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「動け!日本プロジェクト」

 小宮山宏 氏 
  「動け!日本」緊急産学官プロジェクト委員長、
  東京大学大学院工学研究科教授、化学システム専攻

司会:(株)日立製作所参与 武田健二氏

 ここ10年くらい200兆円ぐらい膨大な赤字国債を発行してすごい金額資金を投入してもなかなか立ち上がらない動きが出てこない。どうやって成果を出すのかということを、去年3月くらいに内閣の方から言われたのです。私は大学の人間でしかも法学部であまり経済はわからないのですが、今も経済財政諮問会議で金融の話を中心にやっていますけれど、科学技術のイノベーションとの関係がないですね。逆に言うと、そこが一つ痛みが伴う構造改革をするのだけれど、その先に何があるか見えない気がしまして、私が委員長で松島克守さんが主査でプロジェクトを引き受けたのです。去年3月に言われて6月の第三要求までに何か考え方を一つ出してくれ一年経ったら報告をということで時間がないので、私の周辺の仲間だけ、東大の教官が中心に40名くらい武田さんはじめ民間の方々が50名くらいで議論して、大体大きな方向が出てきました。

 「プロジェクトX」という人気番組がありますが、あの頃日本は人が非常に元気でした。何故元気かというと、目標があったのだと。特に物作りの例を見てみますと、多くの場合は欧米にあった乾式のコピーがゼロックスがほとんど100%シェアしていたところを、キャノンが初めて一矢を報いて世界一になった。あるいは、セブンイレブンがアメリカにあったモデルを日本に導入して努力発展して、本家アメリカが潰れかかったのを日本から逆に教えれて復興した。導入してトップに立ってというのが多いが、それだけじゃない。例えば北海道で木を植えに植えて海への土砂の流れ込みが減って海の護岸が再生された。白神山地にりんごができる。目標があって元気だったというのは確かですが、その目標は欧米からの輸入だけじゃないですね。日本人独特の元気があったと思います。それは時代が人々に与えていたという気がするのです。時代全体として明治維新以来一流の国にしよう、追いつこうとやってきて、追いつく目標は大きくは欧米にあったような気がします。

 ところが、1970年頃世界第二位の経済大国になった、GDPにして世界の14%を生産するアメリカにつぐ世界第二位の大国です。今年からOECDの委員を依頼されてOECDに行きましたけれど、30カ国くらいの中で日本は大国なのですよ。世界の大国になったのに、目標を失ってどうしていいか分からない。我々は輸出立国だと思っていたけれど、輸出立国というのは過去の話。数字が示していて、輸出が●、それに対して内需が450兆円で約10倍の内需がある。内需とは何かというと、そこには我々の生活がある。それが主力ですね。大切なことは我々の暮らしで、大事なことは先進国になったということです。追いついたら先進国は自分で目標を作る。どこへ作るかというと、自分の暮らしに作る。世界の14%を産出する国が他の人のために作っていられるはずがない。買うところがない。買う国はアメリカしかわけで、そのアメリカだって貿易摩擦になる。

 つまり、先進国は我々の暮らしを見て、その中に目標を作る。我々は車やテレビは持っているので目標にならない。我々の目標は生活の質の向上だろうと。質の向上とは健康とか環境とか安全とか快適とか教育とか。そういった生活の質を高める、それを我々は目標に掲げていく。今まではむしろ産業を振興してきたのですよ、その結果として経済大国になって、国民も豊かになったことは確かですよ。でもこれからは、生活の高度化を目指す、生活の質の向上を目指していく。その結果として産業がついてくる。先進国というのは、今までみんなそうだったんですね。輸出をしようと思って何かを作っていた先進国なんてないのです。例えば電気だって、最初に発電所を作って電線を張ってみんなに使わせようなんてすさまじい話です。郵便システムだって、1600年頃から作った国があったんです。あんなものは無くても良かったでしょうが、ほしいという潜在的な欲求があって、切手やポストなど発明して、1ペニーでどこでも届けるペニー郵便が爆発的にヒットした。そうしたら、官営の配達が圧迫されて、当時のイギリス政府は民営を禁止した。そうしたら、同じことを官営がやったんだけれどどんどんコストが上がり、もう1回民営を許可してコストが一定になった。日本のJRそっくりですね。

 そういう歴史を経て生活の高度化を目指した結果が産業になっている。我々が先進国になった時にやることはそういうことだ。日本はイタリアと並んで、高齢化社会のトップです。それを中国が追いかける。一人っ子政策が成功したから日本以上のスピードでもって高齢化していきますよ。これから発達するアジアのデファックススタンダードを作るチャンスが日本にあるということですよ。高齢化社会、健康とか環境とかね。欧米は基本的に寒くて乾いた国ですから日本とは環境が全然違いますよ。寒さ暑さが厳しくて湿度が高く梅雨があるのはアジアモスーンで、こんなことは欧米には分からない。屋根がきちんとしていて換気さえできれば冬はコタツと火鉢で我慢するというところへ、適当に欧米のものを入れて覆ったからケミカルは滞留してダニは発生しシックハウスはある。ここを改善して快適な住宅環境を作ることに成功すれば、高齢化・環境という新しい問題の社会制度はアジアのスタンダードとなって輸出できる。それが産業振興になるだろうし、世界から尊敬も集められる結果になるだろう。そういう大きな問題を目標を社会として共有すれば、もう1回プロジェクトXが始まるのではないかというのが、我々の流れです。

 目指すは世界一の日本、視点は生活。産業振興が豊かにするという考え方を捨てて、産学連携ではなくて生活という目的があってそのための産学連携。暮らしがスタートとしてあって、暮らしのニーズと経済を活性化しようという時の需要と直結しない、そのままではないということです。カラオケとか宅急便とか携帯電話が大きな産業になってきています。けれどもカラオケがない時にカラオケが欲しいというニーズはないわけです。宅急便ができるから宅急便がほしい。携帯電話ができるからほしい。このほしいという潜在的なニーズとできるというもののキャッチボールでしょう。キャッチボールで新しい需要が生れるので、今ニーズと言っているもそんなものはないのです。

 ニーズというのは、生活者の希望、世界一の日本を作りたいと。健康・環境・安全・教育・快適などの生活の高度化という視点で、いろいろな潜在的な欲求というのは我々の中にあるのです。それで何ができるのか―イノベーション。この二つのキャッチボールでもって、ここにマーケットというものがあるのです。だから、生活イノベーション、それがマーケット。マーケットのためにどういう産業があるべきか。そういう意味で、我々40人、数が限られたメンバーの中にどんなイノベーションがあるのかというのを見ていったわけです。うちの学部に600人くらい研究者がいるのですね。600もの人の先端的な研究を把握している人は誰もいないのですよ。どこにどういうイノベーションがあるのか知っている人は誰もいない。ここは重要なところですよ。「ある」というのと「見える」というのが、違う状況になっている。あるのかないのか誰にも分からない。それをやってみたってことは大きいですよ。

 昨年の6月頃、我々に対する批判は多かったです。我々は1億5000万円でこのプロジェクトを引き受けたのですが、予算を半分しかくれない上に、なんでそれだけお金がかかるのかなんて話になるのです。7500万円も金を出したのに何をやるのかというような感覚ですからね。大学の研究者の研究というのは一つ一つの要素は小さいもので、それがそのまま商売になることは少ないのですよ。出来あがるものはトータルのものですから。我々が欲しいものはいい医療ではなく健康だから、無痛針で数十マイクロリットル血液をサンプリングできるのです。すなわち、痛い思いして丸一日費やさなくても、人間ドックに行かなくてもいい予防医療を受けられるのです。我々は3年から10年以内にマーケットに一号機が出るものだけをイノベーションとして抽出しました。個人のゲヌムのデータがあって、それとのやり取り。風邪をひいて苦しい時に医者に行かなくてもいい。こういうトータルの絵を描いて、社会が大きなものを作る決心さえすればプロジェクトXが動き出すというのが我々の考えです。

 例えば、「ゴミを有効に使おう」と言ってもそれだけでは動き出しません。動脈というのは簡単なんです。鉄鉱石や石炭は大量にあるから、それを日本に運んできて集中して大量にいろいろな製品を作ればいいんです。個人が欲望を持って買っていくので、この動脈系というのは流れるのです。使ってしまった紙や缶は逆にいくためのインセンティブ、良心とかそういうものしかないのだから、要するに経済的なインセンティブはないのですからほっとけばごみになる。自動車は97%回収されている、不法投棄でもって河原に捨ててあるのは3%ですよ。でもその3%をなくするために、やり易くしなければいけません。小さな拠点を作って、例えばトレイをコンビに持っていくと新しいトレイを持ってきた車が持っていくのですよ。トレイは軽いからうまくいっているのです。大きなディーゼル車が持ってくるんだけど、あれは不効率ですよ。あそこにゴルフ場で使っているような小さな電気自動車を入れればいいですよ。長距離は走れないけれど、その必要はないからクリーンでもって小さいから効率がいい。集めやすいシステムを作ってしまえば、エネルギー効率が高い。基本的には環境問題とは輸送の問題なのですが、タンクローリーのタンクの大きさとガソリンタンクの大きさが運ばれるものと輸送のためのエネルギーの関係で、エネルギーは微々たるものですよ。うまいシステムを作るのは社会の役割ですよ。システムを作り出せば動き出します。

 今食肉の安全性をプレゼンしようという話もありますが、それもナノテクノロジーのイノベーションでずっとやり易くなります。こういことができるという科学のイノベーションと、とどういことが欲しいというキャッチボールをすることによって、経済的なデマンドを作るのですよ。知識が爆発的に増えている状況をみなが認め合って、全体が分かる人がいないんだという前提を納得し合っていくこと、能力のある人を育てて任せようということがこれからは必要だと思いますよ。ヨーロッパはそういうことをやっています。ブレアは首相になったのは42歳です。若い頃から経験を積ませて育てているわけですよ。クリントンやプーチンだって。台湾ですら。日本と中国だけですよ、「60歳ははなたれ小僧」だなんて言っているのは。能力ある人を育てていい仕事をしてもらうということも必要だと思います。

 我々は目立つ経済政策の文書は全部引っ張りました。シンクタンクからきたプロに全部読んでもらって、重要度に応じて4段階に分けました。1万ページの報告書を全部読む人はいないですね。トップは「構造改革」、次は「研究開発イノベーション」ですよ。上位20位の中には「暮らし」、「生活」という言葉が一言も出てこない。産業信仰が頭にあるからだめなんですよ。暮らしが最初にあって暮らしがニーズを開発してその結果として産業が生まれるのだという考え方でないといけないと思います。ウォンツとイノベーションで生活、さらに所得倍増論。所得倍増論には技術がどう動くかということはいらなかったのですね。大きな目標として西欧の暮らしというものがあったと思うのです。あとはマクロ経済とか金融とかいう話でよかったんだろうと思うのです。アポロ計画や光情報ハイウェイはアメリカをひっばりましたね。ウォンツと技術や情報のイノベーションを見て、こうすればアメリカの得になることをやってきた。この部分が日本には徹底的に欠落しているのです。分かる人がいないのだから。逆に言うと、我々は産業の現場を知らない。日本は世界第二位の経済大国なのですが、経済と産業が元気がない。それに対して、テクノロジーのイノベーションとビジネスのイノベーションの2つがあると思うのですね。小泉さんはビジネスのイノベーションで活性化していく。我々はテクノロジーのイノベーションをいかにして活性化して経済振興に生かしていくか。そこが、ビジョンとかリーダーシップということだと考えております。

 今までいろいろなことをやってきまして、新産業の枠組み作り、構造分析、イノベーションの成功モデルなどをやっております。ベンチャーを作ることはできますが、安定させ成功させるのは本当にたいへんですね。社会的な実験の場が日本には少ないから、ベンチャーは必要だと思う。失敗はあるけれどチャレンジはするべきです。やりたい人がやりやすいシステムが、組織としてそういうものを支援するということは不可欠だと思う。大学はベンチャーを作ることは目的ではないが、大学には新しいイノベーションが眠っているから、組織としても支援が必要だという動きです。

 大学では情報発信だといわれていますが、情報があるかどうかも分からないのです。誰も全体が見えていないのです。だから、ホームページを作っていますが、ホームページなんて誰も見ない。我々がやったのは、40人の人間の3年から10年でできるイノベーションをみんなが分かる形で発信したというのは、一つの価値ですよ。東大の40人の中にこれだけあったということは、東大全体では10倍はあります。京大や全国の大学、国立研究所にも企業にもあるが、誰も見えていない。環境という視点、快適という視点などいろいろな視点でもって全体像が見えるように情報発信することが大事だ。一番良い例、社会的に世界的にそれが証明されたのはコンピュータの2000年問題です。コンピュータが狂ってミサイルが誤射されるとか自動車が暴走するとか言われました。結論として大したことは起こりませんでした。電気会社やガス会社などは自分のところは大丈夫だけれど、その先は知らないよというのです。結局世の中が非常に複雑化して細分化して関係が複雑になってきて、全体が見える人が世界で一人もいない。「e−Japan」、世界一の電子情報立国にするなどと気楽に言うなと言いたい。そんなことを決めている人はコンピュータなど使ったことがない。私もコンピュータは得意ではないけれど、学生と接しているからコンピュータがいかにすごいことは直感的に分かっている。

 鉄は4兆円にすぎない産業です。日本は500兆円ですから1%の産業です。鉄は農業同様重要な産業です。農業は江戸時代は90%以上の人間が従事していました。生産性が向上したのですが、同じことが鉄・セメント・紙パルプ・ガラスなどにも言えます。現在溶鉱炉にはりついてた人の数は30年前に比べると10分の1になっています。少ない人で高い生産性を上げるようになり、製造業の質が変わったと思っている。健康用の無痛針のように100個くらいの知識のかたまりになり、途上国では簡単に真似ができないような物作りを我々は欲しているのです。その物作りとして、バイオ・テクノロジー、ナノ・テクノロジー、インフォメーション・テクノロジーなどはまだ揺籃期だから、企業より大学に優れたものがあるのです。組織として情報発信をして産業化して成功例を大きな産業にして世界のスタンダードになっていく。アメリカではインフォメーション・テクノロジーを使っているが、十分に構造化された質の高い情報を収集した後、最終的にはフェイストゥーフェイスで決めるというのです。

 国の委員会はほとんど無駄です。誰々を呼べば何々が分かるというけれど、それぞれのバックに情報収集して集約する体制作りがされない以上、議論しても無駄。教育に関する議論など全部出尽くしていて、ここ20年くらい新しい視点など出たことがない。東大で憲章を作るというけれど、大学の役割は立派な人を作るというに決まっている。無駄をしないということはどういうことかというと、質の高い情報を作ること。最後はフェイストゥーフェイスで議論すること。今は一泊して会議をする企業もあるでしょう。総括して結論を明確に出すことが大事だ。

 我々が欲しいのは健康じゃないですか。ゲノムの研究と健康はなかなかつながらないのですよ。ゲノムが蛋白に、蛋白が細胞に、細胞が臓器に、臓器が体になって、体全体から心や環境に関係していたりする。ゲノムの研究が我々の健康にまで反映するには距離があるのです。世界でトップの研究をするためには、個人はゲノムを研究するが、必ず全体につなげる。ゲノムから循環器系まで全体をシュミレーションする人がいる。これらをつなげる専門家を作るべきだ。

 例えば、ルーペをかけると日本語から英語に英語から日本語に90%の正確さで翻訳する技術とか、人間の動体視力の30倍で1秒に1000コマ見える目などを修士の学生が考えているのですよ。こういう技術があるということを知らないのですよ。知っていたらいろいろなものに結びつくではないですか。2つの超音波でマイクロバブルを作る医療技術を病院と一緒になって研究しているのだけれど、医師会の反対で医療特区が実現しませんでした。世界の先頭を切って高齢化に向かうのですよ、痛くない人間ドックがほしいじゃないですか。医師会は勉強しない弱い医師を守るためにある、かつての労働組合と同じですよ。新しい医療技術や薬は、厚生省の許可を待たなくても大学病院を特区にして納得した人が使っていったらいいじゃないですか。自由診療だとやりにくいので、混合診療をやらしてもらえば変わるのですよ。

 医療だけではなくあちこちでいろいろなことをやろうとしている。ところが、動き出しても止まるのです。法律で禁止されているわけてはないが、手間がかかり煩雑でスピードが遅いのです。今スピードというのはすごく重要で、煩雑でスピードが遅いということはできないと同じこと。放っておけばアメリカがやってしまうのだから。社会で透明にして、誰にでもできるということが重要なのです。社会が技術的にも制度的にもできるということが明確にすれば、日本は再び動くと思いますね。要するに、動け! 目指せ世界一の日本。

武田さん
 私はアメリカにいまして、ものすごく元気の良かったのがバブルになっておかしくなってしまった4年間を見て、日本に帰ってきました。銀行やゼネコンが潰れて底をついて少しは元気になった頃に日本に帰ってこれるかと思ったら、さらにおかしくなっていました。元気はないわ手術を後送りしたような印象を持っておりましたら、このプロジェクトに接する機会がありました。  日本は巨大な官僚国家で、独裁国家よりも強い官僚制度を持ち、制御不能な状況になっている。「動け!日本」のお話はどなたも共感するところがあると思うのですが、では実際に日本が動くかというといろいろな問題があろうと思うのです。それで、みなさんのご意見を聞きたい。

鈴木さん
 私たちが筑波大学を作ったのは、筑波研究都市を研究特区にしよういう考えだったのです。大学以外に研究所が100近くあって、今はもっとあるのですけれど。そこの研究者が自由に研究をやろうというのが、一番のねらいだったのです。大学の中の研究はある程度できました。白川さんがノーベル賞を取ったのも、白川さんの業績も取っ払ったことで出たのだと思います。当時は「特区」という言葉はなかったので、土光さんや福田赳夫さんたちに「筑波を天領にしてくれ」と言ったものです。ロシアのノルシェビッツのように、政府が管轄する研究学園都市。20年くらい絶えず言いましたが、未だにできません。

 今から20年くらい前に中国から各省の実力者が筑波学園都市を参観にこられた時、「大学と研究所間の協力関係はどうなっているか」と聞かれた。日本のお偉いさんからは一度もそんな質問が出たことは無かったので、私はシャッポを脱ぎました。

 経済特区と同じように研究特区を自由におやりになれば、今の日本では一斉にはできないけれどどこかでできれば、少しは前進するのではないかという感想を持ちました。

(以下省略)