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「世界の常識 日本の非常識」  波多野敬雄氏

プロローグ:国連の選挙に強い日本

 波多野でございます。今日は、コメンテーターと経済協力のご専門の方が多く参加されているようですが、結局、国際社会で何ができるかと言えば、日本は経済協力しかないんじゃないかと思っております。

 私は国連に4年、その前にジュネーブの国連関係の機関に3年おりました。そこで選挙もずいぶんしたのですが、日本ほど国連の選挙に強い国はないですね。日本が立候補して負けることはほとんどないのではないですか?最高点で当選することが非常に多い。

 私がニューヨークにいる時、日本が安全保障理事会の非常任理事国にアジアを代表して立候補したのですが、無記名秘密投票で投票数161票のうち、158の国が「ジャパン」と書いたわけです。それから4年経って再び日本が立候補した時、インドが立候補して譲らなかったのです。インドは非同盟国のリーダーですから選挙にはもの凄く強いことで知られているのですが、開票すると日本が144票、インドが40票で、世界中が驚きました。

 国連の専門機関には、衛生問題のWHO・労働問題のILO・教育運動のユネスコなどがありますが、十余りあるうちの2つを、選挙で日本が押さえているのです。今、日本はユネスコと電子通信の事務局長になっています。

 ではなぜ、日本が国連においてそんなにも選挙に強いのか。

 結局のところ、それは経済援助をやっているからだと思いますね。国連の選挙で日本の地盤を上げると、まずアフリカの52票です。日本にどれだけ親近感を持ち、どれだけ尊敬の念を持っているかは極めて疑問だと思いますが、アフリカは「お世話になっている」ということで、電話一本で日本に投票してくれるのです。同じように、中南米の33票、これも日本に投票してくれます。

 本当は一番投票してくれるべきアジアですが、これは難しい。アセアン、つまりフィリピン・タイ・マレーシア・シンガポールなどは日本と非常に親しいし、調子がいいことを言うのですが、投票となると「これ以上日本が勢力を増したら、自分たちも従わざるを得なくなる」ということで、アジアの票というのはなかなか難しい。それでも半分以上の国は日本に投票してくれます。あとヨーロッパの国も相当投票してくれる。結局、191票の半分くらいの票が日本に集まるのです。日本はほんとうに選挙に強い。

 そういう状況の中で、日本から偉い方が国連へ来ると、こんな質問をよくするのです。「国連が日本に期待することはどういうことですか?」国連が真面目に答えるとしたら、「うんとお金を出してください。それ以外ありませんよ。」ということだと思うのですね。なにしろ「平和維持部隊を出して貰っても大して役に立たないし、日本は僅か何十人出すだけで大騒ぎする。死んだりしたらそれこそ大変ですよね。だから、日本はとにかくお金だけ出してくれればいい。それが最大の貢献です。」それが正直なところだと思います。

 日本はハンディキャップを持った国ということをよく言われるのですが、他の国には当然のように出来ることが、日本にはできない。そんなことがいくつかあるのですね。

 そのハンディキャップをいくつか申し上げると、これが今日これからお話するテーマ、「世界の常識 日本の非常識」につながると思います

1.日本の非常識:外国人を入れたくない
 第一は外国人を入れないということです。外国人を入れるということはタブーなのですね。日本人に永住している外国人は、一時的に滞在している人を除けば2%くらいです。あとの98%はみんな大和民族。こういう先進国というのは、世界にない。

 日本を訪問中のフィリピンのアロヨ大統領が、昨日(12月3日)国会で「もうちょっとフィリピンの労働者を入れて、介護はフィリピン人に任せたらどうか」と演説したことに対して、法務省は断っているのです。私はフィリピン人を入れたら、介護保険が安くなって、さほど日本と競合もないと思っているのですが…

 一昨日出た国連の報告書によると、2050年までに日本は3000万人の外国人労働力を必要とするというのです。3000万人……、非現実的で、そんなことは考えてもあり得ないことですね。経団連が最近出した案は、あと5年のうちに外国人労働力を50万人増やすというものですが、それも出来ないと思います。

 2002年春、スイスの経済経営研究所が先進国40カ国の経済競争力のランキングを出しているのですが、日本は半分以下のところにいるのです。  日本が一位というのもずいぶんあります。高校進学率や平均寿命、貯蓄率とかですね。ところが、「外国人の日本における就職の可能性」というのが、ビリです。もう一つ、気になるのは「文化の閉鎖性」。これは先進国の中で最下位なのです。日本は外国からそのように見られている。これについて、一番典型的な例が「難民の受け入れ」です。

 緒方貞子さんは、5年前にジュネーブで話した時、「これはどういうことかしら…」と言って、前年の『先進国難民受け入れ数』という表を私に見せました。ヨーロッパの小国は1000名くらい、大国は3000〜4000名、アメリカは1万名になっていますが、日本という欄には「1」と書かれているのです。緒方さんは「これはどういうことかしら。『0』ならば入れないことにしているから分かりやすい。『1』だと、入れてもいいけれど敢えて入れないということになってしまう」と。

 帰国して、担当している法務省の入国管理局長に訊いたら、「そうなんです。法務省の中でも国会でもメディアでも、外国人を入れたら日本国内の治安が悪くなってしまう、『中国語を話している人を見かけたら警察に届けてください』というチラシが地方で回ったという国ですから、難民はなるべく入れないようにしようと、これは『1』にしている」と。

 法務省に私がいろいろと話をしたら、翌年1月の名刺交換会で、担当の入国管理局長が私に「今年からは受入数を倍増しますから」と言う。1を2にして、それから一昨々年から16名に増やしたのです。「16名とは言っていますが、実質的には20名以上受け入れていますよ」というのが法務省の自慢話なのですが、外国から見れば日本は100倍にしてもいいということだと思います。

 今から25年ほど前にベトナムからの「ボートピープル」が何十万名と発生したことがありますが、近傍のマレーシアやタイ・香港・インドネシアは、流れ着いた難民を追い返すわけにはいかないから、貧乏だけれど何万名と受け入れている。その時日本は、遠いからボートピープルは流れ着かないけれど、アジアの国だから責任を負ってくれと言われて、清水の舞台から飛び降りたような受け入れ枠を作って、1万名受け入れたのです。

 ところが、ようやくの思いで日本が受け入れた1万名のそのベトナムの若者たちは、しばらくすると日本から出ていってしまうのです。食べ物も衣類も十分に与えられ、お小遣いまで貰うという生活なのですが、日本に住み着かない。やはり彼らは「日本社会に受け入れられないと思う」ということなのですね。現に日本で大成功しているベトナム人は一人もいません。アメリカへ行けばベトナム料理のレストランで大成功をしている人がいる。日本はそういう社会であるということが第一ですね。

2.日本の非常識:危険に身をさらさない
 第二に、日本人は危険に身をさらさない人間ということです。これは悪いことかどうか議論の余地があるのですが、危ないことをしない人間であることは確かだ。国連の関係で中田さんが死にましたけれど、それが大新聞の一面に数日に渡って載りました。外国でこんなことをしていたら、毎日国連関係者の死亡記事が載ることになります。

 今から10年前に日本はカンボジアに平和維持部隊を500人出したのです。ところが一人も怪我をしないで帰ってきました。それは、紛争が起こったならば、みんな基地にこもって紛争を収めに外へ出ていかない。「武器を持たせてくれないのですから」と彼らはいう。それは確かにそうですね。5年前にアフリカのルアンダに平和維持部隊を送った時は、機関銃を持たせるかどうかが大問題になって、500人の部隊に機関銃を一丁持たせるという妥協案が出来て、あとの人はピストルか小銃で対応しろとなったのですね。そうなると、紛争解決に出て行けないですね。

 カンボジアでは尊い命を落とされた日本人が2名いて、その方は自衛隊の方ではなくて、基地の外で働いていた警察官1名と国連ボランティアの方なのですが、国連に来た日本政府の高官が国連事務総長に「2名死んだ、2名死んだ」とあまりにも言うので、懇ろな弔意を表した後、ブトロス・ガーリ事務総長が「しかし、平和維持部隊では1000名以上命を落としていますからね」と言ったのです。途端に日本側は二の句がつげなくなって、会談がすっかり白けて終わったことがありました。

 ということで、今の日本の平和維持部隊は、もっとも安全でもっとも安楽な地域と言われるゴラン高原に派遣されています。イスラエルとシリアの休戦ラインを守っている兵隊の通信・補給のための50名です。この部隊を派遣しようとした時、ゴラン高原の国連軍の司令官は「日本人を貰うと特別扱いにしなくてはいけないからいらない」と言ってきたのです。「もしも日本人が死んだらたいへんですから、他の国からもらった方がいい」と。

ところが、本部が「国連の分担金の20%も負担してくれている日本が、せっかく派遣しようと言ってくれているのだから断れない」と、強引に押しつけた。それが現実です。

3.日本の非常識:農産品のきびしい輸入制限
 第三に、農産品について極めて厳格な輸入制限をしています。特に米を入れないということについては、世論が出来上がっているのですね。日本が、食料安全保障という論理に加えて最近では環境維持のためという論理を考え出して、EUと組んで頑張っています。

 EUのフランスとフィンランド、EU以外でもスイスが農業の弱い国なのです。ドイツは農業では諦めてしまっている。イギリスは大規模な農場だけが残っているので、強くなっている。いざとなれば、フランスもEUをまとめるためには折れざるを得ない。あと日本と並んで頑張るのは韓国でしょうが、韓国は弱いですから抵抗できない。

 日本はなぜ、米をそんなに制限するのか、日本は消費者団体も安くてもお米の自由化はいけないと言っているのです。日本から主婦連の消費者の代表者がガットの事務局長に陳情に来て「お米は絶対に輸入できない」と言ったのです。そしたら、ガットの事務局長が通訳に向かって「あなたの通訳は間違っているのではないか? 消費者の代表がそんなことを言うはずはない」と。これが外国から見ると異常であるということなのですね。

4.日本の非常識:主張を持たない、発言しない
 日本は「和を以て尊し」とする国ですから、自ら主張を持たないか、あるいは持っても皆の前で発言しない。これが「日本は異質な国だと思われる最大の理由」ではないかと思っています。ですから、「和を以て尊しとしない」「出る杭は打ってはいけない」「長いものに巻かれてはいけない」と、私はあえて言っているのです。

 これを直すためには、日本の教育が暗記の教育からものを考える教育に移らなければいけない。もっとも重要な問題は、日本の教育が偏っていることです。考えてみれば学校では、先生の言うことを丸暗記して先生の言う通り答案を書けば優が貰える。ところが米国へ行くとそうではないのです。

 今から40年も前ですが、プリンストン大学へ行った時、驚いた経験があります。日本でも有名な先生の課目で、これだけは一番いい点を取りたい。一番良い点というのはAプラス、100人のうち3人か4人です。Aは100人のうちの20人くらいだから、私はAは取れるだろうと思って、一生懸命その先生の本を読んだし、反対論を書いている先生の本も読んで、10ページくらいの我ながら自信作と思う論文を提出したところ、Bマイナスだった。合格点ではあるのですが、どうしてかなと思ったら、一番最後のページに「あなたの意見は何ですか?」と、その先生のコメントが書いてあった。自分の意見を書いてない答案なんて意味がなかったのです。

 私の大学の卒業論文は100ページ書く人も200ページ書く人も300ページ書く人もいるのですが、1枚目は学校から配られた"recommendation(勧告・提言)"という紙があって、「だからこれを提言します」という自分の意見というものを書いてなければ、受け付けて貰えない。分析がしっかりしているということなどでは、ダメだというのです。

 アメリカの小学校で、「エルマーの冒険」という割と広く読まれる冒険小説があるのですが、それを半分読ませて、「ここから先は自分で作文を書いていらっしゃい」というのが試験だった。高校でシェークスピアを取ったら、「あなたがマクベスだったらどういう行動をとったか書け」というのがシェークスピアの試験だった。

 日本で、売れっ子の先生がご自分の授業を500〜600人が受講しているとご自慢されるので、「採点するのは大変でしょう?」と言うと、「3つの答えが出る問題を作って、3つ書いたら優、2つ書いたら良、1つだったら可を付ける」と言うのですよ。「第4の答えや第5の答えをそれなりに論理を作って書いたらどうですか?」と言ったら、「それは講義を聴いていなかったということで落第だ」と言うのです。しかし、そんな教育をやっていたのでは、だめじゃないだろうかという感じがします。

 以上は、他の国では常識だけれど、日本では出来ないことを申し上げました。

5.日本の非常識:黙ってお金だけ出す
 次に、他の国には出来ないけれど、日本だけが出来ることです。そんなのが有るのかと思うでしょうが、あるのです。

「黙ってお金だけ出すこと」これは他の国には真似が出来ない、難しいことなのですよ。税金を出すわけですから、納税者があれこれ言います。お金を出す時にはどう使われなきゃいけない、またはどう使われたのかと、いろいろ言うのです。国連側としても、他の国からお金を100万ドルほどもらってあれだこれだ言われるよりも、黙って日本から出してもらった方がいいという気になるのです。日本ではそのお金をどう使うかはあまり議論にならないですね。大新聞でもお金を出すか出さないかということについては議論しますけれど、お金がどう使われたかということについては議論しない。

 私がニューヨークに行ってすぐに湾岸紛争が起こって、「日本は軍隊は出せないから金を40億ドル出す」と言ったら、アメリカが「40億ドルなんてケチなことを言うな」と言ったので、日本から橋本龍太郎大蔵大臣が飛んで来て90億ドル追加して130億ドル出した。130億ドルというのは1億2500万人の日本人口からすると、1人100ドル(当時のお金で1万5000円くらい)以上のものを出している。そのために、時限立法で法人税を上げ、ガソリン税を上げ、税金を上げてまで130億ドル出したのです。

 それがどのように使われたかは分からない。他国も出しているからみんな一緒に使われたのだから、それには日本もあまり関心を示さなかった。最後にイギリスには幾ら、サウジアラビアには幾ら、フランスには幾ら渡したと説明をしてくれたわけです。

 ということで、日本という国はお金を出すということにおいては、国連の最も良いお客さんなのですね。外国では、no taxation without representation(代表無きところに課税無し)、これは民主主義の最も基本的な原則です。アメリカがイギリスの植民地であった時に、アメリカに住んでいる人たちはロンドンに議員を送れないが税金だけは払わされるということに怒って、アメリカ人がボストン・ティー・パーティを開いてのろしを上げてイギリスと戦った。その時のスローガンというのが「代表無きところに課税無し」で、アメリカはそれに勝って独立したのです。ですから、税金は払うけれど代表はいらないというのは、外国から見ると非常に不思議なのです。

 日本は安保理に入っていなかったので、130億ドル出しただけで国連が湾岸紛争でいかにイラクに対応するかという議論に入れて貰えなかったのです。それを見たヨーロッパの大使が「日本の納税者は気の毒だ。日本も安保理に入らなくてはいけないんじゃないか」と。そういう世論があったのです。

 絶好のチャンスだったと思うのですけれど、日本に帰ってその話をすると、反応が非常に冷たい。「日本が意見を言うと何かいいことがありますか?」「安保理に入って意見を言えることはそんなに重大なことですかねぇ。」「どうせアメリカの提灯を持たされてしまうでしょう。」「意見を言ったら、責任を持たされてしまうでしょう。」、そして、「日本では昔から言うではないですか。"金で済むことは安いことなのですよ"」と、財界の方がそう言われるのを聞いて、なんと日本は欧米と常識が違うかと思ったことがあります。

6.まとめ:人道援助を増やす タブーを捨てて考える
 日本が世界の平和に貢献する日本に出来る手近なことは、やはり、お金を出すと言うことなのですね。それから、人道援助を増やす。同じ国際協力でも日本は井戸を掘るなどというのは割合得意なのですが、人道援助が少ない。「国境無き医師団」は立派だと思いますよ。お医者さんが病院と契約を結んで、「来い」と言われたらすぐにとんでいける形になっていること事態が羨ましい。日本の援助の10%以上はアフリカに行くのですけれど、アフリカで人道援助に働いてくれる人がいない。アフリカに人を出してくれと頼んだ時に、この頃は少し、出してくれるようになりましたが、十数年前には手を挙げてくれたのはみんな宗教団体だったのです。創価学会・立正佼成会・曹洞宗・統一教というところは出してくれたのですけれど、そうでないNGOは「都市に住まわせてくれるのですか?田舎へ行かなくちゃいけないのですか?」とか、いろいろ条件を付けてくる。

 大使というのはオフィスに座っていると思われますが、アフリカの田舎の国でイギリス大使がハンドクルーザー(四輪駆動の自動車)の助手席に乗って、オレンジとパンをたくさん積んで村を回るのです。それで、男の人にはパンを1個、女の人にはオレンジを1個手渡すのですよ。上手だと思います。

 正直なところ小国の大使がその国の政治情勢を日本に報告しても、外務省では課長クラスが読むくらいで、あまり読まれません。それよりも、実際にお土産を持って田舎を回って、現地の人と挨拶を交わして抱き合ってくるようなことをどんどんやったほうがいいと思うのです。

 そうしながら、日本はこれからタブーを捨てていくべきだと思います。「難民を入れる」、「平和のためには命も捨てる」それは今は日本人にとってはタブーに近いわけです。米にも500〜600%の関税をかけようというわけですからね。外国は関税というものを20〜50%と考えている。500%、600%の関税などというのは輸入禁止ということ、GATTウルグアイ・ラウンドの枠に入れない話です。お米についても考え直さなければいけない。

 それから、日本の教育を「暗記の教育」から「ものを考える教育」に直さなければいけない。日本という国は、20歳までは暗記力が強い者が勝ち、40歳までは働く者が勝ち、60歳までの誰が重役になるかという時は人柄がいい者、即ち包容力があり皆が付いていく者が勝ち。日産を立て直したフランスのゴーン氏などを見ていても、人柄が良さそうでもないと思いますが、やはり、ああいう人が重役になって会社をリードするからこそ、会社が勝つと思います。やはり日本の教育を「ものを考える教育」に変えることが重要です。

 しかし、タブーを破るというのは時間がかかる。今、私がこんなことを言っても、実現するには10年、20年かかりますよ。今の若い方は自分で考えて発言しますけれど、そういう方が日本を担うためにはあと20年かかる。

 ということになると、それまでの間、世界の平和のために、日本はやはりお金を出す、援助を増やすということで国際協力していくことになるでしょう。援助を増やすというよりも、少なくとも減額しない。日本はこれからだんだんと経済が苦しくなってくると減額の話が出てくると思いますが、減額しないというのが第一。第二に援助の質を高めるということ。円借款から補償協力にお金を移していく。円借款と言っても返って来ないお金があるのだから、切り替えたらいいでしょう。

 ご静聴ありがとうございました。

コメント:広瀬輝夫、日本医療経営学会理事長、秀明大学教授
 アメリカでは、外国人労働者を医療援助という形で受け入れるのは不可欠で、病院の四分の一くらいはフィリピンから人を入れているのですよ。医療援助ということは、そういうことから出てきたのではないかと思うのです。

 日本ではフィリピン・バングラディッシュ・インド・韓国から看護士を入れるということは医療機関としては抵抗があるのはしょうがないことです。日本の介護は外国人の介護者を入れなければ足りないわけですから、どうしてもそうなるわけです。結局仕事としてはきれいな仕事じゃないし、下の始末をしたりお風呂に入れたりは日本人の労働者よりも良いのじゃないかと最初は計画していたわけです。しかし、日本が不景気になり、日本として歓迎していないわけではないけれど、そういう人が減っていることが問題ではないかと私は思うわけです。

 要するに、アメリカでは年間3万人が移民できるのですが、日本では3000人しかできなくて。ロビイストが頑張ったので3万人が移民として入ってきて、看護婦になっていくことが多いわけです。日本の場合は日本の経済情勢が悪くないので、どうしても行きたがらないということが、一つの問題だと思いますね。そういう反面もあって、日本の教育はアメリカとは違い個人の能力を発揮させるというような教育をしていない。

 もう一つ問題なのは、医者として申し上げたいのですが、アメリカでは大学を卒業してから医者になるのですが、日本の場合は2年間科学的なことだけを学び、倫理も礼儀も経済も知らないで医者になるので、いろいろな問題が起こるわけですね。

 病院の経営は非常に悪く、大体90パーセントが赤字、私立病院では40パーセントが赤字なのですね。報告が、今度会計の規則が変わりまして、いわゆる年金や退職金を加えて計算すると、日本の病院は全部赤字になる。アメリカではMBAを取ってから医者でも経営に参加するが、日本の医者は経済理論を全然知らないで経営してどんぶり勘定でやっている。

 日本企業が優秀だということで、アメリカの病院会?は見学に来たのですが、びっくりして帰ってしまったですね。日本の医療制度も良いのではないかと、クリントン前大統領夫人のヒラリーさんが医療改革する時も日本の病院を見にきたのですが、患者がずらりと並んで待っていて、非常に状態が悪いというので、帰ってしまいました。結局ハワイは良かったので取り入れようとしたが国家的な統制が強く反対されてできなかったですね。そういう経過もありまして、医療の方でも日本は変わっている。

 要するに、日本の医療はドイツからの直輸入で、新しい考え方をしていないということが問題なのです。

 医療部隊は、波多野先生が仰いますように、何もしないで帰ってきてしまったのですね。結局前線に出して貰えないし、入ってきてもどうにもならない。日本人は宗教を理解しないのでベールを被った女性の前での態度がなっていない。ということで、行っても役に立たないというように捉えているわけです。逆の面もあるのですね。

 日本的な考え方は非常に変わっている。130億ドルお金を出しても、実際アメリカは古い兵器を使ったものだからお金が全部余ってしまったわけですね。そのお金は全部ドロンしたが、それに対して日本は抗議しない。お金を出さないとアメリカはマイナスになると思うのですが、そういうことに対して日本人は関心ない。お金さえ出せばいいんじゃないかという考えを持っている。

 もう一つ問題なのは、平和部隊の問題です。アメリカは強いところへ政府も援助をしているけれども、日本は平和部隊として我々医師たちが尽くすことに対して政府の援助が全然ない。だから、お金は出して人間を出してないわけですね。人間を出しても危険なところへは行かないし、波多野先生がおっしゃったように仕事も中へ飛び込んではしないわけですね。

 むしろ日本は、これからはお金を出すよりもそういうところへ援助をして、医療も基地へ持っていくと。アメリカでは基地にどんどん人を送りこんでいるけれど、日本政府は全然そういう考え方を持っていないから、お金さえ出せば他の人は満足してくれるだろうと。お金を出せば選挙にも強いけれど、これからやっていくには考え方を変えなければいけないだろうということです。

 日本医療制度、例えば三割負担をするというのはけしからん話でありまして、日本はすでに一割負担をしているのです。そういう金を出しながら三割掛けるということは四割でしょう。保険金を出しながら半分自分で出さなければならないという国は、世界中どこにもないのですよ。完全に失政ですね、そう言うことではダメだと。その場限りの政策をしている日本政府はおかしいのであって、これはやっぱり変えなければいけない。

 だから、日本の考え方は、日本的であり過ぎる。病院の経営も変えて行かなければいけないし、経営できない人が経営をしているということが間違っている。いろんな意味で日本はこれから改良していかなければいけない。

 〈ディスカッションは割愛〉