強制や創氏改名などの同化政策については失敗であったと指摘した上で、戦後の政府がとった在日への政策は「同化を図るための積極的な方策は何もとらない、いわば無為に徹して自然の成り行きに任せるというものだった」と断定している。戦後の混乱期やその後の政策で少なからず政府が何をしてきたか、歴史を少しでもかじった者は、氏のこの意見にはとうてい納得できるものではない。いや、歴史の歪曲というほうが正しい。混乱期とはいえ民族学校を閉鎖し、つぶした者は誰だったのか。「帰化」に際して露骨に日本名の強制を行ってきたのは誰だったのか。社会福祉や公務員の就職で「国籍条項」という民族差別を大手を振って行ってきたのは誰だったのか。枚挙にいとまがない。

 氏は政府の「同化政策」などいっさい触れず在日二世以降がいかに同化しているか、日系ブラジル人の例や言語学上の観点からまたまた断定している。その上で「権利獲得運動」や「民族差別撤廃運動」が同化につながる要素があったと規定。ここに至っても同化という言葉の意味を間違って使用している。これら在日の権利獲得運動は同化ではなく基本的人権の要求であり、これを「適応」という言葉で規定できても同化ということでは決してない。以前「民闘連」運動の中で繰り返し言われてきたのは「権利がないから同化するのであって、権利があれば同化しない」だった。もちろんこの権利には民族教育権ということも含まれているが。
 ウダウダと氏を批判してきたが、ここで氏の意見を簡単にまとめてみたい。

 ア、戦後の政府は在日に対して「無為に徹して」何もしなかった。
 イ、在日が外国人として日本で安心して暮らせるように環境整備を政府はした。
 ウ、在日二世以降は自然の成り行きで完全に同化している。
 エ、「権利獲得運動」は同化につながった。
 これらの意見が正しいか、みなさんの判断を仰ぎたい。

 5,アイデンティティ危機の進行
 氏は在日二世以降「民族は日本、国籍は韓国・朝鮮という民族と国籍の分裂現象が顕著となりアイデンティティの危機状態」にあると分析している。また、「今日の在日韓国・朝鮮人は、国籍(韓国・朝鮮籍)を維持していても、肝心の朝鮮半島への帰属意識と本国の人たちとの一体感がなくなったため、自分が何者であるかが定かでなくなり〜唯一のよりどころとなっている国籍は、国民としての基本的な権利義務関係を伴わない、全く実感の乏しいもの」としている。この現状分析については私も同感である。なぜ、このようになったのだという気持ちはあるが現状はそのとおりだ。

 この項の終わりに氏は「在日韓国・朝鮮人の真のアイデンティティを確立する道は、朝鮮半島出身者であることを本名を名乗って明らかにした上で、自己が全面的に帰属している日本の国籍を取って名実ともに日本国民として生きること(朝鮮系日本人)ではないでしょうか」と提言している。この提言の方向性はそのとおりだと思う。ただし、氏の言うところの「朝鮮系日本人」として本名を名乗って生きていくには、在日に対する教育を自国のマイノリティとしてバックアップする法的な施策が必要である。このことなくして氏の言うようなマイノリティ像は出てこない。その意味では法務官僚として、この提言は無責任この上ないものと言えよう。

 6,日本人との結婚の増加
 氏は77年の論文で在日と日本人との婚姻を以下のように指摘している。
「在日朝鮮人は血縁的にも日本人との関係を深めてきており、このままの趨勢が続けば、数世代を経ないうちに在日朝鮮人の大半が日本人との血縁関係を有する者となることが予想される」

 そのとおりである。その上、85年の国籍法改正により父母両系主義により在日と日本人の子どもは、ほぼ日本籍となっている。この趨勢は変わらない。そして、この情勢を氏は「日本人が在日の人たちに対して抱く感情は、以前の幾分悪意のこもったものから、今日の好意的なものへと大きく変わった」とし「少数者問題が結婚・混血により少数者と多数者が融合する形で平和的に解決される方向が見えてきたこと、こういった事例は世界の歴史にもあまり例がないと言える」としている。

 確かに日本人の在日に対する感情は変わりつつある。しかし、少数者問題がこれで平和的に解決するというのは早計ではないか。氏の発想は植民地時代の「内鮮融和」のもとに奨励された「内鮮結婚」とどう異なるのか。差別社会のヒエラルキーを問題視し変革しない限り結局は、歴史の事実が示すところになる。
 多数者が少数者を飲み込んでいるにすぎない現状がどうして平和的解決なのか。結婚という最も本音の出るところで民族差別によって婚約が破綻したり、結婚しても家庭内民族差別(「帰化」を迫ったり、日本名を強制したり)があることは在日なら誰でも知っている常識である。

 7,人口の減少
 少し長いが引用する。
 「韓国籍・朝鮮籍の在日韓国・朝鮮人の人口は、ここ数年、帰化の急増(1994年が8244人、1995年が10327人、1996年が9898人),目本人との婚姻の増加(婚姻中の日本人との間に生まれた子はすべて日本国籍)、死亡者の数が出生者の数を上回る人口の白然減の進行(1994年が108人、1995年が873人、1996年が755人の自然減)などにより、年間一万人のぺースで減っています(特別永住者(韓国・朝鮮籍)の数の推移を見ますと、19993年末が578741人、1994年末が573485人、1995年末が557921人、1996年末が548968人となっています)。

 この人口減少の勢いは、今後、目本国籍を取得する者が一段と増加すること、人口の自然減の拡大傾向がしばらく続くことなどの理由から、さらに強まるものと予想されます。帰化の数が年間一万件で推移すると仮定したとしても、人口の白然減と相まって、単純計算で年間一万人強の人口減が続くことになります。(中略)そして、21世紀の前半中に、在日韓国・朝鮮人は自然消滅する可能性が高い」
 さすが法務官僚、そのとおり。特に在日の人たちもあまり気づかない特別永住者数の指摘は重要である。従来は在日の数と言えば単純に韓国・朝鮮籍者数を足していたが、今日ではニューカマーのコリアンとオールドカマーのコリアン(子孫)のその性格は異なるため区別して考える必要がある。

 氏は終わりに「このような在日社会の構造変化に対応するため、民族団体は日本国籍の人たちを含む朝鮮半島出身者のすべてを網羅した団体に脱皮する必要がある」と提言。韓国系の民団は84年から日本籍者も「友好団員」として一応メンバーに加えることを決めているが、他の民族団体ではそうなっていない。大きなお世話だが、氏の提言は正しい。

 繰り返しになるが「21世紀の前半中に在日韓国・朝鮮人は自然消滅する可能性が高い」という指摘を我々は肝に銘じてその重みを受け止めないと手遅れになる。残念ながら、その深刻さに気づく人は少ない。
 とはいっても在日がいなくなるわけではなく、日本籍者が増え続けるだけなのだが。

 8,21世紀の在日韓国・朝鮮人
 ここで氏は在日の将来像を二つに分けている。
 1,日本国籍を取得して朝鮮系日本人(出自が朝鮮半島の日本国民)として生きる人。
 2,韓国・朝鮮籍の特別永住者として生きる人。

 77年の論文ではこの2つの分類に加えて「本国へ帰り朝鮮人として本国で生きる人」があったが、今となっては削除されている
 この項においても再度氏は2,の人々は減少の一途をたどり、1、の人々が飛躍的に増えることを強調している。その上で2,の立場で生きる人々に対し「外国人」として制約のある生き方を示唆している。
 この後、氏はボーダーレスの今日においても「国民国家」の現状は変わらず、「外国人の地位」と「国民の地位」の差があることなど持論を展開しており、さすが仙台入管局長と思わせるものがある。もちろん私は、氏の政府の代弁者としての「国民国家論」などとうてい納得するものではないが、保守的な「国民国家論」を興味深く再確認させていただいた。紙面の関係上これ以上触れない。

 9,終わりに
 最後に氏は「将来の在日社会は日本国籍を有する人たちが多数を占めることになりますが、そのようになっても、在日の人たちが在日韓国・朝鮮文化を共有する集団としてのまとまりをいつまでも維持されることを願っています」と締めくくった。
 在日の日本国籍化と在日の文化維持の指摘については問題ない。しかし、在日の日本国籍化は基本的には日本政府の施策に負うところが多く、これについての反省や掘り下げがいっさいない。
 また、在日の文化維持についてもその指摘は正しいが、「維持」するための法的なバックアップなどの中味の指摘はない。今日の現状で、在日の日本籍化は朝鮮文化の維持などとはほど遠い。
 結局、氏の立場は、日本政府の「在日の自然消滅=同化」を待っている立場とどこが相違しているのだろう。そう考えるのは私一人だけではないないはずだ。

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2007年07月24日http://blog.livedoor.jp/jipi/ 
なぜ北朝鮮帰国者問題の解決が遅れたのか

 ある問題の解決のためには、まず問題を発見し、次に問題を顕在化させ、そして問題の解決策を考えるというプロセスが必要である。北朝鮮帰国者問題の歴史を振り返ると、早くから問題の所在は認識されていた。帰国運動は1960年と1961年がピークで、その後帰国者は急激に減少に向かう。帰国者の8割に相当する7万5000人が1961年末までに帰国した。この時点で、帰国運動が間違いだったことは在日コリアン社会で常識となっていた。しかし長い間、問題は潜在化したまま放置され、在日コリアンは沈黙したままであった。帰国運動がとんでもない過ちであったことを知っていても、誰もそれを公言しなかったため、1984年まで忌まわしい帰国運動が続いた。大量帰国が終わった1962年以降も、多くの人が地獄の地へ向かって帰って行った。帰国者の中には、北朝鮮政府が行った人権弾圧により強制収容所に入れられたり、行方不明になったりする人が続出した。“帰国者狩り”が始まった1969年以降、強制収容所で亡くなったり、処刑されたりした人は1万人を超えると推定されている。

 私は、30年ほど前から北朝鮮帰国者問題に関心を持ち、1980年代の後半には、北朝鮮帰国運動が在日コリアンを不幸にした元凶だということに気が付いていた。この問題を何とかしないといけないと思っていた。しかし、勇気がなく、その見解を公表することはなかった。ようやく金正日総書記が日本人拉致を認めて謝罪した後の、2002年11月9日の「読売新聞」のインタビュー記事の中で、「北朝鮮帰国者問題は日本人拉致事件以上に大きな問題だ」と指摘することができた。その時に初めてマスコミ報道を通して北朝鮮帰国者問題が明るみになった。隠れていた恐るべき悲劇の実態が白日の下にさらされたのだ。そして2005年5月、私は北朝鮮帰国者問題の解決を図るために脱北帰国者支援機構を設立した。

 北朝鮮帰国運動が北朝鮮による国家的犯罪であったことを告発するまでに43年もかかったことが、多数の犠牲者を出した最大の理由である。在日コリアンは、帰国者が北朝鮮の人質となり、苦悩を強いられていることを認識していながら、見て見ぬふりをしてきた。その間に多数の人が帰国運動の犠牲となって死んでいった。日本に残った在日コリアンの不作為の責任は重いと言わなければならない。彼らが早くから帰国運動の欺瞞を暴く運動に立ち上がっていれば、問題がこれほどまでに深刻化することはなかったはずだ。帰国運動は1960年代前半をもって終わっていただろう。帰国者が人質に取られて、日本に残ったコリアンが本国政府から無理難題を押し付けられるというような悲劇も起きなかったに違いない。帰国運動の真相が明らかになるまでに40年以上もかかったことは、返す返すも残念でならない。その点では、日本人も在日コリアンと同罪である。日本人の中にも、帰国運動の誤りを糾弾する人や、帰国者が本国で受けた迫害について思い遣る人はいなかったのだから。

帰国者問題に対して勇気を持って取り組む人が日本社会から現れなかったことが、犠牲者を大量に出した要因だった。帰国運動が何をもたらしたのかを問うためには、北朝鮮の国家体質を正面から問い正すことが不可欠であった。しかし、日本の政治家、ジャーナリスト、在日コリアンのすべては腰が引けていて、北朝鮮帰国者問題は長い間ベールに包まれたままにされてきた。そのために、北朝鮮帰国者問題が解決されることなく半世紀もの年月が経過してしまったのだ。

事全文 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070716ddm003070154000c.html


闘論:日本の難民政策 坂中英徳氏/滝澤三郎氏
 ベトナム戦争終結後に「ボートピープル」とも呼ばれたインドシナ難民が多数生まれたのを背景に、日本で難民条約が発効して25年。しかしその後の日本は、先進諸国の中では難民受け入れに消極的と批判されてきた。不安定な世界情勢を反映して増加に転じた難民にどう向き合えばいいのか。現状と課題を聞いた。

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 ◇制度面は最高水準 移民枠で定住支援を−−元東京入国管理局長・坂中英徳氏

 日本の難民政策を制度と運用に分けて考えると、05年の出入国管理及び難民認定法(入管法)の改正で、制度面では世界の最高水準に達したと思う。難民申請を入国後60日までとした「60日ルール」の撤廃、仮滞在許可の創設、不認定とされた難民の異議申し立てについて民間からも審査に参加させるなど、難民の保護や審査の透明性はかなり向上した。

 05年は決定を出した295人のうち46人を難民認定し、人道配慮により97人に在留特別許可を出した。難民認定率15・6%、人道配慮のケースも含めた庇護(ひご)率48・5%は、欧米先進国に比べて見劣りはない。

 ただ運用面では、申請者が05年の384人に比べ06年は954人と急増した。地位の不安定な申請期間が長引くのは好ましくないが、今の態勢では審査の長期化は避けられない。

 難民の受け入れ数が少ないと批判されてきたが、人口増時代には就労、定住目的の外国人をほとんど受け入れてこなかったことも背景にある。しかし、人口減の時代に入った今、外国から移民を積極的に受け入れていかざるを得ないだろう。その場合、一定数の難民の受け入れを移民枠の一つに位置づけてはどうか。

 かつて受け入れた約1万1000人のインドシナ難民や約2500人の中国残留孤児帰国者に対し、政府の日本語教育などの定住支援は不十分だった。私は民間のボランティアとして北朝鮮からの脱北帰国者支援にかかわっているが、今から公的な支援体制を整えなければ訴訟に至った残留孤児帰国者の二の舞いになりかねない。

 脱北者を難民問題としてとらえることが重要だ。在日朝鮮人らを対象とした59〜84年の帰還事業で日本人配偶者を含め約9万3000人が北朝鮮に渡った。しかし、難民条約が規定する以上の迫害を北朝鮮政府から受けた。国交正常化であれ、北朝鮮の体制崩壊であれ、何らかのきっかけで彼らとその家族の大半が日本を目指す可能性があり、政府内部では94年にその数を約10万人と推定している。

 難民も含めた外国からの移民の教育、就労、住宅などの定住支援を総合的に推進する移民庁を内閣府に設け、「日本に来て良かった」と思われる国を目指すべきだ。【構成・吉富裕倫】

 ◇「構造障壁」の解消を 他国に条約加入促せ−−UNHCR駐日代表・滝澤三郎氏

 今、世界の難民は1000万人、国内避難民を含めると3300万人に上る。難民問題に対する日本の財政的貢献は大きく、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への拠出金は約90億円。総予算の7%を占め、230万人の難民が日本の財政支援で救われていることになる。近年まで日本は、米国に次ぐ第2の「人道支援大国」だった。

 一方、難民の受け入れ数は、難民条約加入後も97年までひとけたで推移し、最近は40人前後になったが、少ないのは事実。「難民申請の数が少ないから難民認定数も少ない」との指摘があるが、申請がなぜ少ないのかが問題だ。そこにはさまざまな「構造障壁」がある。海に囲まれた地理的制約、きわめて厳格な難民認定基準、難民認定後の就職や教育面での支援体制の弱さ、難民コミュニティーの不在などが挙げられる。

 05年の入管法改正で、難民認定の公平性、透明性が高まり、法改正後は難民申請者数が増えた。しかし、申請者の急増で、難民審査の積み残しが増え、今後は人員の増員、職員の専門性の向上が課題。入国管理と難民認定という相反する仕事を同じ法務省の職員が担うのも問題だ。

 脱北者の保護や支援に関して定める「北朝鮮人権法」が昨年制定されたことは、人道的な趣旨から歓迎するが、北朝鮮だけでなく他の国々にも適用し、庇護(ひご)システム全体が格上げされることを期待している。

 日本が受け入れたインドシナ難民約1万1000人のうち、約半数は(別の避難国を経て日本に来た)再定住だ。その経験を生かし、難民を受動的に受け入れるだけでなく、積極的に自ら国外に手を差し伸べ、再定住という形で受け入れるべきではないか。ブータン難民を抱えるネパールなど、貧しい国ほど多くの難民を支えており、国際的な負担の公平化の面からも必要だ。少数でも再定住を認めるなら、国際社会の日本に対する見方は大きく改善するだろう。

 また、アジアは、タイやインド、パキスタンなど難民条約に加入していない国も多く、難民問題では後進地域といえる。条約加入後の長い経験を持つ日本が、他国に条約加入を促すなどのイニシアチブを取ることは「知的な国際貢献」になる。【構成・鵜塚健】

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 ■人物略歴 ◇たきざわ・さぶろう
 米カリフォルニア大大学院修了。法務省を経て国連に勤務。今年1月から現職。59歳。
毎日新聞 2007年7月16日 東京朝刊

2007/07/17
闘論:日本の難民政策 坂中英徳氏/滝澤三郎氏

ベトナム戦争終結後に「ボートピープル」とも呼ばれたインドシナ難民が多数生まれたのを背景に、日本で難民条約が発効して25年。
しかしその後の日本は、先進諸国の中では難民受け入れに消極的と批判されてきた。不安定な世界情勢を反映して増加に転じた
難民にどう向き合えばいいのか。現状と課題を聞いた。

◇制度面は最高水準 移民枠で定住支援を−−元東京入国管理局長・坂中英徳氏

◇「構造障壁」の解消を 他国に条約加入促せ−−UNHCR駐日代表・滝澤三郎氏

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管理者としての立場から
東京入国管理局長 坂中 英徳
(昭和45年入省 行政)
http://www.moj.go.jp/KANBOU/16MESSAGE/16-25.html

 入学試験に象徴されるように,一般に学生に求められる資質は「問」に対する「答」を出すことである。
君たちはこれまで,与えられた問題を解いて正しい答を出すことを多く学んできた。だから,答を見つけるのは得意だと思う。
だが,社会人,職業人に求められるのは,答よりも問を発する能力である。誰も問を教えてくれない。何が問題であるかは自分
で見つけるしかない。しかし,それは言うほど簡単ではない。何も考えずに惰性で仕事をする人は問題の端緒を見過ごしてしまう。
常に問題意識を持ってよく考えて仕事に取り組む人だけが首尾よく問題を発見できる。そして,問題の所在が明らかになれば,
その解決策は容易に導かれるものである。
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  19題消える「在日韓国・朝鮮人

 『現代コリア』1995年12月号に、法務省入国管理局入国在留課長の坂中英徳さんの論文(『「坂中論文」から二〇年』)が掲載されている。在日韓国・朝鮮人を直接担当する中央政府官僚による在日の現状と将来の分析であり、私には非常に興味深いものである。そのなかで私が最も注目したのは在日の婚姻状況で、1990年以降在日のカップルの80%以上が日本国籍を有する者を相手とするものであるという事実である。80年代に50%を越したと聞いて「へー!」と思ったものだが、今や80%であり、しかもその数字は毎年維持されているものである。

 日本では15年前の1985年に国籍法改正が実施され、それまでの父系の国籍は否定されて、父母両系の国籍となった。つまり父か母かどちらかが日本国籍であれば子も日本国籍となり、子の国籍が韓国・朝鮮籍となるのは同胞どうしの婚姻のみになった。従って今の在日の婚姻状況というのは、生まれてくる子供の二割は韓国・朝鮮籍で、八割は日本国籍を持つことになる。もしこの数字が維持されるのなら、三〇年ほどたった将来、その子が適齢期になったとき、同胞どうしのカップルの割合も二割であり、従って生まれる子供のうち韓国・朝鮮籍の割合は〇・二×〇・二=〇・〇四、すなわち四%しかない。残りの九六%は日本国籍ということになる。

また坂中さんの論文では一九九〇〜一九九四年の在日どうしのカップルの割合は二割どころではなく、一五〜一八%である。人数で言えば、在日の三分の一が同胞を結婚相手として選んできたことになる。三分の一という数字を冷静に考えてみると、三人ぐらいの子供を産んでそのなかの一人がやっと同胞と結婚する程度で、残りはすべて日本人と結婚するということだ。在日は今それぐらいに日本人との結婚に違和感を持たなくなってきているのである。

「日本人なんかと結婚してはダメだ」「朝鮮人は朝鮮人と結婚するのが一番」と我が子の結婚相手を必死になって捜し歩いていた一世の親たちはかなり高齢化し、いまや大きな力を持たなくなってきている。せめて長男だけは同胞の女性と結婚させたい、娘が日本人になるのはしのびないと頑張っても努力むなしく、子供から「この人と結婚します」と日本人を紹介されても勘当することなく、「仕方ない」と認める時代に変化してきているのだ。六〇万の在日は一億二千万の日本人のなかの〇・五%の存在でしかなく、従って同胞との結婚の割合を二割よりさらに減少させ、日本人との結婚の割合をますます増加させていくことになるだろう。

また坂中さんによると、在日の帰化者は年間約八千人である。一〇年ほど前までは五千人だったはずであり、これもまた急増している。これは我が親族の状況からしても実感できるものだ。民族性においては頑固な一世が亡くなるにつれ、その子や孫たちは帰化を真剣に考えはじめるのである。在日の帰化に対する拒否感は世代の交代とともに消えていく。

大学で部落問題を講義する灘本昌久さんは、ミニコミ誌『同和はこわい考通信』.51(一九九一年一〇月発行)で
「朝鮮人のアイデンティティーの危機は、その深刻さにおいて部落民の比ではありません。そもそも、朝鮮人と日本人との通婚率は、一〇年以上も前に五〇%を突破しました。すると、その間に生まれてくる子はハーフ、そして次に日本人と結婚して生まれた子はクォーター。日本での朝鮮人差別が緩和してくるにしたがって境界が曖昧になっていく朝鮮人のアイデンティティー。政治的・経済的に独立した源泉がある集団のアイデンティティーは、常に新しい命が吹き込まれつつ再生産されるでしょう。しかし、在日朝鮮人のアイデンティティーの源泉は実際には消滅しつつあるのではないかというのが、私の考えです。」書いておられたが、彼の指摘する事態は実際にはもっと急速に進行している。

一九九五年一二月二一日付けの毎日新聞によると『世界民族問題事典』(平凡社)の<在日朝鮮人>という項目で文京洙さんが「かりに永住権をもつ韓国・朝鮮籍の朝鮮人に限れば、その数は、最近一〇年間におよそ五万人もの減少となっている。こうした事態は、在日朝鮮人の意味を韓国籍、朝鮮籍、日本籍という三つの国籍をもつ集団として、あらためて認定しなおすことを求めている」と記述し、それに対し奥という記者は「文氏の指摘は新鮮だ」と述べている。しかし在日はその婚姻状況から圧倒的多数が日本人と親族関係となっていき、そしてこれから日本国籍を加速度的に取得していくのである。冠婚葬祭という民族にとって重要な場面においても大多数の日本国籍とほんのわずかの韓国・朝鮮籍の人々の集まりとなるのは、もはや時間の問題である。「三つの国籍をもつ集団」というのは現在はその通りであるが、将来的にはあり得ない。そしてこの間違いなく起こる将来の事態の確認は「新鮮」ではなく「衝撃的」である。

この衝撃的な事態は、在日が日本人とは異なる民族としての積極的な生き方を拒否しようとしていることを示すものであり、また彼らが「在日朝鮮人文化」を有する集団としての存在を否定する方向にあることを示すものでもあり、従って日本人と朝鮮人との「民族共生」というスローガンをむなしくさせつつあるものでもある。

韓国・朝鮮籍という外国籍をもつ存在としての在日は、まもなく消滅しようとしている。

「在日にも参政権を!」「公務員就任権を!」という運動は今でこそ元気なように見えるが、近々にその基盤を失うものだ。在日の活動家が民族受難を語り「さあ我々をどうしてくれるというのだ」と日本社会に詰め寄る姿は、民族の言葉・習慣・感性を持たない自分を忘れ、現在あるいは将来に関係を結ぶであろう日本人親族を論難することにほかならず、従って孤立していくしかなかろう。民族差別と闘う運動は近い将来に終息することになるだろう。

在日は日本国籍を有しながらも自らのルーツをどう大事にしていくのか、そしてまた日本社会・国際社会にいかなる貢献ができるのかを模索・努力すべきである。それが成功しなければ、在日という存在は、二〇・二一世紀の日本の歴史の中で波間の藻屑のごとく消え去るしかない。

古代において朝鮮半島からの渡来人たちは当時の日本に貢献し、王仁・慧慈・百済王敬福などが『日本書紀』等にその名を残している。現代の渡来人である在日は、日本の歴史あるいは世界の歴史に名をとどめることができるであろうか。

在日韓国・朝鮮人帰化者数

1952〜1988 145,572人 1989 4,759人 1990 5,216人 1991 5,665人

1992 7,244人 1993 7,697人 1994 8,244人 1995 10,327人

合 計 194,724人     (現代コリア研究所作成)

  日本での韓国・朝鮮人の婚姻届出件数と国籍別組み合わせ

       (『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店1996より作成)

(追記)
 『現代コリア』第361号(1996年5月号)で発表したものの再録です。

今日本では、外国人に地方参政権を与えるかどうかの議論がなされています。議論はいいことなのですが、疑問なのは韓国の金大中大統領が在日韓国人に地方参政権をあたえることを日本政府に強く要求していることです。これはすなわち在日韓国人のほとんどが日本に同化し、韓国籍を有しているということ以外に民族としてのアイデンティティがないという状況について、何の危機意識もないということです。この状況のまま参政権の要求をするということは、韓国籍だけは維持しながら限りなく日本人に近づくという在日韓国人にしようというものです。韓国の最高責任者は本来、外国に居住する韓国民には、自らの民族に近づくよう努力をすべきものでしょう。例えば韓国の大統領選挙等の参加を認めるといったことが、まず検討されるべきものです。それなのに外国である日本での参政権を要求するというのは、方向が逆を向いているとしか言いようがありません。

 ところで坂中英徳さんはその後の論文で、さらに踏み込んで「二一世紀前半中の在日韓国・朝鮮人自然消滅論」をはっきりと打ち出しておられます。(『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』日本加除出版 1999) 私と意見を同じくするものですが、彼の方が文章が上手でまた論理も筋道たっており、非常に説得力のあるものです。

(参考)
これまでの在日とその将来 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943
ホームページに行く
第20題に行く
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坂中英徳・前東京入国管理局長講演会のご案内
第1回日本留学を目指す中国人大学生・院生のための大学説明会
坂中英徳・前東京入国管理局長講演会のご案内http://duan.exblog.jp/5815177/

このたび、日本僑報社・日中交流研究所では坂中英徳氏(前東京入国管理局長、
現在外国人政策研究所長)「日本の外国人政策と在日中国人の活躍」講演を7月18日(水)
に開催することとなりました。現在の入管政策を創り上げたといっても過言ではない坂中氏を
講師に迎え、留学生政策の変遷及び在日中国人の活躍の紹介を通じ、今後の外国人政策の
姿について方向性をお話しいただきます。

また、併せて「第1回日本留学を目指す中国人大学生・院生のための大学説明会」参加募集
説明会を行います。当研究所が実施しております「中国人の日本語作文コンクール」表彰式と
連動させ、留学意欲のある中国人学生に、中国で日本の大学について触れてもらうという企画です。

お忙しい折だとは存じますが、ご出席・ご取材いただけましたら望外の喜びです。何卒、よろしくお願い申し上げます。

時間 2007年7月18日(水)午後2時〜3時30分

場所 文京シビックセンター 5F-A(文京区役所内)【
問い合わせは03-5956-2808へお願いします 担当 張景子(duan@duan.jp)

■プログラム■

第一部 講演会 2時〜2時40分
坂中英徳・前東京入国管理局長
演題:日本の外国人政策と在日中国人の活躍

第二部 説明会 2時40分〜3時10分
段躍中・日中交流研究所長日本の外国人政策の構想
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