『比較文化論から見た日本文明の危機と希望』 要旨  大脇 準一郎

12回未来構想戦略フォーラム、第2部発題    国際企業文化研究所 所長

 

1、           日本民族の生き残りパターン“和”

1)最近の思潮から  日本外交

2)歴史的回顧 天の岩戸、天鈿女命、“大和”朝廷(偉大な“和”という意味)、聖徳太子「十七か条の誓文」、元寇の乱、信長・秀吉・家康、明治維新、敗戦・戦後の復興

2、            “和”を形成せしめた諸要素

1)        島国、同一民族・言語・宗教、閉鎖社会、村的体質

2)        農耕文化、集団的共同労働を必要として、国土の4分の3は産地。耕地面積が少ない。天然資源に乏しいことは勤労・節約精神を高揚

3)        日本文化の基底

  日本人は素朴な自然崇拝・祖先崇拝・審美的価値観をもつ神道が根底の心情となっている。5世紀に伝わった儒教は現実生活の実践道徳・倫理の役割を担い、同じころ伝わった仏教は、現世で報われない願いを捨てること、来世の橋渡しの役割を担った。これを第2の基底として明治維新以来急速に流入した西欧文明の知識が第3の基底を形成している。

4)        『古事記』伊邪那岐・伊邪那美、両神の国生み物語⇒男女の秩序ある調和は国の繁栄の元である。

3、           和の日本文化の特質

1)        無私

  日本社会においては、個人はあくまで私であって公ではない。英語のprivateはプラスイメージのことばであるが、日本語の私は公に対するマイナスイメージを持った言葉である。「自分の都合、または利益を図ること、私心」(岩波古語辞典)⇒私することは良くないこと。滅私奉公、官尊民卑

 

「従来日本では自由という言葉はわがままを意味していた。これに対して西洋では自由は甘えの否定の上に成立する。そして人間の権利や尊厳あるいは集団に対する個人の優位性という視点が生まれた。・・日本語では無私を強調するが、これは個人と周囲との関係において言われることで、個人が集団に埋没ないし、従属する場合に言われる。もし個人がまったく集団から孤立して天蓋の孤児になることは、日本社会では、自分を失うことに他ならない。」 (甘えの構造』土居健郎)

 

日本型リーダーは村社会のお守り役、世話役であり、西欧型のリーダーと異なる。

「日本のリーダーの主要任務は和の維持で、契約ではない。・・論理ようも感情が優先し、真の批評が芽生えない。」(『タテ社会の人間関係』中根千枝)

 

天皇制は無私を至高に表現した日本社会体制である。

「天皇の赤子というスローガンで全国民を包摂した天皇制は、日本人の甘えを理想化し、甘えの支配する世界こそが真に人間的な世界と考える特異な意識を制度化したものである。天皇に限らず、日本社会ですべて上に立つ者は周囲から盛り立てられなければならない。言いかえれば、幼児的依存を体現できる者こそ、日本社会で上に立つ資格があるということになる。」(同上、土居健郎)

 

 和を尊ぶ日本社会は無私(あるいは誠意)を強調し、個が全体性に帰一するという祖霊まで巻き込んだ集団主義である。

 

2)        妥協

  集団の和を保つにはまた妥協も必要となってくる。意見の相違(論理)よりも心理的納得が必要となってくる。このコンセンサス作りには時間がかかるが一旦、コンセンサスが出来上がると実行は早い。

  民主主義:多数決原理 ⇔多数の暴力?

 

妥協はまた建前と本音の乖離をもたらす。節操のない態度として純粋性に生きる韓国では反発される。

 春香、独立運動家⇔唐人お吉、お宮、ロドリゴ神父、常盤御前

一種のプラグマティズム(便宜主義)、和魂洋才(建前と本音の乖離現象、どんどん外国文化は取り入れるが同化されない、「雑種型純血文化」))

 

3)        個別状況主義

   場の調和を第1とする日本文化は、内部から場(空気)を突き破ること       は難しく、常にドラスティックな大変化は外圧によってなされてきたことによっても証明される。しかし一旦、場(空気)がかわれば、一切は全く変わってしまう。

A) 「西欧の普遍=論理主義は、自己の行動原理をいろいろな状況を通じても変わることにない普遍的な信念に求め、それを誰に対しても妥当するものの道理として強く主張する。それに対してこの対極にあるのが個別=状況主義であり、行為者が行為での選択に当たってその拠点を自己の地位・役割にとかと規定の対人関係から規定されてくる個別的な事実そのものに求め、そして同時にそうした事実関係を維持するために、自己の置かれた立場や状況に即応するよう心がけるような行動原理を意味している。状況倫理にはそば限りの無責任な基準となるマイナス面もあるが、相対的、現実的適応性、柔軟性、非規定性、主体的判断、相互信頼、思いやりや察知力(センシティビティー)などの諸要  素の特性が含まれる」(浜口恵俊『日本人らしさの再発見』)

このようなくらげのような無原則主義を機能文化と称する学者もいる。

 

B)「甘えの構造」土居健郎

  「日本人の心理の特異性は日本語の特異性と密接な関係がある。甘えという言葉は、日本語独特のものであり、日本の社会構造もその心理を許容するようにできている」

 「日本人の心理に特有の現象として取り上げられる義理と人情はともに甘えと密接に関係している。人情は甘えが自然発生する親子の間柄のようなところに生まれる対人意識であり、義理はそうした甘えを持ち込むことが許される関係のことである。甘えと遠慮のどちらも行き過ぎてはだめで、このバランスをとることが良き社会人ということになる。わびやさびまたいきも義理・人情と同じくすべてもののあわれに発している」

「日本では甘え(依存的な人間関係)が社会規範の中に取り入れられているのに、欧米ではそれを締め出しているために、日本では対人恐怖症、欧米ではホモセクシャル、孤独にさいなまれるという病理現象を現すことになる。」

 

C)鈴木孝夫『ことばと文化』

 「私たち日本人は相手の気持ち、他人の考えを顧慮する前に、一応自分としてはこう思うという自己の主張の原点を明らかにすることがどうも苦手のようだ。相手の出方、他人の意見を基にしてそれを自分の考えをどう調和させるかという相手待ちの方程式がむしろ得意のようである。それどころか、他人の意見なり願望なりを言語で表現しないうちに、いち早くそれらを察知して、自分の行動を合わせて行くことも少なくない。察しが良い、気が利く、思いやりがあるなどの表現がほめ言葉であり、またヨーロッパ語に直接は翻訳しにくいものであることを見ても、対象への同化が日本人にとって美徳ですらあることがわかる。 ・・自分を相手に同調させ、相手の気持ちになることが大切であるから、従って正面から対立する個と個の意見交換、両者の利害の調節としての言語の機能は極度に抑えられる。」 

「強烈な自己主張をぶつけないで、相手に自分をわかってもらうのは、日本人が相手でない限り無理な話だということが、日本人には飲み込めていない。しかも、私たちは相手が固定できないうちは、自分の意見なり主張を確立することが不得手ときている。そこで日本の対外的な交渉は、外交・政治・経済の全ての点で出遅れになる。大勢がつかめないうちは、自分の位置づけができないからである。日本人が外国語が不得手で、国際会議でも学会でも実力の割りに遅れをとるのは、語学力そのものの点よりも、むしろ問題は自分の主張や気持とは一応独立して、自分は考えるという自己主張の弱さに原因の大半があるように思えてならない」

 

D)大出晁『日本語と論理』

「日本語では『(誰かが)そのことを(あなたに)たずねましたか?』という表現がまったく同一の表現『そのことを尋ねられましたか?』で十分間に合うのある。英語では、必ずIとかYouをたてるが日本語では人称代名詞をやたらに使う文章は格調が低い片言日本語とみなされる。このことは日本人において自己とは関係であり、人間関係(場)の状況によってダイナミックに把握される動的なものであり、他人との関係を抜きにして自己を主張することは不自然と見られることと対応している。また日本語は主語に始まって途中に修飾語を入れる式に挟みながら述語へ収斂していく求心構造である。日本語においては最後に結論(判断)動詞が出てくるので状況にあわせていくらでも変化できる状況・個別主義的性質を持っている。」

日本語:風呂敷、英語:帽子掛け、遠心型

 

E)中根千枝『タテ社会の人間関係』

 

4.日本的”和”の長所

A)国難の克服、近代化の成功

 

B)企業の発展

 

5、日本的“和”の短所⇒危機

A)    普遍的目標の欠如

B)    個性・自由・人間性の軽視⇒創造性の欠如

C)    国際化の課題、村的体質、身内と世間

 

6、日本的“和”の希望

A)    敬天(一神教と多神教の問題)、先祖・伝統の重視、⇒ビジョンの創造

B)    個性、科学的精神(合理・経験主義)の尊重、天下一の思想

C)    3の開国、地球市民、真の国際化

D)    貢献:

1)        途上国の国づくりに貢献:団結、温故知新、和魂洋才

2)        環境問題克服:ホリスティックアプローチ

3)        世界平和への貢献:母親的役割、ODAの活用、物の援助から人的・教育協力へ