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第1部 マスコミ報道の責任と未来世界への役割

今井久夫 氏 日本評論家協会 理事長、元産経新聞論説委員

【要  旨】  私は戦後50年間、終戦直後から永田町近辺をうろうろしていまして、政治の流れをウォッチしてきました。そのような中で、我々の仲間、政治家や新聞記者たちと付き合い、新聞社の内部――新聞社のいいところ・悪いところ――を実際にこの目で見、この耳で聞き、経験してきました。私の頭の中には、新聞・報道・マスコミ・言論につきまして、一応の考え方はできています。そのところどころを披露して皆様のご参考にしていただきたいと思います。

 我々の仲間、新聞記者にもいろいろとあるんです。例えば朝日新聞の記者は、皆いいやつばかりですよ。個人的に話してみると皆天下国家を語り、人生を語り、日本の行く末を心配し、話が合うのです。ジャーナリストというよりも紳士として通用するのですね。何故そういう連中が社に帰って記事を書くと、日本はやがて滅びていくという自虐的な紙面を作り上げるのか、私は不思議でならないのです。これは、個人の力よりも組織の力ですね。大きな組織の力が動いていて、要所要所に組織から派遣された人、あるいは自発的に出来たグループがいて、ちょこちょこっとコントロールして、その総合されたものが翌日の朝刊、夕方の夕刊になって出てくるんですね。

 どうして朝日新聞はこうなってしまったか? 戦後の「朝日争議」、朝日新聞は終戦直後大ストライキをやったんですよ。新聞が一週間ほど出ませんでしたかな。あれ以来、朝日新聞は大きくカーブをして、それが50年後の現在まで綿々と続いているということです。あの頃は、朝日新聞だけではなく、読売新聞も大争議をやったんですね。当時は読売新聞は数寄屋橋の際にありまして、我々の仲間が向こう鉢巻きを締めて赤旗を振って騒いでいるところへ、警官隊が来て、GHQの憲兵も直接は介入しませんでしたけれど見に来るという、非常に不穏な状態でした。工場が管理され、機械はストップされ、新聞は出ないという状態でした。そのストライキを指導したのは、もちろん「共産党」です。

 戦後共産党がマッカーサー司令官によって解放されると、徳田球一・志賀義雄・宮本顕治・野坂参三たちはマッカーサーを解放軍と呼び、万歳を叫んだものですよ。GHQには日本の政治を管理している民政局(GS)というセクションがありまして、これがニューディーラーと言われる、いわばアメリカの共産党が日本を理想国にしようという使命感で、左翼を非常に利用するんです。したがって、共産党を煽てるので、当時共産党幹部は「マッカーサー様々」「司令部様々」ですよ。

 戦後何回か立て続けに総選挙があり、共産党は一時三十何名に躍進したことがありましたが、一見に激減したこともあるんですね。野坂参三が帰ってきた時に日比谷の広場に一万人からの国民が集まりまして、「日本革命」、宮城の方に向かって「あれを消し倒すんだ」というような演説を行って、みんなが拍手喝采をしたものです。でも一時のフィーバーであって、日本国民は冷静になると「おかしいぞ……? ちょっと待てよ」という足踏みをするんでしょうね。途端に三十何名に膨れ上がった共産党が、次の選挙で2〜3名に激減するというような状況を続けていたわけです。

 私が共産党が偉いと思うのは、こういうときには彼らは方向転換するんですね。国会でもって多数を征して日本に革命を起こして天下を取るという構図は、必ずしも1年や2年でできるものではない。手っ取り早く日本を改革する革命する天皇制を打破する共産党の政権を作ると?。政治の世界もさることながら、まずマスコミを握る、教育を握ることに重点を移すんですね。だから、「国会第一主義」というのは表看板であって、彼らが力を入れたのは新聞労連の結成と、日教組の結成です。マスコミと教育を握る。時間は掛かるかもしれないけれど、確実だ。私はこれが共産党の正しい選択だったと思いますね。

 当時は日教組も新聞労連もヨチヨチ歩きで大したことはできませんでしたけれども、ご覧なさい、50年経って日本のマスコミ、日本の教育は共産党の狙った通り、彼らの言う成果を今上げているんではないですか。一番の実験台、そして成功したのが朝日新聞だと、私は思いますね。朝日新聞はインテリが多いんですね。同じストライキをやっても、朝日と読売とではストライキの様相が違うんですよ。読売は鉢巻きをして赤旗を振っている我々の仲間はまるで田舎侍ですね、勇ましいけれどイデオロギー的には単純で、情緒的なストライキをやる。編集局長で労働組合の委員長の鈴木東民は詩人ですよ。だから詩人的な感覚が出るんですよ。だから、ストライキが終わってみると、読売は共産党が狙ったほど赤くならなかった。朝日の労働組合委員長志賀見克一?は筋金入りの共産党ですよ。だから、やることは派手ではないけれど、こつこつと積み上げて要所要所に手を入れて、盤石なものを作り上げ下地をちゃんと敷いていきましたね。その影響を今引き継いでいると思うんです。ですから、教育された地方初の渡辺俊一、このあいだ辞めた?ひと柳貫一郎、みな朝日の社長になりました。みな共産党です。そういうことで、朝日新聞は赤くなってしまったということですね。

 新聞記者というのは、天下国家を論じて偉そうなことを言います。最近はテレビに出て、いちいち内閣の言うことにいちゃもんを付けて、各閣僚や党の幹部などを馬鹿扱いしているが、意外と新聞社というのはだらしがない。戦後はひどいんですが、戦前と言えども例外ではなかったですね。我々の大先輩を非難するのは忍びないことですが、事実ですから若干申し上げなければならない。当時の軍は200億円というたいへんな臨時軍費、つまり機密費を使って、政界・官界・学界・言論界を思う存分に操ったんです。陸海軍省の記者クラブには物件がある、飛行機でも要求すれば乗せてくれる、必要とあらば赤阪・新橋で豪遊でもなんでもできる。そういうところにころっとはまっていく体質が新聞記者にはあるのです。抵抗する者は逆に「赤紙」、すなわち召集令状がくる。否応なく、つまり飴と鞭にコントロールされていたということですね。

 朝日新聞の主筆兼副社長だった緒方竹虎は立派な新聞記者で、私は今でも尊敬していますが、この人でさえ当時の軍には手も足も出なかった。「筆を曲げるのは断腸の思いだ。しかし曲げざるをえなかった。私一人なら陸軍省目掛けて斬り込んで斬り死にしてもいいけれど、朝日新聞の社員5000人とその家族のことを思えば、斬り死にして済むという問題ではない。そういうことを考えれば志が鈍るし、今にして思えば私は弱かった」と、緒方さんは戦後しみじみ嘆いていました。そして、何故新聞社は軍に頭が上がらなかったかというと、お金の問題だけじゃなくて、ひとつには近衛内閣の時に「国家総動員法」という悪法が通って、物資・物流を全部軍がコントロールした。新聞社の命であり魂である紙も軍需物資として扱われ、軍の許しがなければ新聞社は紙一枚自由にならない。従って、軍は紙の配給をストップすればいいから、新聞社を潰すことも訳ないんですよ。ですから、紙面を制しられて首根っこを押さえられて、手も足も出ないというのが当時の新聞の現状でしたね。

 伝統ある地方紙が軍の命令ひとつでもって、一県一紙に統制されていくんですね。今「東京新聞」という新聞がありますが、東京新聞の前身は「都新聞」という軟派な一種の花柳紙でした。これが命令一過「東京新聞」……、そういう時代でした。新聞記者だけが堕落したという訳ではありませんが、言論の府にありながら、筆でもって戦うべき立場にありながら、あまりに軍にいいように扱われたということは、私どもにしても反省するに足りることです。こういうことを二度と繰り返してはならないということを、自覚・自粛しているわけです。

 それから、あのような朝日新聞を作り上げたのは、戦後労働組合が当時の幹部を戦争協力者ということで追求したことにあります。緒方竹虎以下、軍にいじめられながら出来る限り説を守ってきた主筆・編集局長・各部長を戦犯としてパージ(公職追放)する。そうしたら、朝日には人材はいなくなってしまった。残ったのは筋金入りの左翼、共産党ということです。

 その後冷戦が激しくなると、ソ連との対抗上GHQ内部では左翼・ニューディーラーの陰もだんだんが淘汰されていって、司令部も変わってくるんです。共産党にあまりちやほやするな、日本に共産主義を押しつけるなという大政策転換を行いました。今度は共産党をパージですよ、GHQの命令として新聞社へレッドパージを出すんですね。各社で旗を振って編集幹部を戦犯扱いして肩で風を切っていた連中が、逆にレッドパージで飛ばされちゃうんです。ものすごかったんですね。何人かのエリート残って、その流れが今にも脈々と残っているというのが、今の朝日ではないですかね。

 共産党の狙いはまず朝日を落とすこと。それから、共同通信。共同通信から地方紙へすべて東京の記事を提供しているので、共同通信を握れば地方紙を握るということになります。それから、当時はまだテレビはなかったんですが、電波の重要性が認識された頃ですからNHKを握る。それで、朝日・共同・NHKの3つをターゲットに工作を進めていくわけですね。それぞれに効果が上がっているわけじゃありませんか。朝日はご覧のとおり。共同通信の記事は東京では生にして見ることはできませんが、地方紙――例えば、北海道新聞・中日新聞・沖縄タイムス・琉球新報――は赤旗と同じじゃありませんか。NHKは公共放送というだけあって雁字搦めになっておりますから、さすがに共産党が自由自在におもちゃにすることはできません。NHKは政府に対して、郵政事業庁(昔の郵政省)に頭が上がらないという体質があります。が、そういう政府の監視のスキを狙って、ちょこちょこっと共産党の陰が見られますね。そういうわけで、残念ながら共産党はマスコミを握ってしまって言えるんではありませんかな。

 しかし、今度の拉致事件については、何も知らない国民も「朝日新聞はおかしい」と思い始めているようですね。つい2〜3年前まで、朝日新聞が社民党・共産党と同じように「拉致はない、デッチ上げだ」と言っていたのを覚えている人がいるんですね。今になて、朝日新聞も「恵さん」「ひとみさん」と騒いでいますが、どの面下げて騒げるかと言いたくなるんですね。この間、産経新聞が朝日新聞の古い社説などを特集して紙面化しておりましたけれど、どの面下げて拉致問題を論ずるかということですね。

 確かに憲法で定められた言論の自由という国民の権利がありますけれど、これが独立して歩き出しますと返って言論の封鎖に通じますね。そのへんのけじめはきちんとしなければならないんですが、今の政府は駄目ですね。どうして駄目かというと、共産党が50年かけて苦労した甲斐がありまして政府の課長以上、局長の一部は全共闘・全学連ですよ。彼らは政府の重要なポスト、ポストにどーんと座っている。彼らは若かりし頃権力の外にいて権力を倒すと言ってデモを転回したではないですか。共産党の内部資料によると、今は権力の中に入って中から潰すとやっているんでよ。

 一番いい例が、文部科学省の小野元之事務次官ですよ、彼は全共闘の大闘士ですよ。ソ連と言えば、選挙民を盾に取って、時の政権を揺さぶったもんです。彼一人の力ではないと思いますが、最近の文部科学省の指導を皆さんどう思いますか? 特に勉強をするなという、学生というのは勉強をするのが仕事でしょう。遊び、授業時間の短縮……、旗を振っているのは文部科学省ではありませんか。文部科学省だけではありません。財務省、外務省……、外務省なんかひどいじゃないですか。それから、警察、国税庁……、こういういいところをかつての全学連・全共闘の活動家に握られているということです。

 最近ではちょっとおまけが付いてしまった。何かというと、創価学会です。創価学会は共産党と仲が悪いんだけれど、共産党の良いところはちゃんと真似をしているんですね。各省を見ますと、創価大学の卒業生は仲間意識が強くて、どこの省でもエリート官僚あるいはノンキャリアがそれぞれグループを作りまして、池田大作先生のために努力しているということです。だから、池田大作さんが外遊するというと、外務省が勝手に各国の大使館へ電報を打ちまして「最上級の待遇をもってお迎えせよ」、公然とやっていますよ。創価学会に税務査察があるというと、国税庁から第一報が飛び込んできて「何月何日にこういう動きがあるから用心せよ」という。私は心配しているんですが、昔は天皇陛下の官吏が共産党の官吏・創価学会の官吏になりつつありますよ。見るに耐えないですね。

 そういうことに睨みを利かすのが政治なんですが、政治はそこまで目が届きませんね。共産党や創価学会の方が先手先手を打っていますね。このままでいきますと、私は悲観論にならざるをえないんです。ついこの間までは、政治が駄目でも経済が駄目でも官僚がしっかりしているから心配はないんだ、という昔の官僚のイメージが心のどこかにあったんですが、それがもうなくなりましたね。昔の官僚は薄給を忍んで威張っていましたが、国の為あるいは天皇陛下の為という使命感がありましたね。今やもう与えられた仕事を一生懸命やるという官僚がいないんです。

 政府は電波に対しては強いんです。電波というのは許認可事項で各放送局に一時使わせている、即ち監督権は政府にあるんです。NHKは政府に弱い。民放も勝手な番組を作っているけれど、いつ郵政省に呼び出されて電波免許停止と言われるのが怖いんです。だから、見掛けは派手なんですが政治とか国論を左右する力はありません。それはやはり新聞ですね。今政府や政治家が新聞に対してどういう態度をとっているか。憲法に言論の自由があっても、時の総理大臣が時の与党が姿勢を糺すということを腹を決めれば、新聞の一つや二つ切ることは訳はないのです。しかしこれをやると、反動だとか憲法違反だとか言論の自由侵犯だなどという一部の世論が怖い。だからますますのさばる。

 今の政府がやっていることは何ですか? 昔の陸軍がやったことの蒸し返しじゃありませんか。内閣官房の機密費を使って、時の影響力のあるジャーナリストには盆暮れに金をやっているんですよ。あちこちで原稿を書いたりしゃべったりしている評論家には大なり小なり機密費頂戴に及んでいますね。こんなことでいったい正しい言論というのが出現できますか? それから、金のこともさることながら、新聞記者・マスコミに一番効き目があるのはニュースですよ。新聞記者が一番ほしいのは、ニュースですよ、特ダネですよ。だから、ニュースで操作する、これが新聞記者を殺す一番の近道なんですね。ただ、これをやると一つの社は特ダネで喜ぶけれど、他の社は何だということになる。だから、効き目はあるが、そうしょっちゅうは使えない。

 そこで使うのが、政府審議会の委員にすんですよ。学識経験者ということで、新聞社の論説員とか編集局員などを各審議会の委員にするんです。政府の委員にしますと、頼めば官僚が極秘でも何でも材料を持ってくるんです。大臣や次官や局長に訊けば、話してくれるんですね、こんな有り難いことはない。うるさいことを言っていると口封じに「当省の委員をやって頂きたい」ということですね。委員になると、1回出て1時間か2時間座っていると委員手当が5〜6万円出るし、送り迎えの車が出るし、何と言ってもニュースが有り難い。それで、新聞社も操られてしまいますね。

 新聞社や財界人もそうですが民間人ですと偉そうにしていますが、何がほしいかというと勲章がほしいんです。そのへんを政府は心得ていて、新聞社の社長はとにかく1回やれば勲一等くれるんですね。また、副社長だとか局長だとかは、それに準じて勲二等・三等をすぐくれるんです。「勲一等ならばもらうが勲二等・三等は可笑しくてもらえるか」と断るやつもいるが、勲一等旭日章とか勲一等瑞宝章とかいうと各社の社長は尻尾を振ってもらいに行くんです。そういうことで、頭が上がらないんです。だから、日本の新聞は堕落する一方ですから、日本政府も機密費や勲章で当座頭を撫でるということではなく、もっと抜本的に新聞はいかにあるべきかということを、時の総理大臣が社長を呼んで腹を割って話さないと駄目です。

 では、我々はどうすればいいのか。嫌な新聞をただ毎日毎日読まなければならないのかというと、そうでもないんですね。我々に出来ることがいくらでもあるんですね。私が現役で論説を書いていた頃、読者から電話がかかってくると断れないんです。読者からお叱りが来るんですね。論説員でございますと大きな顔をしていても、読者には弱い。何千万人という読者がいるんですからね、朝日新聞のような持って回った御殿女中のような記事を読まされて黙っていることはないんですよ。何故電話を掛けないんですか? 「論説員でも編集局長でも政治部長でも担当記者でも電話口へ出ろ、お宅の読者だ」と。これが一番効くんです。

 もう一つは葉書ですね。「何月何日付けのお宅の新聞はおかしいぞ」と書くんです。そういうものが、重役会議や部の会議に材料として出てくるんです。電話であり葉書であり、読者のそういう意思表示。ところが、日本人というのは黙っているんです、不愉快な新聞を読まされても黙って読んで購読料は払っている。そして、もう一つ絶対的に効くのが、不買運動です、一人や二人じゃ言ったんじゃ駄目ですが。創価学会が強いのは、今や創価学会に対して批判できる新聞はどこもありません。公明新聞と聖教新聞は新聞社の高速輪転機が空いている時に刷らしてくれるので、本当に有り難い新聞なんです。しかも一円も値切らない。請求書通りに耳を揃えて払ってくれる、こんな有り難いお得意さまはありませんね。もう一つは、創価学会700万所帯の不買同盟。池田大作さん一下「朝日新聞を取るな」「産経新聞を取るな」と言ったら、700万所帯が本当に取りませんよ。ですから、団体としてものをいうのが、不買同盟。これが効くんです。

 だから、いやな新聞をのさばらせておくことはないんです。読者として自己防衛ですよ。そういうことがじわじわと効いているじゃありませんか。今各社がたいへんな新聞の拡張で苦しい戦争をしていますけれど、一番苦戦しているのは朝日新聞ですよ。やっぱり読者には分かるんですね、朝日新聞がだんだんに部数が減っているんです。朝日新聞というのは我々プロから見ますと、実に素晴らしい新聞ですよ。あの紙面の作り方、実に惚れ惚れするような作り方をしていますよ。ただ内容はいけません、内容はいけませんけど、作り方は本当に優等生。読売なんかは1000万部刷っていると言っていますが、あれは田舎新聞でただ面白可笑しければいいということで、何の信念も抱負ない。毎日は朝毎と言って昔はアンチ朝日として存在感のあった新聞ですが、今の毎日はまるで朝日の真似、朝日の亜流ですね。私の先輩に江尻進さんという共同通信の記者がいましたが、各社を公平に見て、「社説は産経、記事は日経だよ、あとは駄目」と言っていましたけど、わたしもそう思うな。

 朝日の紙面の作り方が何故優秀かというと、切り抜きをやってごらんなさい。さっさっさと四角に切り取れますよ。他の新聞はこう切ってこう切ってあっちいってこっちいってとね。 そういう点は朝日新聞は大したもんだ。

 以上