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北東アジアのグランドデザイン

コーエイ総合 主任研究員 中野 有

 はじめに

 21世紀の白いキャンバスに北東アジアのグランドデザインを描く。そのグランドデザインのためのデッサンを描写するのが本稿の目的である。

 北東アジアは、発展と紛争の可能性を秘めた多様性に富んだ地域である。その発展とは、自然発生的経済圏と表現されるが如く、資金、技術力、労働力、天然資源の相互補完による国境にまたがる多国間協力のメカニズムが機能することにより、EUやNAFTAに匹敵する一極を成すであろう経済圏構築の可能性にある。また、紛争の可能性とは、この百有余年の北東アジアの戦争と冷戦の延長線上にある不確実性を意味す

る。さらに多様性とは、日本や韓国、北朝鮮やモンゴルとの経済格差であり、自由主義と共産主義、市場経済主義と統制経済、民族、文化、歴史認識の相違である。

 このような複雑な北東アジアの空間には、開発という要素をインプットし、グランドデザインという構想を創造することが求められる。北東アジアグランドデザインの役割は、軍事的な安全保障の役割を減少させ、経済協力を基軸にしたフレームワークを形成することにある。

 朝鮮半島の38度線を境に勢力均衡型の冷戦構造が残存する地域に軍事的関与による集団的安全保障を構築するのでなく、経済協力や社会的な共生を主眼とした協調的な安全保障のメカニズムを生み出す方法はあるのだろうか。21世紀の問題、すなわちテロ、グローバリズム、経済格差、金融システム、地球環境等の問題に対処するには、どのような解決策が潜んでいるのであろうか。ラストフロンティアと表現される北東アジアの開発空間に、エネルギー(天然ガスパイプライン)、物流(道路、鉄道)、通信インフラのフローを国境を越えて描くことにより、多国間協力のありかたがより明確になると考えられる。

 北東アジアほど多様性に富んだ地域は恐らく存在してないであろう。北東アジア諸国が互いに多様性を認めあうことで相互補完的な関係が生まれ、「ひと・もの」の流れが国境を越え、ひいては経済圏構築につながっていくのであろう。多様性で構成されている北東アジア特に中国、韓国、北朝鮮、日本の漢字文化圏には互いの価値を認めあうという「共生の思想」がある。しかし、現実には植民地支配や戦争といった負の遺産がアジアの共生の思想を永らく忘却させてきた。発展と紛争の可能性を秘めた北東アジアにおいて、北東アジアの多様性を認め「共生の思想」を基本に北東アジアの発展の要となる「グランドデザイン」を描く。これは、想像するに多国間にまたがる「グランドデザイン」のデッサンを描くといういう意味で先例がない試みだと思われる。

北東アジアの基本コンセプト

 理想、哲学、理念のないグランドデザインは、空論に等しい。先人が残した構想の中には、歴史のリズムや潮流を織り成す短期的な内外の変化に影響されない宇宙観が潜んでいる。

 三人の偉人(中江兆民、石原莞爾、久保田豊)が伝える思想の中から、北東アジアの方向性を模索することとする。日清戦争と日露戦争の狭間の中で、自由民権運動を提唱し東洋のルソーと呼ばれた中江兆民は「三酔人経倫問答」を出版した。岩倉使節団の一行としてフランス留学の経験を持つ兆民は、列強の植民地化政策の中で日本のおかれている現状を三つの視点により分析した。

 洋行帰りの紳士と豪傑君がヘネシーとういうブランデーをもって南海先生を訪れ、酔いにまかせ日本の進路を語る。三人とも兆民の分身である。豪傑君は、列強の侵略から守るためには軍備の増強が不可欠であり、大陸への進出を主張する。洋行帰りの紳士は、経済、文化交流を推進し、日本が世界から尊敬される国になることにより、日本の平和は保たれると考え、軍備を回避すべきだと主張する。この二人の議論を聞いていた南海先生曰く、豪傑君の思想は20世紀初頭の帝国主義の時代においては否定されるものではないが、この思想を貫くことで戦争という大きな代償をはらむことになるであろうと。一方、洋行帰りの紳士の思想は、列強の餌食になるであろう。しかし百年後には、この「外交の良策」が実現されるときが到来するであろうと。この兆民の先見性を現在の国際情勢に鑑みると、集団的安全保障やミサイル防衛構想が、国際テロという21世紀型戦争に対し機能しなく、むしろ貧富の格差是正に役立つ経済協力を進めることが紛争の回避につながるという考えに到達する。換言すれば、経済、文化交流の推進により、軍事的な関与を最小限に抑え経済協力を主眼とした「協調的安全保障」が成り立つ。洋行帰りの紳士の理想が、21世紀初頭、すなわち兆民が予測したこの時期に実現される可能性を秘めているのである。

 西側諸国と対等の関係を築くためには、大陸への関与が不可避であると提唱した石原莞爾は、戦前に「世界最終戦論」を世の中に出した。石原については、大陸への関与の「光と陰」の部分を照らし合わせて考えなければいけないが、戦争を体験し恒久的平和を唱えた石原の理想は、北東アジアの安全保障と開発を考える上での指針となりうる。石原は、原爆の使用により大規模戦争の意義がなくなり、これが人類の最後の大戦争になると予言した。石原の予言の通り、日本は広島、長崎の原爆の被害を受け、恒久的な平和を論じる国となったのである。冷戦中、米ソ陣営によるミリタリーレースが続いたのであるが、現在は大陸間弾道ミサイル等の削減等、軍備縮小の潮流の中にある。石原の宇宙観に基づく予言は、戦争、特に被爆という人類史上最大の犠牲により平和がもたらされるというものであり、日本はこの犠牲を無駄にすべきでない。今ここに、北東アジアの開発のグランドデザインを描くにあたり、大規模戦争は回避されるというユートピア的な理想を基盤とすることで、安全保障の視点を軍備という限られた範疇のみならず、経済、文化交流に加え、社会的要因を包含する総合的安全保障や協調的安全保障についての確固たるビジョンが生かされると考えられる。

 鞄本工営の創設者久保田豊は、1941年に中国、北朝鮮の国境を流れる鴨緑江に世界最大の70万キロワットの水力発電所を造った。60年後の現在もこの水豊ダムは、中国と北朝鮮にそれぞれ35万キロワットの電力を供給し続けている。96歳の人生を全うした久保田は「開発協力は人類の義務である」という名言を残した。久保田の功績は、国境をまたがる国際公共財の構築により、軍事に頼ることなく経済協力の視点により国や地域の安定に貢献したことにある。

北東アジア安全保障マップ

 安全保障が進化するパターンからすると、勢力均衡型安全保障に続くのは「集団的安全保障」である。集団的安全保障は、NATOの例が示すように軍事的に平和を維持させる形態である。さらに進んだパターンがEUのような経済圏構築による地域の発展に貢献する「協調的安全保障」である。

 日本の安全保障は米国の傘の下に守られている。日米安全保障を基軸に平和が保たれているのであるが、「アジアの中の日本」を考慮すれば、北東アジア諸国との間に多国間協力によるなだらかな安全保障を構築することが不可欠であると考えられる。現在、米国はミサイル防衛構想で地域の安定を維持させようとしている。ミサイル防衛構想は、矛と楯の関係で新たなる軍拡に繋がるとの疑念を多くの国が抱いている。日本もミサイル防衛構想に疑念を示しながらも日米同盟の関係上、この構想を支持している。ミサイル防衛を通じ平和を追求する考えは「集団的安全保障」につながる。

 ミサイル防衛には多大な資金を必要とする。代替案として考えられるのは、北朝鮮を含む北東アジアに久保田豊が範したような国際公共財としての国境を越えたインフラの整備を進め、地域の信頼醸成を構築することによりミサイル防衛の必要性を低下させることであろう。日本の政府開発援助(ODA)や経済支援は、中国、モンゴル、北朝鮮、極東ロシアの多国間インフラ整備に不可欠とされる。北東アジアで経済援助を必要とするこれらの国々に加え、韓国も原則的にミサイル防衛構想には反対の立場をとっている。従って、ミサイル防衛構想と対極的に位置することができるのはODAを通じた経済支援であろう。ODAを通じ多国間インフラや国際公共財が造られることにより、経済協力を主軸とした「協調的安全保障」の形態がこの地域に成り立つ。日本の選択である。ミサイル防衛にウエートをおき軍事による地域の安定を追求する集団的安全保障、ODAを通じた多国間インフラ整備で経済圏を構築しようとする協調的安全保障、そしてヨーロッパのようにNATOという集団的安全保障とEUという協調的安全保障を組み合わせた形態の3つの代替案がある。日本の選択は、日米同盟を基軸としながらもミサイル防衛構想に大きく隔離している北東アジア諸国のコンセンサスにも配慮しなければならない。

 そこで日本の理想とする選択は、米国と協議しながら北東アジアの経済発展のために多国間協力を推進することであろう。多国間協力の推進のためにはODAの重要性が増す。まさに「戦略的ODA」を通じて、「協調的安全保障」を追求することであろう。 ミサイル防衛と戦略的ODAの駆け引きになった時こそ、日本は米国と北東アジア諸国双方の共通の利益の合致点を考慮に入れ、米国と北東アジア諸国から評価される日本の外交政策・ODA政策を立案しなければならない。

  空間開発計画(Special Development Framework)

 北東アジアのエネルギー資源(天然ガスパイプライン網)、物流(道路、鉄道)、通信インフラ等の国境にまたがる幹線のフローを北東アジアの空間に描くことにより開発のデッサンが可能となる。

 戦前のロシアはシベリア鉄道を中心に北東アジアの鉄道網を構築した。日本は、戦前、満州地域を中心に道路、鉄道のインフラ整備を進めた。これらが現在の北東アジアの物流の幹線を成している。戦争、対立が続き、負の遺産が残るこの北東アジアの開発途上地域は、戦前のインフラ整備と比較し、それほど多くの進展が見られない。

 この空間開発計画をデザインするにあたり、北東アジアの位置付けを環太平洋構想の一環として考察することが重要である。開かれた経済圏かつ多国間協力のメカニズムが求められている。

アジア経済社会開発機構

 東西センターのスタンリー・カッツ氏の構想では、北東アジアの途上地域(中国東北3省、北朝鮮、極東ロシア、モンゴル)の基本的インフラ整備に必要な資金は、年間75−100億ドルと想定されている。これは、輸送、エネルギー、工業、通信、環境、知的インフラ等の整備に必要な最小限の開発資金である。既存の開発銀行(アジア開発銀行、世界銀行、ヨーロッパ復興開発銀行)から期待される融資の総額は、約15億ドルである。2国間援助としては、国際協力銀行等が期待される。民間投資は、基本となるインフラ整備が進展することにより加速度的に増える。2国間援助と民間投資の総額が約10億ドルと考えられる。既存の開発銀行、2国間、民間を通じ25億ドルの開発資金が投下される可能性があるが、北東アジアのインフラ整備の資金調達には75億ドルが必要であり、50億ドルの資金が不足する。この開発資金調達のために北東アジア諸国が中心となり、多国間の開発のための新たな国際機構を設立すれば、世界の金融市場から安定した開発資金の調達が可能となる。

 中国の急速な発展により中国が援助国になる可能性や朝鮮半島を取り巻く国際環境の変化等を考慮すると、21世紀の北東アジアの問題に対処する国際機構・アジア経済社会開発機構の設立が求められる。

 米国政府は、9.11の同時テロの影響で米国の外交政策が変化したことを認めることはないとしても、米国の東アジア戦略が大きく変化する可能性がある。米国単独では解決できないテロ等の21世紀型問題に対し、軍事的安全保障のみならず、経済・社会・エネルギー等の安全保障を総合的に捉える重要性が模索されている。また、世界最大の人口を有し、急激に経済的・軍事的パワーをつける中国を戦略的競合国として位置付け、歴史的に見て中国の再登場に対する高度な戦略が練られている。概して、米国の東アジア政策は、日米同盟を基軸、アジア市場を考慮に入れた米中関係の強化、東アジアに多国間協力メカニズム構築の3点であると考えられる。

 日中韓のトライアングルが中心となる北東アジアは、3つの大きな問題に取り組む必要がある。第1に戦争・冷戦の負の遺産が残存する北東アジアの途上地域(旧満州、北朝鮮、モンゴル、極東ロシア)の開発のためのインフラ整備、第2は1997年の東アジア通貨危機の教訓を生かしたアジアによる金融システムの構築、第3は朝鮮半島の安定に向けた経済社会機能の強化にある。

 これらの3つの問題に対応する新たな国際機構、すなわち「アジア経済社会開発機構」を日中韓が中心となり、設立することが一案として考えられる。日中韓が対等にこれらの活動を分担し、各国の特性を生かしながら中国に北東アジアのインフラ開発機能、日本に金融のメカニズムの機能、そして韓国に朝鮮半島の安定に向けた経済社会機能の3つのウィンドウを設ける。市場経済やグローバリゼーションという流れに逆らわず、アジア的な価値を生かした「アジア経済社会開発機構」の下で、日中韓の連携の上経済圏構築のための司令塔を有する。このような東アジアの多国間協力や経済協力を主眼とした協調的安全保障のメカニズムの青写真を描くにあたり、現時点ほどこの実現性が高い時期はないのではなかろうか。その前提条件として、日本が北東アジアの多国間協力を推進しながら、米国と密に協議を進めることにある。この構想を推進することで、ひいては東南・南西アジア等を包括する「アジア機構」に発展するだろう。10年後、20年後を考えれば、日本のイニシヤティブの下で中国や韓国とトライアングルの国際機構を有することが、大いなる国益と地球益につながると考えられる。